11月17日ボランティアDAYの報告

みなさまこんにちは。インターンの石井です。
本日のボランティアDAYが終了しましたので報告します。
本日はインターン生2名、会員さん1名、学生さんが2名の5名で行いました。
今日来てくださった学生さんは、以前に一度友だちに連れられてボランティアDAYに来てくれた中京大学の学生さんで、友だちの名城大学の学生さんと一緒に来てくれました。
ボランティアの輪が広がっています☆
ボラDAYの内容は今月にある講座の資料作成をお手伝いしてもらいました。
また来月のボランティアDAYは日程が決まり次第ご連絡いたします。P1060774ーs.JPG

夢にまで見た・・・・

金曜日から土曜日にかけて、日本の某大学教授・A先生とそのお弟子さんに会うことができました。
お二人にはこれまで、日本の様々な被災地支援の現場で、随分お世話になっています。そしてA先生は、私の渡米行きを最初に提案して下さった方でもあります。メールのやり取りはしばしばあったものの、実際に会うと感動もひとしお。なつかしいお顔とお土産の日本食や日本語新聞を前にした時、久しぶりに胸が高鳴りました。
2日間、先生のリクエストに応じてミュージアムやモニュメントを見学するべく、DCの中心地を歩きまわりました。普段一人では少し行きづらい場所もいくつかあったのですが、今回の同行で、私もかなりDC通になりました。映画「ナイトミュージアム」にも登場した、アメリカの誇り・リンカーンの巨大石像の前で記念の一枚を撮りました。
dr.atsumi.JPG
特に最後の訪問場所であった「ホロコーストミュージアム」はとても衝撃的でした。
1933年から始まったナチス・ドイツのユダヤ人迫害について取り上げた展示です。小さな子どもから、ティーンエイジャー、お年寄りまで非常に多くの人々が訪れていました。ナチスの惨劇を通じて、米国と日本、それぞれが過去に犯した過ちや罪についても深く考えさせられました。とにかく「命は等しく平等である。失われてよい命などこの世に一つもない」ということを、私たちは訴え続けるべきだと改めて感じました。(ここで詳しく説明するのはあまりにスペースがないので、またの機会とします)
ただ、少し違った角度から見ると、RSYのミッションの一つである「過去の災害を忘れない」を考えた時、一つ一つの出来事を、老若男女問わず多くの人々の心になるべくまっすぐに届け、伝え継ぐための具体的な方法については、参考になる部分が多々あったと感じます。A先生の研究テーマでもあるそうですが、展示の方法はもちろんのこと、犠牲者からのメッセージの届け方、観覧者への問いかけ方など、よく工夫されていました。
そして、夜は久しぶりの日本食レストランへ!
焼き魚、イカ焼き、串盛り合わせ、きんぴらごぼう、海藻サラダ、カキフライ、そして極め付けが焼き肉!白いご飯とみそ汁と共に口に運んだ一口がもうたまりませんでした。
夢にまで見た日本の味。心行くまで堪能しました。
satuma.JPG
また、夜は冷えた足を足湯で温めました。
A先生のお弟子さんのM君が、足湯の効能を改めてレクチャーしてくれたのです。
知らず知らずのうちに、疲れと緊張が蓄積した体を見かねてのアドバイスでした。
10分間の足湯で、体中ポカポカ。とてもよく寝れそうです。
機会があれば、アメリカの皆さんにもぜひトライして頂きたいと考えています。

「粗朶(そだ)づくり」に挑戦しました

 皆さま
 お世話になっております。スタッフの関口です。
 本年度のRSY(セブン-イレブンみどりの基金助成)事業「防災の森づくり 川づくり」の講習会を13日、岐阜県内の里山で開き、約20人の参加者が河川工事にも使われる「粗朶(そだ)」づくりの作業を体験し、環境保全と防災の関係などについて学びました。
 ゲリラ豪雨などの災害時に指摘される「山の問題」について学ぼうと、6月のシンポジウムを皮切りに始まったこの事業は7月の里山見学会、8月の学習会開催に続き、10月には名古屋市で開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の関連会場で展示発表の機会を得られました。今回はそのCOP10展示を通じて関心をもってもらえた愛知県内の学生さん4人を含め、幅広い年代の方に参加していただけました。
sodakogi.jpg
sodakoshu1.jpg
sodakoshu2.jpg
 名古屋からワゴン車2台に分乗し、約1時間半で到着したのは岐阜県美濃市の同県立森林文化アカデミー。林業や森林環境、木造建築などの専門知識と技能を身に付ける専修学校です。間伐材約8万本を使って建てられたユニークな施設の一室で、植物生態学を専門とする柳沢直准教授から、里山の木の利用の歴史や意義について簡単な講義をしてもらい、粗朶を河川の基礎工事に生かす「粗朶沈床工(そだちんしょうこう)」を取り上げたテレビ番組のビデオを鑑賞しました。
 昼食後、車で約20分ほど離れた同県関市の里山へ。ここで粗朶づくりをしている佐藤冶市さん(74)、弟の孝さん(70)、林甚一さん(74)の3人の農家の方に、作業の様子を見させてもらいました。毎年作業をしている佐藤さんたちは木を切り出したり、ひもで束ねるのはお手の物。私たちメンバーも無理のない範囲で作業を手伝わせていただきましたが、長さ2メートル以上の粗朶の束は思ったより重く、扱いは大変でした。
 3人は「山に入って体を動かすのが一番」と、かくしゃくとしていました。ただし、近年は需要がめっきり減って採算が合わないのに、手を入れなければ森が維持できないため、ボランティア的にやっているのが現実だそうです。
 周囲は広葉樹の雑木林と、スギやヒノキの人工林が混交した森。特に人工林は細い木が密集し、倒木が多く「荒れた森」という印象のところも見られました。林さんは「人工林は根が張らず、すぐ崩れる。こんな山にまで入る人間はもうおらんので、荒れてもそのままになってしまう」と嘆いていました。
 参加者からは「貴重な作業を見ることができた」「川での活用の現場を見てみたい」などの感想が聞かれ、柳沢准教授からは「川の環境や漁業の問題から山の手入れに取り組む活動はあるが、今回のように治水面から粗朶を見直すことは、防災を考えるきっかけとしてもぴったりくる」と、この事業を評価してもらえました。
 山で切り出された粗朶は、実際の河川工事では数束をつなぎ合わせる「連柴(れんさい)」という形で利用されます。次回、12月5日(日)にはこの連柴のつくり方を中心にした現場作業を見学・体験する予定です。後日、このブログでも詳細をご案内しますので、ご都合よろしければぜひご参加ください。

ワシントン DC 日米協会 に行きました!

今日はワシントン DC 日米協会 で、初めてのボランティア活動をしてきました。
このNPOは、以前ブログでも紹介した日本図書館と同じビルに入っていたため、図書館の方が紹介してくれたのです。
主にはその名の通り、日本とアメリカの交流を目的にした団体で、日本語教室や日本文化にまつわるセミナー、アメリカの高校生を対象にした交流会の企画・運営、イベントの開催などを行っています。
4月に「さくら祭り」という50年の歴史を誇る大イベントが開催される予定で、その準備のためのお手伝いを募集していました。このイベントの来場者数は毎年16万人、これに対してボランティア600人、コーディネーター60人、総予算額3000万円の体制で運営しているとのこと。事務局スタッフがたった4~5人しかいないのに、どうしてそこまでの運営ができるのか、ボランティアの募集やコーディネート方法、企画の立て方など、ぜひ勉強させて頂こうと思っています。
しかも、予算の3000万円はほとんど企業からの寄付で成り立っているとのこと。
歴史があり、毎年入場者数も多いため、企業側から寄付の申し出を受けることも多いようです。寄付制度の仕組みや、継続的な支援を受けるための工夫、アフターケアなどについても大変興味があります。
とりあえず今日は初日だったので、近々企画されている会員向けディナーパーティーの企画の一つとなっているオークションの資料づくりを手伝いました。オークションの品物は全て企業からの寄付で賄われています。どの団体もだいたい100ドル以上の品物を提供していました。職種も航空会社やレストラン、ホテルなどと多岐にわたり、中には日本の航空会社も入っていました。うらやましい限りです。
とりあえず、これからどんなお手伝いができるか分かりませんが、ここでの生活もまずはようやく第一歩を踏み出せたという感じです。
当初予定していたホームレスの方々への支援団体「DCセントラルキッチン」は、活動時間が合わず調整中でした。こちらはサマータイムが終了後、5時半頃にはすっかり暗くなるため、夜遅くの帰宅となると危険が伴います。
日本では、業務終了時間後会議→一杯飲んで→帰宅というパターンでしたが、ここはアメリカ。同じようにはいきません。しかも、私の宿泊施設がある場所は、DCの中でもデンジェラスエリアの境界にあるという事実を、昨日知りました。。。汗
周囲で長期滞在している方からは、「とにかく暗くなったら外にでないこと!」と口が酸っぱくなるほど言われているので、そこはしっかりと肝に銘じて行動したいと思います。
というわけでセントラルキッチンでは、土曜日の午前中の時間枠で活動する予定でおります。

中国四川省地震救援ニュース 103

みなさま
いつもお世話になっております。
 CODEより中国四川省地震救援ニュース103が届いておりますので、
お届けします。
 よろしくお願い致します。
——————————————————————–
久しぶりにYさんレポートをお届けします。

「重陽」という言葉をご存じだろうか。
陰暦(旧暦)の9月9日を日本でも「重陽の節句」、「菊の節句」と呼ばれ、五節
句のひとつでもある。陽が重なると書くが、中国では奇数が陽数、偶数が陰数と
呼ばれ、1月1日(元旦)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)な
ど陽数の重なる節目の日に様々な行事を行ってきた。最大陽数である「9」が重
なることから「重陽」(ちょうよう)と呼ぶようになった。かつてこの日は、
「菊の節句」の名の通り、平安時代は「観菊の宴」も催され、菊の花を飾った
り、菊酒(花びらにビタミンC.Eを含む)を飲み、邪気を払い、長寿を祈ったと
言われる。そこから現在、中国では旧暦の9月9日は「老年節」(敬老の日のよう
なもの)と呼ばれている。日本では旧暦はすっかり影を潜めているが、中国では
現在でも祝日や誕生日など旧暦が日常生活に用いられている。
 CODEが震災直後から支援している北川県光明村で「重陽節」の祭りを兼ねた
「中日友好聯歓会」を開催した。震災後から今回で3回目になるが、村の財政不
足やそれぞれの経済的事情によって中止という話もあったが、老年活動クラブや
村人有志の熱い希望とボランティアの協力で実現する事になった。
老年節という事で客席の最前列には村の高齢のじいちゃん、ばあちゃんの席が用
意され、チャン族の伝統的な音楽、踊りに始まり、村人の歌や芝居、そして日本
人、韓国人、中国人ボランティアの歌なども披露され、その後の宴まで大いに盛
り上がった。
最終演目の「朋友」(友達)という中国語の歌を全員で歌い終わった後、僕らが
そでに下がろうとした時、「そのまま!」と呼び止められた。すると、村で一番
の仲良しであるお母さん、Xさん(38歳 女性)から大きな額をプレゼントされ
た。そこには「中日友好一家親」(家族のような中日友好を!)と刺繍で書かれ
てあった。このXさんは、村の中でもひときわ経済的に大変な状況にあり、再建
した自宅も資金不足ゆえに未だ2階部分は完成していない。そんな状況の中、こ
の日の為に数カ月もかけてコツコツと刺繍を仕上げたと思うと涙が溢れた。最近
よく、Xさんは、「何もしなくていい。ボランティアの皆が顔を見せに来てくれ
るだけでいい。」とつぶやく。やはり、目の前のひとりひとりと確実につながっ
ていく事が本当の国際理解を創り出していくのだろう。
 奇しくも、この祭りの行われた10月16日の同時時刻、四川省の省都、成都で大
規模な反日デモが行われた。被災地の小さな農村では暖かい祭りが行われ、一方
では過激なデモが行われる。日本にいると一部の報道が、すべてであるように
思ってしまう。
震災は、これまでの価値観を大きく転換する機会にもなると言われているはずな
のに。。。
————-

時差14時間

11月7日午後2時に、サマータイムが終了しました。
これによって、日本とワシントンDCの時差が1時間広がり、14時間となりました。
ちなみに写真右下のPCが日本時間11月9日午後の時刻、腕時計がワシントンDC時間11月8日午後の時刻です。
time.JPG
日本ではなじみがありませんが、サマータイムとは、夏の間の日の長い期間に、時計を1時間進めて昼の時間を長くする制度です。欧米を中心に世界の約80ヶ国で実施されています。長くなった時間で余暇を楽しむことができ、照明や冷房の省エネルギー対策としても期待されているとか。
長くなった時間で余暇を楽しむ・・・なんて発想はあまりなかったですねぇ。日本にもしサマータイム制度があったら、長くなった時間で「今日の仕事が片付く!」と、結局は仕事に時間を費やしてしまいそう。結果的に過重労働に追い打ちをかけるとみなして、日本ではとりいれていないんでしょうか。。。(でも個人的には助成金の応募締め切りがギリギリの時などはとてもありがたいと思うのですが、貧相な発想かしら?)
その、サマータイムがこの度終了したので、1時間進めていた針を1時間戻したわけです。切り替え当日は、「1時間長く寝られる~」と宿舎のみんなは喜んでいました。
もし、このブログを読んでDCに想いを馳せて下さる方がいらっしゃれば、「今何時頃かな?」とそっと思い浮かべてみて下さい。日本時間の昼夜を逆転させて、2時間戻した時間、それがDCの現地時間です。浦野が大口開けて爆睡してるだろうな~とか、学校でヒーヒー泣いてるんだろうな~とか、思い浮かべて頂ければ幸いです。

今年も販売!田麦山の魚沼コシヒカリ

みなさま
 いつもお世話になっております。RSY事務局藤田です。
 新潟県中越地震から6年が経過いたしましたが、毎年ご好評をいただいており
ます田麦山のおいしいお米を、あいち生協さんのご協力のもと、今年も販売する
ことになりました!
 
 田麦山のお米は農薬が通常の5割以下で栽培された特別栽培米です。
生産者の顔が見える本物の魚沼コシヒカリを、ご自宅・ご贈答・お歳暮にも、
どうぞ。
特別栽培の魚沼コシヒカリで、この値段はお値打ちです。
※田麦山とは?
新潟県北魚沼郡川口町にある地区。2004年新潟県中越地震で甚大な被害を受け、
建物の9割が全壊ないし半壊となりました。
※お米を販売するにいたった経緯
災害直後の一時でなく、被災地の本当の復興までを微力ながらもお手伝いしたい
というボランティアの思い、災害をバネに地域の再生をしたいという地区の方々
の思いが、お米の販売という形で実をむすびました。
販売にあたっては、あいち生協さんのご協力のもと、愛知での販路につながりま
した。
<価格>
お米5kg(1袋)¥3080×数量+送料実費
送料の目安:5kg¥500~600、10kg500~¥800
      以降10kg増ごとに+120
ご注文は、RSY事務局までFAX(052-253-7552)またはメール
(info#rsy-nagoya.com)で、お願いします。
※メールの場合は、上記アドレスの#を@にかえて送信してください。
◆◆◆締め切り:12月6日(月)まで◆◆◆
++++++++ ご注文欄 ++++++++
ご注文数:お米5kg(1袋)×    袋
お名前:
ご住所:
電話番号:
FAX番号:
Eメール:
お渡しの方法:送付 or RSY事務所までお引き取り
++++++++++++++++++++++++
 よろしくお願いいたします。

11月6日おしゃべり食堂の報告

みなさま
 先ほど第13回おしゃべり食堂が終了しましたので、報告します。
 今日は会員さん、ボランティアさんなど合計9名で食事をしました。
P1060526-s.jpg 
 メニューはこちら!
 ・味噌煮込みうどん
 ・春巻き
 ・肉じゃが
 ・きんぴらごぼう
 ・切干大根と銀杏の煮物
 ・きゅうりの醤油漬け
 ・白菜の塩漬け
 ・さつまいものひと鍋クッキング
 ・オニオンスープ
 ・「アントレ」(差し入れのお菓子)
 終了後数時間経ちますが、まだお腹がはちきれそうです…
 
今回のひと鍋クッキングでは、港区のHさんに提供していただいた、おいしいさつま芋を使用させていただきました。
 ポリエチレンの袋に角切りにした芋、小麦粉、砂糖を入れて口を閉じた後、お湯をはった鍋に入れて煮ると鬼まんじゅうになるという、簡単便利なものでしたが、とってもおいしく出来上がりました。
 他にも、煮て柔らかくなった芋を袋の上からつぶし、ペースト状にしてスイートポテト風にするなどの方法も試してみました。また、卵黄やバターなどを加える・加えないバージョンを作り、食べ比べをしました。
 「バターを加えると洋風になるね。」「お年寄りにはバターを加えていない方が好評じゃないかな。」「卵黄を加えているのも、加えていないのもあまり味はかわらないね。」「だったら、卵を入れるとアレルギーを持っている人が食べられなくなるから、入れなくてもいいね。」など、様々な意見が出ました。
P1060522-s.jpg
 ひと鍋クッキングは、前回の茶碗蒸しと合わせてこれで2品目になりますが、レシピ集を作ろうという話も出ております。このような活動に興味のある方!一緒に防災食を考えませんか?お気軽に事務所までお問い合わせください。
 次回は1月の中旬頃を予定しております。日程が決まり次第連絡をいたしますので、よろしくお願いいたします。

幸運を願って2

今日は語学学校のテストのでした。
テストなんて10年ぶりぐらいでちょっと緊張しましたが、私は超初級クラスなので、1時間半程度のリーディングとヒヤリング、スピーキングの簡単な内容でした。
結果はあえて書きませんが、何とか終わってホッ。
そして、1カ月間一緒に勉強したクラスメイトが、また一人、プログラムを終えてロシアに帰る日でもありました。なかなかコミュニケーションがとれない私に気楽に話しかけてくれたり、日本のことに興味を持って色々聞いてくれた人でした。
ほぼ1カ月毎日のように顔を合わせていたので、来週から彼女がいなくなると思うと寂しさがこみあげてきました。
そこで、出会いの記念にまたまた恒例の(?)折り紙小物をプレゼントしました。
小物入れのふたに「幸(happy,peace)」「愛(love)」と筆ペンで書いて、鶴の親子を入れました。
nataria figt.JPG
手渡すと、「amazing!」といって、抱きしめてくれ、一緒に記念写真をとりました。(肩を並べてとったはずなのに、顔の大きさが1.5倍も違うことに若干のショックを受けましたが)
nataria.JPG
一つひとつの出会いが、自分に学びと気付きを与えてくれます。
「一期一会」の気持ちと感謝の心をいつも忘れずに、ここでの時間を大切に過ごしていきたいです。

ふとした光景

ここワシントンDCでは、車椅子の方をよく見かけます。
1日数回は必ずすれ違います。
歩道を電動車いすでまっしぐらに進む人もいれば、自分の体にぴったりと合わせた手動の車いすで、坂道を一気にこぐ姿などもあります。
このような方々のほとんどのケースが介助者がいないというパターン。
一人でもある程度行動できるまちの作りや人の動きになっているのです。
私の渡米前の情けない骨折経験からすると、日本で(名古屋で)車椅子生活を送る場合、地下鉄でも、スーパーでもどこでも大体介助者の手が必要になります。でも、DCの場合、まず地下鉄のホームと車両の間に段差がないため、日本のようにいちいち駅員さんにスロープをお願いしなくてもよいし、エレベーターも完備しています。
道路はぼこぼこの場所も多いけど、路の切れ間には必ずスロープがついているので移動はスムーズです。日本の場合、スロープがあるところと無いところがあるため、ちょっとした段差で先に進めなくなるのではないかという恐怖感がいつもあります。
また、辛そうに坂道を上がる人を見つけると、必ずどこからともなく人がやってきて手伝います。今日もバスに乗ろうとしていた車椅子の方の周りに4~5人が取り巻いており(みんな他人だと思われる)、「先に乗せてやれよ!乗りやすいところにちゃんと車を付けろよ!」など、本人の代わりに運転手に訴える声が聞こえました。
頼まれてもいないのにすぐ手を貸す。頼まれてもいないのにすぐ声を出す。これぞ、アメリカ式「おせっかい」の一つの形です。
地下鉄に高齢者が乗ってきたら、必ず若い人は早々に席をゆずります。私が今まで遭遇した中では、席譲り率は100%でした。そこに関わる全ての人が、ごく当たり前のこととしてやっているように見えました。(中には若い女性から席を譲られたおじいさんが、「レディーファースト」とい言って、かたくなにその席に座らなかったというパワーンもあったけど)。
日本だと、周囲の目が気になって恥ずかしい、かえって相手が嫌な気持ちにならないかしら、など深読みをするがあまり、なかなかここまでのオープンさはないのではないのでしょうか。もちろん双方にそれぞれ善し悪しはあると思いますが。。。。
でも、この光景にはいつも感心させられます。