宮城県七ヶ浜町報告【第144報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第4号](2013年10月1日~10月31日)

皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」10月号をお伝えします。つぶやきからは被災者の様々な現状を聴くことができます。
震災の記憶、生活の現状、家族について、主だった内容をトピック別に分類してご紹介します。————————————————————————————

 

【医療】
ここ2~3日足がむくんでいるのが気になる。
足の関節を手術してからは痛みも取れて調子は良かったのだけど心配。
右手首もずっと痛くて、調子はよくない。
(70代/女性)
【仮設をめぐる生活環境】
あと3年は仮設暮らしになるよなぁ。動けるうちが花だよ。
仮設の作り方は無駄が多いんだよねぇ。
(60代/男性)
(震災前の)この時期は靴下3枚は履かないと(寒くて)いけなかったが、
今は少し肉がついて汗をかくようになったんだ。
仮設は寒くて毛布をかぶって寝ている。仮設は湿気があるね。
(60代/女性)
息子は最近(素行が)よくなって・・・昔は苦労したけどね。
病院に行くのは一日がかり。バスと電車を利用している。
息子夫婦は働いているから、一緒に病院には行ってもらえない。それは仕方ない。
洋服とか買いに行きたいけど、一緒に行く人(行く手段も)がいないから我慢している。
買物の送迎はボランティアさんには頼めない(まわりの目が気になる)
このあたりで暮らすには人間関係が大切。いろいろ我慢している。
(今朝起きた)大きな地震が怖かった。地震の後は朝まで寝られなかった。
(70代/女性)
規模の小さな仮設住宅集会所なので、イベントが少ない。
他の仮設住宅のイベントにはいかない(行き辛い)
(60代/女性)
【足湯】
足湯がいるも楽しみで20回以上来てるよ。

毎日書きものと縫い物で右腕と肩がこってるの。
(70代/女性)
親戚の家に避難している時、生活が限界な時に、
足湯に誘ってもらい、話を聞いてもらったら涙がぼろぼろ出た。
みんなが集まれるこんな足湯を続けてほしいねー。
(50代/女性)
【被災体験】
震災の時は家にいて、地震起きてすぐ逃げた
近くの高台に逃げた。家の玄関は閉めたけど、裏口は開けてきた。
「津波は来る」って思っても、家までは来ないだろうと思った。
A浜はよく津波が来るから(波が高い)「津波は怖い」って分かってたんだろうけど、B浜ってあんまり津波来ないところなのよ。
だから余計にダメだったのかも。「家にすぐ戻れる」と思ってた。
下校時間だった孫が帰ってきてなかったので心配して、
近所の人たちと「ここにいないみんなは、何処に避難しているか」など少し話していた。
「高台の小学校に行ったんじゃ」という話になって、他の人も行くと言うから車に乗せてもらった。
前を走っていた車が引き返してきた。「津波きたから引き返せ」と。
ギリギリセーフだった。出発する時間が少し早かったら完全に津波にのまれていたと思う(※細い道に入っていたら逃げられなかった可能性が高い)
別の人の話だが先頭を走っている車が後方を見たらさっきまで走っていた車たちがいなかったそうだ。
避難場所で津波を見ていてで「うちの家が無くなる・・・」って泣き崩れている人がいた。私の家も無くなった。こわかった。
(70代/女性)
【将来設計】
現地再建を進めている。本当は10月に引き渡しのはずだったが大工さんが忙しくて今工事が始まった。
12月に引き渡し予定。ただ「仮設を出るのは2月ぐらいがよいわねー」とのこと。
(60代/女性)
【家族・親族】
お父さんが鉄道で働いていたから、青函トンネルができたときは一回行こうって言ってたけど、流されちゃったからもう連れてってくれる人もいない。
若い時に(いろんなところに)行っといたほうがいいよ。
(70代/女性)
娘から「集会所にあまり来ないで」と言われていたんだけど、最近は言わなくなったねえ。
私は娘がいないと結構しゃべるんだよね。
(80代/女性)
【個人史・生きがい】
最近は子どものために仕事を頑張っている。あんまり楽しくはないけど・・・。
(貴方が通っている)大学にも仕事で行ってるよ。
(40代/男性)

宮城県七ヶ浜町報告【第142報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第3号](2013年9月1日~9月30日)

皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。
宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」9月号をお伝えします。つぶやきからは被災者の様々な現状を聴くことができます。
震災の記憶、生活の現状、家族について、主だった内容をトピック別に分類してご紹介します。
——————————————————————————-【仮設をめぐる生活環境】
俺の子どもは(仮設ではない)○○浜地区に住んでる。孫もそこにいる。5歳、3歳、2ヶ月の3人。
仮設には住まわせられないわ。壁が薄くて、隣の人に迷惑かけるからな。孫はときどき遊びに来るよ。
(60代/男性)

仮設の中で転んでしまう。キッチンと居間のスロープにつまづく。転ぶときには金具の入った足をかばうので頭を打ってしまうんだ。
(60代/女性)

妻は少しの間施設にいたが今は入院しているんだ。
仮設住宅の冬は寒いから退院させるのは来年の春がよいな。
名前なんていうの?気にかけてくれている人がいると喜ぶから伝えておくよ。
(60代/男性)
※奥さんを訪ねて行った際

【足湯】
足湯にはいつも来るの!楽しいから。
でもマッサージしてもらうのは久しぶり。気持ちが良い。
明日、明後日まで秋休みで、学校休みなんだ!
(10歳/小学生)
【津波】
山形はなじみ深い。蔵王には若い時に2回も登った。温泉には毎年1回は行っていたけど今は行けていない。津波は大変だった。体一つで逃げてきた。あとはもう何もない。
(60代/女性)

 

【津波・生きがい】
津波がきたとき、孫のために生きないとって思った。長生きしないと。
(60代/女性)


【ボランティア】
集会所にずっとボランティアさんが来てたときは、にぎやかだったねぇ。
毎日何からしら(催し物が)あったもんねぇ。みんな元気にしてるのかねぇ?
(70代/女性)

※現在は仮設住宅集会所に来るボランティアや催し物が少なくなっている。
【復興計画・将来設計】
私の元住んでいた土地はイエローゾーン(土地の買い上げか、再建を選択することが可能)なんだ。
町に買い取ってくれって申請を出しているよ。
自分だけ家建てても、周りに誰もいないんじゃねぇ?直して家入っている人もいるんだよ。
(80代/女性)


【被災体験】
「○○(内陸地区)で被災?津波来てないでしょ?○○まで津波が来たら七ヶ浜はないだろう」って言われるんだよ。実際は津波が堀から上がってきて被災受けたんだ。
レッドゾーン(家を建ててはいけない場所)に指定されてるんだ。
(50代/男性)

【被災体験・仮設をめぐる生活環境】
足湯には何度か来たことがあります。
震災の時は8時間かけて車で帰った。嫁さんのお腹が大きかったから。
あと2年ぐらいは仮設でお世話になると思う。
でも、この前の台風の時は雨漏りした。
(40代/男性)

宮城県七ヶ浜町報告【第140報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第2号](2013年8月1日~8月31日)

皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

震災から2年半が経過しました。
仮設住宅での暮らしも二年以上が経過したこととになります。
高台移転地や災害公営住宅の整備が計画として進むも先の見えない「不安」が住民の皆さんに重くのしかかります。
「いつまで仮設にいるんだろう?」
「どっち向かって進んでいけばいいのか?自分のことだけやってればいいのか?」
時間が経てば経つほど、不安も大きくなります。なかなか見えない’復興’。。。
七ヶ浜町の今の’つぶやき’をお伝えします。

つぶやきからは被災者の様々な現状を聴くことができます。
震災の記憶、生活の現状、家族について、主だった内容をトピック別に分類してご紹介します。

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【仮設をめぐる生活環境】

まだ暑いねぇー。こっち(仮設)に移動してからクーラーを使わないと熱くてねぇー。
昔は扇風機もいらないくらいだったんだけどね。でも、仙台と比べるといくらか涼しいねぇ。
(60代/女性)

7年間、犬を飼ってたんだけど仮設では飼えなくて今は知らない人のところで飼われているんだ。
犬を譲り受けた家の人も教えてもらえていなくて寂しい。
(50代/女性)

私はこの仮設が嫌いなの。同じ部落の人がいないから。親しい人がいないの。
同じ部落の人たちは別の仮設にいるの。
(60代/女性)

やっぱり、仮設住宅は狭いよなぁ。でも仕方のないことなんだ。
こうやって入れられて、全部やってもらってさ。本当に申し訳ないよ。ありがたいよ。
俺は寒がり、あいつ(奥さん)は暑がりで、クーラーや扇風機のことですぐ言い合いになる。もうひとつの部屋は荷物でいっぱいなんだよね。
(ベランダ前の家庭農園のことを話したら)「これ」賑やかだろう?すごいおがったんだぁ。(おがる=成長するという意味)
見てくれは悪いけど、うまいんだよ。もってけ、食うべ?トマトはもうちょっとだなぁ。
(70代/男性)

ここの仮設は二重窓で音も響かないから良いね。若い人が少ない。家族連れはみんな仮設を出て行っちゃった。
(50代/男性)

【津波】

震災の時は避難したのに津波に飲まれてしまった。若い時はたくさん働いていたから体が動いてなんとか逃げれたのさ。
(70代/男性)

最近仕事をしていて左手の親指の側面が痛い。仕事へは隣町まで車で通っているんだ。
津波の時は車が2台流されたのよ。本当に大変だった。
(50代/女性)

震災でね、全部なくなったの。だからここ(仮設住宅)に住んでるの。
津波で流されたときにね。大学4年生の男の子が助けてくれたの。そうじゃなきゃ、私はここにいなかったわ。
(60代/女性)

ここに私の家があったんだよ。(一緒に自宅の跡を通った時)みーんな流されちゃった。家が残った人はいいよねぇ。
私は前の家のローンがあるし、災害公営住宅さ入るしかない。
(津波の被害を受けていない地区を通った時)ここはいいなぁ。立派な家があって。
(60代/女性)

【ボランティア】

いつも来てくれて本当に嬉しい。いつも来てくれているから顔は覚えてるよ。
もっと他の人も足湯に来てくれるといいんだけどな。雨だから来ねぇのかなぁ。
(80代/男性)

【やることがない】

毎日ここ(集会所)に来ているんだ。家にいても何もやることがないからね。
みんなでいれば楽しいよ。
(50代/女性)

【足湯】

足湯さ来るの休んだこどないよ。うんと楽しみにしてるんだわ。
(同じ仮設の集合体の一員である)Sさんとは旦那の友達が一緒だったから震災前から今でも友達だもの。
(60代/女性)

【近隣・友人】

仮設に今空きはないの?もう一度仮設に入れないかな。役場に言ってみようと思ってるの。
※自立再建された方で、近所に知人・友人がいない。
(50代/女性)

【医療・健康・介護・福祉】

今、精神科に通っているんだ。三ヶ月の避難所生活で精神病になったんだ。
それで途中、避難所を抜け出してガレキを組み立ててこやで二週間生活した。
(40代/男性)

宮城県七ヶ浜町報告【第136報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第1号](2013年7月1日~7月31日)

皆さま
お世話になっております。RSY郷古です。
これから「月刊つぶやき」と称し、七ヶ浜町で聴いた住民の皆さんの声を定期的にご紹介したいと思います。足湯ボランティアで聴いたつぶやきから、日常のお茶飲みの場、地区の催し物などで出会った七ヶ浜町民の「今の声」を届けたいと思います。

震災から2年と5ヶ月が経過しました。
七ヶ浜町の住民の皆さんの日常生活が震災前から震災直後、そして現在・・・様々な形で変化をしています。現在、被災を受けた七ヶ浜の皆さんの日常が今どのような状況にあるのか?
私たちRSY七ヶ浜事務局は皆さんの話すつぶやき中で、現在の暮らしの状況や未だ癒えぬ震災による大きな傷を垣間見ます。

つぶやきからは被災者の様々な現状を聴くことができます。
震災の記憶、生活の現状、家族について、主だった内容をトピック別に分類してご紹介します。

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【仮設をめぐる住宅環境】
○ここの仮設住宅は(木造なので)しっかり作られている。同じ仮設なのに(プレハブと木造)で違うからいざこざもあるみたいですよ。江戸時代には80mの津波が来たという記録もあります。100mの津波が今後来ないとも言い切れない。東海の方も大変ですよ。
(40代:男性)

○前は農家をやってたのに・・・。その頃は規則正しかったのに、今はリズムがバラバラになっちゃって身体までリズムがおかしくなっちゃったよ。いとこが埼玉に住んでいて前は家に遊びに来てたのに、ここじゃあねぇー。
(40代:女性)

○左手変なんだ。分かる?第一関節から第二関節の間の部分の水かきが薄くなっている。左手首の筋が腫れている。それと、子供を育てるために縫い物たくさんやったから右手首が腱鞘炎になってしまった。
(高台移転地確保のため、別の仮設への移転を余儀なくされた)他の仮設から引っ越してきたんだ。引越しは行政にやってもらった。写真撮って、おんなじ場所に家具を置いてもらったから良かった。流された家は築17年しか経ってなかった。仕方ない。
(70代:女性)

○最近天気悪くて、洗濯物乾かすのが一苦労なの。ウチは3人部屋があるんだけど4人家族の洗濯物って一部屋の半分くらい占領するの。なかなか大変。今日も雨だって言ってたから、昨夜部屋に乾かしてたけど、今日は晴れたでしょ?天気のありがたみを感じています。
(50代:女性)

【足湯】
○足湯って気持ちがいい!腕(のもみほぐし)も気持ちいい。これ本当にいいんだよねぇー。
(9歳:女の子)

○足湯に初めて来たの。今日は外出する用事がなかったから来てみたの。結構気持ちが良いのね。
(70代:女性)

【ボランティア】
○(ボランティアの人たちと出会って)いろんな人から手紙をもらった。いろいろな出会いがあって良かったと思っている。
(70代:女性)

○私は血圧が高い、薬を飲んでるよ。手がいつもしびれてるんだ。転んで左手首骨折したこともあるよ。たまに痛い。足は右のほうが悪いんだ。ボランティアさん来てくれてありがたい。
(70代:女性)

【なにもすることがない】
○いつもなにしてるって?なにもしてねぇよ。テレビみてるだけだ。けど散歩はしているよ。ここの仮設の周りをぐるっと回るんだよ。
震災前はさ、温泉に結構行ってたんだよ。鳴子温泉とかにな。一週間くらい泊まりがけで行っていた時もある。震災後は温泉行けてないなぁ。行きたいなぁ。
俺の手さ、大きいだろ?片手で八寸くらいあるんだ。昔は大工をやっていて工務店を開いていたんだ。
娘が香港に住んでいて、今度一週間こっちに来るんだが、泊まるとこなくてよ。仮設じゃ狭いしな。ホテル取らないといけないなぁ。
100坪以上あった土地にはなにもない。すべて流された。写真も一枚もないし、どこいったんだか。
(70代:男性)

【生きがい】
○昔は漁師をやっていたんだ。今、家で携帯ストラップを作ってるよ。あんたにもやるよ。
(70代:男性)
【家族・親族】
○娘がね、石巻にいて「来ないか」って言われてるんだけど、でもさぁ。近すぎるとやな所みえちゃうからさぁ。孫は3人いてかわいんだけどねぇ。
(60代:女性)

【健康・介護・福祉】
○心筋梗塞をやってたからねー。薬飲んでんだけど、すぐこうなるんだ(手のあざを見せて)
どうせ何もしないんでいるんだから・・・
(60代:男性)

【津波】
○手の甲、足にキズがあるだろう?津波にのまれてガレキの下敷きになった。頭も縫った。形成外科ってあるだろう?あそこで手術したんだ。あの時は(病室が)一杯だったから、一週間で外に出された。最近ようやくキズの痛みが取れてきた。
(70代:男性)

【将来設計】
○お父さんは手先が器用だけど、私は大雑把でねぇ。ずっと畑仕事をしていたんだ。前の家は大きかったから、野菜を作ったりしていたんだけど、それができなくなってね。住宅ができてまたできるようになればいいけど。また引越して周りが変わるのが心配だね。
(70代:女性)