宮城県七ヶ浜町報告【第181報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第17号](2014年11月1日~11月30日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年11月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。

2014年11月11日で震災から3年と9ヵ月が経過しました。11月の七ヶ浜と云えば、七ヶ浜町の名物『ぼっけ』の季節。たまごを持っているメスが海底から上がってくる10月~11月の時期が一番おいしいお魚です。
七ヶ浜には他にも皇室献上品となっている海苔やウニ、アワビなどの美味しい海産物が獲れており、町内外で食べられています。しかし、七ヶ浜の漁業は震災直後は個人海苔業者は8割が辞めざるを終えない状況であったり、原発の風評被害で苦しんだりと、とてもこれから漁ができるかは見通しがつきませんでした。

震災前から漁師を続けている漁師さんは『海苔を乾燥させる機械も一台で家を建てられるくらいの高価なものだ。太平洋に面していてもろに津波の被害を受けたならまず、買い直さないといけない。でもそこまでやって海苔ができるかもどうかも分からなかった』と話してくれました。
そして・・・今。
震災前よりは事業者は減ってしまいましたが漁再開ができて、仮設暮らしながらも元気に漁師を続けている漁師さんたちがいます。
『俺たちは丘(海以外)での仕事はできない。その点では、浜や漁港近く、道路など綺麗にしてもらって本当に助かった。整備してくれて仕事ができるようになった。全国のボランティアさんたちに自分たちの頑張りで恩返ししていきたい。まだもうちょっと時間は掛かるけどね。』

震災関連の問題に加え、後継者不足、魚を食べない人(調理できない)の増加などで厳しい状況ではありますが、七ヶ浜の海の幸をみんなに美味しく食べてもらうことが一番と頑張る七ヶ浜町漁師さんの応援を宜しくお願いします!
※七ヶ浜町の海の幸の産直を行っている『七ヶ浜ぼっけ倶楽部七友会』も宜しくお願いします!

2014年度セットメニュー案内2014年度注文書

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〇震災当時、アパート3階の自宅の部屋まで水がきた。震災の時に同級生をなくした。10年間の友人だったからショックだったよ。
震災時、着るものをくれた優しい人がいた。世の中良い人もいるって思ったよ。
(女性:60代)

 

 

〇(集会場にはよく皆で)集まってなにかしてるけど引っ越す人もいて前より人が集まらなくなった。
子どもは名古屋に、孫は大宮で一人暮らしをしている。若い人は仕事が一番だからねえ。
(女性:70代)

 

 

〇本当だったら仕事して帰ってきてゴロっと横になりたいけど、仮設がせまくてゆっくりできねぇ。
新しく家が建ったらやろっと。
(男性:50代)

 

 

〇週に三回デーサービスを行っているんだけど行くと疲れるんだ。
知らない人いっぱいいて疲れてしまって帰ってくるとソファーで寝ちゃうの。週一でいいんだよね。
(女性:80代)

 

 

〇ボランティアセンターあるまで(足湯に)来るの?
(ボランティアは)皆「また遊びに来る」って言ってるけどこないんだよなぁ。一人も来たことないよ。
(男性:70代)

 

 

〇皆(ボランティアが)がこうやって来てくれて仮設の生活もいいな。もう1年が終わってしまう、早いな。
建てて4年の家、やられたんだ。4年だぞ。4年。本当に悔しかったよ。
(男性:50代)

 

 

〇今の仮設は寒いよ。今はとても楽しいね。大学生ボランティアさんが来てくれるから。
もう少しで公営住宅に移るから、大学生ボランティアさんと会えなくなる寂しい。
(女性:40代)

 

 

〇来年は、もうここ(仮設生活)も終わりよね。高台に増設されたとこの行くの。
震災時は、家の近くの避難所に行かないで別の高台にすぐ逃げたの。
「明日の朝には、家に帰ろう。」と言っていたのに戻ったら言えないの。もう悔しくてね、、、、薬も何も持っていかなかったから。
(女性:70代)

 

 

〇毎回この足湯が楽しみなんです。すごく良いわー。
生まれつき小指曲がってるの。手も小さいのよ。よくこの手で色んな作業してたなぁって褒めたい。
また来月お願いしますね。
(女性:70代)

 

 

〇仮設住宅にいたころは良かったけど、(再建した私たちとは)やっぱり壁がある。
中央公民館とかの施設が仮設の近くにあるとそこにも行けないなぁ。
(女性:60代)
※仮設住宅から自立再建された方

 

宮城県七ヶ浜町報告【第180報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第16号](2014年10月1日~10月31日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年10月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。

2014年11月11日で震災から3年と8ヵ月が経過しました。
「来月引っ越すからすごく忙しいの」、「ハウスメーカーとの打ち合わせがいっぱいあって・・・」という声が多くなりました。
七ヶ浜町も仮設住宅からの引っ越しが本格的に始まろうとしています。既に引っ越しが終わって新居にお住いの方もいます。
来年4月には七ヶ浜町で初となる災害公営住宅の入居も予定しており、対象世帯は大忙しです。
その中で「引っ越ししたくないなぁ。せっかくここの仮設のみんなと仲良くなったのにまたバラバラになるんだから」
という声を聴きました。七ヶ浜町の移転は『元住んでいた地区に戻るように』という話になっています。
これは地区内の団結力が強い七ヶ浜町ならではで、以前とった町の意向調査で多くあった「元に地区に戻って顔見知りの人たちと生活がしたい」
という住民の声に合わせた政策でもあります。しかし、3年半以上も共に過ごしてきた仲間たちとの絆も無に出来ないというのも今の心情です。
移転してしまうと車でもなければ会いにいけません。地区間の交流が生まれるチャンスなのではという声も聴きました。
大事なのは今であり、この先のようです。状況は刻一刻と変わっていくのだと感じました。
今の想いに耳を傾け、住民の皆さんのためにできることを。

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〇こんなこと(震災が起きて仮設に住む生活)になるとは思わなかったからね。(被災当時は)下着が無いのが一番困った。
(家に居ても)することないし動かないから、食べれないし震災前より13キロ痩せた。
(集会所に来ている子どもたちを見て)遊ぶところがないからね。家の中じゃ走ってすぐ怒られるし、道路は危ないし、しょうがないけどね。
(女性:80代)

 

〇津波が来る前は1人で店をやってたのよ。今は歳も歳だから、できないけど。
私も自分に甘えないで頑張りたいわ。家ができるのはもうちょっと先だねぇ
(女性:70代)

 

〇私の娘は誰とでも仲良くなれる子だ。一番話さないのは(母親の)私とだよ。
二人で暮らしているけどあんまり会話しない。娘は昔に料理しに県北に行っていてね、得意なんだ。
家事は全部、娘にやらせてる。私は何もしないんだ。
(女性:80代)

 

〇初めて足湯に来たのよ。時間あったから。今日は美味しいご飯も食べれたし、来てよかった。また来るね。
(女性:70代)
※足湯の前に集会所内で住民の皆さんとボランティアでお食事会を行った。

 

〇毎週土曜日に集会所来てんだけど、いつも(集会所)いるおばさんたちは足湯があること教えてくれないんだ。
久しぶりに足湯に来たわ。気持ちがいいわ。集会所使わなくても外のベンチで夕方5時30分くらいまでいっつも話してる。
(男性:80代)

 

〇クロダイもスズキも獲っても売れない魚なんだよ。もう東電の買い取りもなくなったから捨てるしかない。
カレイが獲れるから漁師としてやっていけるけど、カレイに放射能出てたら漁師辞める人が多かったかもな。
(男性:40代)

 

〇仮設は狭くて、ストーブとか置けないんだよね。私はもうコタツを出してるけど歳も歳だし片づける大変だからずっとそのまま。
なんだかこの頃急に寒いんだよね。隙間風が入っている訳でもないんだろうけど・・・。今年の冬は大雪降らないといいなぁ。
(女性:80代)

 

〇あっという間にお正月だよ。仮設住宅での冬越えが4回目になるなぁ。本当に一年間早いよ。
(男性:70代)

宮城県七ヶ浜町報告【第176報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第15号](2014年9月1日~2014年9月30日)

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お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年9月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2014年10月11日で震災から3年と7ヵ月が経過しました。

「今年は残暑って言葉もなかったなぁ、いっきに冷え込んだね。去年と違って9月初めだっていうのにふとん掛けて寝てるよ。」
「仮設は暑さと寒さに弱いんだよ。3年経つから慣れたところもあるけどね」
「だから、この時期の足湯はいいんだよ~。足湯は足だけじゃなく身体全体温まるからね。それと心もね~。」
足湯の際、仮設住宅集会所内には笑い声が響き、和やかな空間が自然と作られています。

2011年3月の避難所の時から続けている七ヶ浜足湯ボランティアも3年が経過したことになりますが、
最初はこういった場ではありませんでした。
続けているからこそ、住民の皆さんとボランティアさんと交流があってこそ、今の雰囲気が出来ました。
「仮設住宅から出たら足湯もなくなるの?公営住宅でもやって欲しい」という声も多くなってきています。
住民の皆さんの声を聴き、これからのボランティアの形を考え、現地での活動を継続していきます。

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〇七ヶ浜で半漁半農をやってたのよ。忙しくてマニキュアぬる間もなかったけど、今はここに来てやってもらってるのよね。
ボランティアの皆が来てくれて、色々とやってくれるから勇気が出て来たよ。
みんな流されて失ったもは大きいけど、助けられて得たものも大きいから、感謝だね。
(女性:60代)


〇この指輪は(持っているのは)最後の指輪だ。他のものが全部流された。
この仮設は住みやすい。木材だから一番いいよ。
(女性:80代)


〇70歳過ぎて喘息になって(首の後ろを指して)ここもね、切っちゃって、左手の薬指と小指がしびれてるんだ。
2番目の子が生まれてすぐ、お父さん亡くしちゃって、海でね、漁に行ってる時に船が沈んじゃってね。
お父さんが33歳で私は27歳のときにね。もうだめだと思ってお父さん追いかけようと思ったんだけど、
それでも、仕事も見つかったから何とか子供大きくしてね、なんとかなったんだよね。周りのみんなのおかげだね。
(女性:80代)


もともと名取のあたり出身で昔は相野釜にも海水浴に行ったのよ。息子は震災後に生まれて今三才。
ここ(仮設集会所)だとおばあちゃんおじいいちゃんがいっぱいいていいわぁ。
震災前は休みの時は福島とかまで遊びにいってたんだけどね。今は息子もいるしちょっと心配で福島には行ってない。
(女性:40代)


〇今日足湯は初めて。今までは恥ずかしくて来られなかった。今日は妻が行こうと言ったから来た。
毎日することがなくて困っている。好きなことがない。話もできない。何もできない。趣味もなくて困っている。
(男性:80代)


〇津波で何もかもが持っていかれたよ。築四年の家だったんだよ。家だけで2400万もかかったんだ。
借金だけ残ったよ。何もないのに払わなきゃなんねえ。あいや、地獄だね。
(男性:50代)


〇来年の3月には高台に新しい家ができるんだ。ひ孫といっしょに暮らせる。今から楽しみだなー。
(女性:70代)


〇毎日編み物しに(集会所に)来てる。マフラーや今はひざかけ編んでる。
東京の息子が一緒に住もうと言ってくれたが、やっぱりこっちの方がいい。暮らしやすい。
(女性:70代)


〇腰が痛い。指も(まがって)まっすぐなんねえんだ。ほれ。この間、病院に行ったんだけども長く通う必要あるって。
長い間、百姓やってたから手ががっちりしてんだ。震災の時は本当にサバイバルだった。
二か月もお風呂い入れないし、痒くて痒くて。仲間失くしてさ。一か月半くらい見つからなかったんだよね。
(男性:50代)

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RSY七ヶ浜事務局では毎月足湯ボランティアを募集しております
くわしくは七ヶ浜町のボランティアセンターのブログをご覧ください。

宮城県七ヶ浜町報告【第173報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第14号](2014年8月1日~2014年8月31日)

皆さま
お世話になっております。

 

RSY七ヶ浜事務局です。
宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年8月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。

 

2014年9月11日で震災から3年と6ヵ月が経過しました。
8月中旬から、西日本の各地域で局所的な集中豪雨が続き、大きな被害が出ています。

『テレビで兵庫県の被災状況を見て、すぐに丹波市から来ていたボランティアさんに電話と手紙を書いた。
幸いその人の自宅は被害がなかったみたいだけど、町内で大きな被害を受けたみたい。その人は丹波市でボランティアをしているそうだよ。
その人はこっちで地震があったら心配して電話くれるんだ。そういうの嬉しいよね。この歳になって新しい友達ができた。
震災が無かったら出会わなかったわけだからね。』と話すのは仮設住宅にお住いのAさん。
『歳も歳だから、現地に行っても役に立たないだろうから行けないけど、七ヶ浜でできることがあればなんでもやるつもりだよ!
タオルなんかいくらあってもいい。なんでも使えるし、それと募金活動もやろう!』とも話されました。

七ヶ浜町民有志の皆さんは、『助けてもらった皆さんのために少しでも、自分ができることをしたい!』
と、募金や支援物資を集め、水害被災地へ送る活動を行っています。
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〇ここ(仮設)に来てから体調がおかしくなってね~。みんな体調崩してるんじゃないかな。
(震災後)初めて夏風邪ひいちゃってね。
高台移転じゃなくて、他の所にあった自分の土地に家を建てる事になったの。
もうこの頃疲れて、ご飯を作るのがいやになる。でも家族に食べさせなきゃいけないから。
(女性:70代)

 

〇震災前は病気とか全然しなかったのに仮設住宅になって色々な病気にかかるようになった。
血糖値、血圧、コレステロールが上がった。 仮設はストレスがたくさん溜まるけど足湯に来るとリラックスできる。
(女性:60代)

 

〇ふくらはぎがうっ血して病院行ったんだ。
私は気付かなかったんだけど、この前に検査いったとき病院で先生がみつけたんだ。今は薬飲んでるよ。
スポーツ観戦は好きだよ。亡くなった旦那が好きだったんだ。今は一人でスポーツ観戦やってるよ。
家で一人でTV見てただけだから、集会所に遊びにきてみたんだ。
(女性:70代)

 

〇飲み水はペットボトルのを買って飲んでる。(仮設の)水道水はおいしくない。
(女性:80代)

 

〇一人暮らし用の仮設住宅は台所がせまくて、まな板が置くところも狭いんだ。
震災前より、料理がしづらくなった。
(女性:70代)

 

〇私たちは何もできないけどこうやってボランティアの若いひと達が来てくれて元気が貰える。
家族が七人いるが仮設は狭くてみんなで住めない。家族の半分は隣町に住んでいる。家賃は9万。高いし大変。
小中学生もいて転校できないので、自分もここに居る。自分も早く隣町に行きたい。でも、集会場に来て皆と話すのも楽しい。
(女性:70代)

 

〇久しぶりだな。太ったんでないか。
足はまだ治ねくてさ。病院替えたっけなんぼか楽になったけどや。
足ひどくて(老人センターに)将棋指しにいけねんだ。あそこは被害受けてねえ人もきてるんだ。
ここ(集会所)には将棋できる人いねえから出来ねえんだ。
(男性:80代)

 

〇東京に孫がいてね、女の子なんだけど、私は子ども2人とも男だから嬉しくて、介護の仕事をしてて東京で暮らそうと言われたけど、東京はちょっと…
ここ(七ヶ浜)はいいねぇ。最初の頃はここ(集会所)には(私を含めて)二人しかいなかったけど(今は)人が来てる。おしゃべりするのが楽しくて、毎日来てるんだよ。
(女性:70代)

 

〇被災から3年半になるんだよね。随分経ったんだねぇ。全然そんな気はしないんだけど。
2年前に仮設から出て、息子のローンで買った家に入ったけど仮設に居た方が良かったのかも。
引っ越し先は周りは住んでるのか住んでないのか分からないくらい、人を見ないので寂しい。
元居たところが賑やかな部落だったから余計にね。車でも運転できればどこにも行けるんだけどね。私は免許ないから、家にいるばかりだよ。
(女性:60代)
※仮設住宅から自立再建をされて引っ越された方

宮城県七ヶ浜町報告【第171報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第13号](2014年7月1日~2014年7月31日)

皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年7月号をお伝えします。「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。

8月11日で震災から3年と5ヵ月が経過しました。
全国的に夏真っ盛り。七ヶ浜町は浜風が吹いていて涼しい時もありますが気温が高く、暑い日が続いています。
「正月は集会所休みだったけど、お盆は開いてるらしいんだ。集会所開けてもらって良かったわー。やることないからお盆も家にいるんだよ。そういう人たち結構いるんじゃないかな。
お盆だからといってやることがない。家にいてもTV見て寝てるだけ・・・だから集会所に来てみんなと話していたほうがいい」
と話すのは足湯に毎月来ている仮設住宅にお住いの方です。
最初は「集会所ってどう使えばいいの?」 という戸惑いの声が多くありましたが、
今は集い/憩いの場所、イベント会場だけなく、生活サイクルの一部としても欠かせない存在になっています。
仮設からの「移転先(高台移転/災害公営住宅)で、そういった場所が作られるのか」というのも住民の皆さんにとって、新生活の重要なポイントとなっています。

今の想いに耳を傾け、住民の皆さんのためにできることを。

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○仮設のみんながここ(集会所)に集まるんだ。みんなで集まれる場所は本当にいいなぁ。
ここは3時半にしまる。日も長くなってきたし、もっと長くまでやってほしい。でも、そういうわけにはいかないのもわかっているんだよ。
仮設(の集合体)は全部で6か所あるんだけども、みんなが集会所に集まれている訳じゃない。
(70代:男性)

○一年後には仮設から引っ越しだから、RSYやボランティアさんに手伝って欲しい。
(70代:男性)

○孫はもう働いているよ。高校卒業して、働いてて、仕事楽しいみたいだよ。
孫はなかなか七ヶ浜には来ないね。(仮設だと)泊まるところないから。
地震の前はよく来てたけど、夏休みとか。
(70代:女性)

○ここ(集会所)で編み物をしていると時間が早く過ぎるの。家に帰っても1人だから。
ごはんもほとんど買ってくるの、いつも1人だからパックでね。
くよくよしてても仕方ないから、人の話(悪口など)はせず、自分の話でみんなを笑わせるの。
(70代:女性)

○(編み物は)高校生の頃からやってるけど、私のおっかさん(お母さん)はもっと上手なんだ。
編み物をしては誰かにあげるのが楽しいんだ。何もすることないし・・・。
(70代:女性)

○俺の手、夏でも冷たいんだ。血が通わねぇのかな。
(月1回の足湯だけど)月に2回くらいきてもいいんだぞ。次はいつ来るんだ?
(70代:男性)

○足湯にはよく来てるけど、今回は久しぶりに足湯に来たの。
足湯はやっぱいいねぇー。気持ち良かったよ。ありがとうね。
(70代:女性)

○公営住宅に入る前も不安だが、入った後も不安がある。どんな人が隣になるかで生活の差が出てくると思う。
私みたいな障害を持っている人はなおさらだ。実際に入ってみたいと分からない。でも来年、また元住んでいた地区に戻れるってのは嬉しいね。
(80代:男性)
※町外みなし仮設在住で、来年度七ヶ浜町の災害公営住宅に入る方

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宮城県七ヶ浜町報告【第166報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第12号](2014年6月1日~2014年6月30日)

皆さま

お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年6月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
7月11日で震災から3年と4ヵ月が経過しました。
7月後半から町内でも各地区の夏まつりが行われる予定で、子どもたちも夏休みを楽しみにしています。
海も子どもたちの遊び場/学び場の1つですが、七ヶ浜町の観光名所「菖蒲田浜海水浴場」は今季も海開きは出来ませんでした。
しかし、現在行われている堤防工事も進み、来年度にはもしかしたら海開きができるかもしれないという声も聞いています。
一年後の話となりますが、皆さんも情報を待っていてくださいね。海水浴場がオープンしたら是非遊びに来てください。
「津波に耐えた松の木は曲がっているけど、ちゃんと立っている。私たちも負けてらんないな」
「仮設住宅にいると地元には行く機会がない。こうしてたまに通るとやっぱり恋しくなる。地元に戻りたい」
仮設住宅から地区の体操教室向かう車の中である1人のお母さんが発した言葉です。
いつもは集会所で笑っているお母さんたちも、3年経った今も現実と向き合わなくてはいけない状況にあるのだと改めて感じました。
今の想いに耳を傾け、住民の皆さんのためにできることを。
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お父さんと2人だとね、息が詰まっちゃうからこうして集会所に来るんだ。
(集会所では)足湯とかマッサージがあるからね。
ここに来るとみんながいるからね。おしゃべりして帰るの。
遠くから(来てくれているボランティアさんは)本当にありがたいよね。ここは何もない所なのにね。
(60代:女性)

3年以上たっているからイベントとか少なくなってるでしょ?
それでもこうして来てもらうとありがたいよねぇ。
(60代:女性)

仮設住宅のまわりは石がごろごろしているところが多いから、
この間転んで、ヒザのお皿にヒビが入ってしまったの。
一ヵ月も入院したのよ。家族に迷惑かけちゃった。
今でも膝が痛くて、腰も痛いの。
特に体を動かし始める時が辛いね。横になってると楽なのよ。
(70代:女性)

(仮設住宅から)どんどん人が少なくなっている。寂しいね。来月友だちも(引っ越して)行っちゃうのよね….
私たちは旦那と二人だから家は建てない。元の家に帰りたいけど、息子に反対されているから災害公営住宅に入る。
主人は鎌倉に旅行に行っていて、今晩帰ってくる。私は足が悪いから集団の旅行には行けない。
人に迷惑を掛けたくない。買い物は主人の車で行っている。
(70代:女性)

被災直後は地域のために炊き出し、食料の配布などで忙しくて涙を出す暇も無かった。

その当時から比較すると気持ちの上でも落ち着いてきた。
(80代:女性)

ここの仮設は(私と同じ)A浜の地区の人が多いし、もともと知り合いの人がいるから楽しいよ。
(仮設から)自分で家を建て出て行った人も何人かいるよ。
私は家はもちろん、土地も再開発で買い上げになったから本当に何もかもすべてなくなってしまったの。寂しいよ。
(70代:女性)

旦那が80歳だからお金も借りられないけど、何とか土地だけは買えたの。
だけど建設はいつになるやら・・・。新しい家が建ったら泊まりに来てね。
(70代:女性)

(東京でやる)オリンピックのことは嬉しくない。私たちは置き去られている。
政府は全然私たちのことを考えていない。復興はやることリストの10番目ですよ。
(60代:女性)

集会所の近くの部屋(仮設住宅)に住んでるけど、集会所に来たのは初めてだね。
今日は多賀城に住んでいる孫を預かっていて、散歩したいっていうから孫だけじゃ危ないからついて来た。
ケンカばっかりしてるけど、かわいいね。
(60代:男性)

津波で家を流されちゃった後にね、娘が仙台に住んでたからずっとそっちにいたの。
でもおじいさんが手術したり、転んで大腿骨骨折したり、姑さんも物忘れがひどくなってたから七ヶ浜に戻ってきたの。
ずっと離れていたけど、ここの人たちみんな良い人たちで、声かけてくれるから良かったわ。
足湯も初めて来たんだ。気持ちがいいね。この(足湯で使っている)バケツもいいね。家でもやってみたい。
(70代:女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第160報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第10号](2014年4月1日~2014年4月30日)

皆さま

お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年4月号をお伝えします。
つぶやきからは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。東北の春は若干遅く、4月中旬が桜の見ごろでした。 

仮設住宅近くにも桜が植えてあり、仮設住宅の皆さんで集まって花見をしていたようです。
「今年も仮設で花見になったな。来年もがや?再来年もがや?」
皆さん笑いながら話していますが、「言葉通り」でいつになるのか分からない状態です。
仮設住宅の住民の皆さん個々でそれぞれ目標はありますが、
「仮設住宅から出て『高台移転して家を持つ/公営住宅に入る』」というのが、その人のモチベーションになっています。
町は高台造成工事にも力を注いでいますが、工事の進み具合を見ている住民の皆さんの中には納得ができていない人も….。
今の想いに耳を傾け、住民の皆さんのためにできることを。

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仮設住宅はこの時期(4月)でも寒くてねぇ、暖房つけてるの。
(手の指が)曲がっていてずっと痛いのよ。

(60代:女性)



震災のときはヨットハーバーの近くに住んでたんだよ。そこから近くのお寺に避難した。

またそこからヘリコプターに乗って役場の裏に避難したのよ。(ヘリコプターに)乗ったのは冥土の土産だね。
(避難したお寺は道がガレキでふさがれ、孤立状態になったためヘリコプターで脱出した。)
孫が3人でみんな女の子なのよ。(娘に)たまに散歩に連れて行かれてさ、この前は泉の方に温泉に入りに行ったよ。
将来は国際村のほうに高台移転するけど、まだまだかかるね。あと2年はここ(仮設)にいることになるかもね。

(70代:女性)


今は健康だよ。でも、血圧の薬を一錠飲んでるかな。
あとは息子がくれた「脳内核酸」という薬も。
これはボケ防止で広告に載っていたやつ。

でも一番のボケ防止はここ(集会所)で話すことな。

みんなと話すのがボケ防止になるよ。

(70代:女性)



やっぱり足痛ぇなぁ。痛くて(いつも将棋を打ちに行っている)公民館にも行けねぇし、すぐそこの野球場にも行けねえんだ。

木曜日に病院行ったんだ。4日にいっぺん行ってる。だから明日、病院さ行くんよ。
やっぱり身体のどこか悪いとおもしろくねぁな。背中と膝に注射打ってんだぁ。

(60代:男性)



今日はお兄さんたち(学生ボランティア)が来るから、息子が朝から張り切っていたのに今はぐっすり。
張り切り過ぎたみたいだね(笑)いつもみんなが来るのを楽しみにしてるんだよ。

(40代:女性)



この頃、体調が悪くてねぇ。原因は精神的なとこだよ。

家に居ても1人だから、(同じ仮設集合体内)お姉ちゃんとこに行ってるんだ。

ボランティアセンターに行くと、「ボランティアセンターに物を貰いに行っている」って思われるみたいなんだよね。
だから疲れちゃってね・・・。この頃行ってないのよ。

貰う時は「ここまで来れない○○さんの分も、もらってっていい?」って聞いてその人に届けてるんだ。

多めにもらったことなんてないよ。なんで、そんなこと言う人がいるんだろうねぇ。困っちゃうよね。

(60代:女性) ※仮設住宅訪問時



あがらいん。ばあちゃんとお茶っこ飲んでがいん~。
(※「どうぞあがって、私とお茶飲みしよう」の意)

足湯の時は、いつも声掛けしてもらってるね。ありがとう。

こうやって震災に遭ってだけども、日本に生まれてきて良かったってすんごい思った。

たっくさん応援や支援を受けたでしょ?外国からも。

この日本だからこうやって、仮設にも住まわせてもらったんだ。ありがでえっちゃ。

この仮設(4畳半一間)に来た時に、すんごい感謝したよ。なにも無かったからさ・・・。

こうやってなんでもそろってるところに入れてもらったんだ。感謝しないとだめだー。

またいつでも遊びさ来らいん。こうやってお話しよう。戸開けて「ばあちゃんー」って呼んでくれればわかるからー。

(70代:女性) ※仮設住宅訪問時



仮設住宅から出て、広い家に移ったけど友達と離ればなれになってしまった。

でも、最近仮設の集会所に来ていいよって日が作られたんだ。

「A浜の日」だったら「A浜に住んでいた人」、「B浜の日」だったら「B浜に住んでいた人」って感じ。

仮設住宅から出た人も来ていいから、元住んでいた同じ地区の人に会えるんだ。とっても嬉しい。

前からこういう会やったほうがいいって言ってんだけど、3年越しでやっとできたんだ。

(60代:女性) ※自立再建された方


宮城県七ヶ浜町報告【第155報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第8号](2014年2月1日~2月28日)

皆さま

お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年2月号をお伝えします。つぶやきからは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。

2月中旬には関東/東北地方を寒波が襲い、七ヶ浜町も雪が積もりました。
2013年度はガレキ撤去活動も少なくなった結果、ボランティアはほとんどいなくなり、
住民の皆さんだけで協力し合い、雪かきを行ないました。
間もなく建設から3年にもなる仮設住宅は、損傷も出ていて修繕をしながら使用を続けている状況です。
今回の雪の重みで雨どいや倉庫など、一部の設備が壊れてしまった家もありました。
『仮設に入居した時には「あと何年ここに住むのかな?」と言っていたが、3年経ってまだ仮設にいる。予定ではあと2年は仮設にいることになりそうだ。』
とため息もつく住民の方も。
今の想いに耳を傾け、住民の皆さんのためにできることを。
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雪は歩くところだけかいた。(昨日の大雪で)
前いたところの仮設の集会所でも足湯をやってくれたよな。
前いた仮設の場所はいま、きれいになった。たまに車で通るんだ。
ここの仮設は他の仮設から引っ越してくる人たちもいるから最後まで残るんだ。
中学校の校庭を空けないとダメなんだ。俺は高台移転するんだ。
(70代/男性)
※以前住まわれていた仮設住宅から、別の仮設住宅へ引っ越した方

わたしはここ(仮設)がなくなるまでいるつもりだよ。あと2,3年かな。
その時までこうやって足湯来てくれたら嬉しいな。若い人がいると元気が出るね。
(80代/女性)


息子の嫁が女の子を産んだ時はとても嬉しかったわー。その時ははしゃいでいたのよ。
一緒に暮らしている下の孫は、夜勤明けにもかかわらず私の心配してくれてるのよ。
とっても優しい子なの。
(70代/女性)


家では寒くて靴下ぬがないんだ。床から底冷えするから、寝る時は湯たんぽしてねてるよ。
(右足の足首が)震災のときやけどしてしまって冷えると痛いんよ。長距離歩くとはれるしさ。
病院とか買い物行くのにバスがほしいんだ。
そこ(集会所前)にバスひっぱってきてほしいって町長さんに頼んだけどダメだった。
(70代/女性)


この歳になると、段差が大変で、仮設のお風呂の段差がこんなに(手を広げたくらい)あるのよ。
「転んじゃダメだからね。」って娘によく言われるの。お母さんにも言ってあげてね。
最近、手の色が悪くなってきたんだよ。
(70代/女性)
毎日朝6時に起きてテレビのラジオ体操をしているのよ。
寝たきりにはなりたくないからね。
昔は畑をしたりしていたけど今はプランターぐらいしかできなくて
それでも転んで入院してからしてないわ。
娘が来る時はスーパーに買い物に行くけれどしばらく来ない時もあるから餓死しちゃうわね。
魚屋さんなんかが移動販売に来るから助かるわ。
(70代/女性)

手足・足先が特に冷えるけど、ベッドに防寒シートを敷いているよ。
土地の買い取りで、登記書では〇〇坪だったのにずっと少なくなっていたんだ。
その分、隣の家の敷地は広くなって測量されたんだ、おかしいよね。
今までその広さで税金を払ってきたんだからさ。
(70代/男性)
孫が3人、ひ孫が5人いるの。
子どもたちは家を建てなきゃいけないから忙しくしているよ。
(80代/女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第152報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第7号](2014年1月1日~1月31日)

皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2014年1月号をお伝えします。

つぶやきからは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。

2014年元旦で震災から三回目の年越しとなりました。
「寒さを感じる季節になると震災を思い出す」という声もありますが、
この先に控えている防災集団移転や災害公営住宅入居の計画が進むにつれての期待と不安が入り混じった声が多くなってきました。
仮設住宅での生活に慣れが出てきたということは、その分長く仮設住宅に入っているということになります。
ボランティアも少なくなりましたが、足湯は続けていきます。
その人にとっての「これからの時間」をより良くするするためにも、「人の温かさ」に安心してもらうためにも。
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最近は寒いねえ。お風呂に入るときせまくて動けないんだよ…。
お正月はここ(集会所)が開いてないから、いつものみんなと会えずさびしかった。
(60代/女性)

昔は団体旅行なんか行ってたけど、みんなで歩いて自由がないよね。
今はもう年だからあまり行きたいところもないの。
集会所に集まって編み物をするんだけど、すぐ手の皮がむけちゃうんだよね。
震災のときに波にさらわれないように物につかまったりしたからそのせいかも知れない。
あ〜あったまった。前は手が冷えていたんだけど、足湯に来てから楽になったよ。
(70代/女性)

 

仮設に来てから足首が両足曲がらなくなってね、それでギブスしてるの。
左手の薬指と小指がシビれている。首のケイツイを切ってしまったあとから。
昭和7年に生まれて、七ヶ浜には昭和30年にとついできたの。
60歳の定年まで保育所とか学校で給食を作っていたんだけど、
定年してからゆったりしてたら身体が痛くなった。
家では一人暮らしだけど既製のコロッケとかは買わず、全部自分で作っている。
(80代/女性)

 

お正月は何もなく普通に過ごしていたよ。
神社に行ってあんこもちを食べてきたよ。
男の孫なんて、お年玉もらったらすぐ帰っちゃうからね、ほんと女の子が良かったよ。
最近咳がでるんだけど風邪ではないんだよね。
もしかしたら、アレルギー性の咳かも。前々から風邪じゃない咳はあるんだよね。
(80代/女性)

 

正月はどうせ一人だから毎日ここに集まってみんなで茶を飲んで笑ってたね。
初詣は1月1日に行って、小吉だったかな?
孫が来たけどお小遣いだけもらってすぐ帰っちゃうんだよー。
まあ仮設はせまくてずっと居たくないだろうしね。
(70代/女性)

 

2年後に引っ越しするんだ。
引っ越ししたら会えなくなってさみしいねえ。
(※引っ越したら足湯ボランティアのみんなに会えなくなると思っている)
また来月も来てね。
(40代/女性)

 

一緒に住んでいる息子にはあまり出世しないように言ってるのよ。
負担が大きくなるし、帰りも遅くなるからさ。
息子が二人いたんだけど、一人は5歳の時に海に落ちて死んでしまったの。
周りに親の責任だって言われて続けて大変だったわ。
(70代/女性)

 

昔は家族10人いたんだけど今は一人なんだ。娘の一人が隣町だから食べ物とか持って時々来るけどそれ以外は一人なんだ。
すんごくさびしいね。部屋で一人だからさ。
(公営住宅や高台移転で一緒に住むとかはないんですか?の問いに対し)私は公営住宅に入るんだ。
隣町に居る娘も家族がいて子ども(孫)がいるからね、私が一人で住むことになるよ。
集会所はたまに来てるよ、足湯も2、3回やったわ。また今度も来るね。またお話しようね。
怪我とか津波とかいろいろあったけどこうやって生きているんだ、生き抜かなきゃね。
(70代/女性)

 

今は息子夫婦と一緒に暮らしているけど何にも話さねぇな。犬の方が大事にされているわ。
孫が高台移転地に家を建てたら一緒に住むんだ。今は家にはほとんどいないわ。いつもお出かけしてるの。
昔は田んぼや畑を仕事にしていて、年金をもらう前は火力発電所の清掃員をしていたの。
七ヶ浜に来てどれくらいになるの?毎週金曜日に武道館で体操していて、「いつも居るな」って見てるのよ。
(80代/女性)

 

息子が青森に家を建てて自分にも来いと言っているけど、私は絶対にいかない!
公営住宅に申し込んでいるので七ヶ浜に残ってそこにはいる。
(60代/女性)

 

私は訳あって、仮設住宅を三回移動(引っ越し)した。
話をすることで気がまぎれるんだ。
次はいつだ?また足湯来るよ
(80代/女性)

 

自宅の再建はもう少し時間がかかって引っ越せるのは3月ぐらいになるかしら
私はあっちこっちに手すりをつけなければいけないから、これからその相談をすることになると思うわ。
この間ボランティアで来てくれていた外国人がまた会いに来てくれたのよ。嬉しかったわ。
新しい家の場所まで案内してこれで次に来るときに迷わないわねって話をしていたの。引っ越す前で本当によかったわ。
以前に名古屋の方から頂いたドンプクがしっかりしていてとても役に立ってるの。
目が悪くなってきて最近筆不精になってしまってお礼の手紙も書いてないの。
(60代/女性)

 

ボランティアさん今日はいねぇのか。ガレキなくなったからいなくなったのか。
ボランティアじゃなくても来れるように七ヶ浜の魅力をどんどん発信していきましょうよというと)なんもねぇよ。
七ヶ浜、どんどん人が出ていくんだ。もう人口も二万人きったはず。
(どっか出かけました?と問いに対し)この頃寒いし外出ないわ。
どこにもいかないってわけじゃないんだ。たまに、仙台とかにも買物いくよ。
でもさ、俺仙台行って「震災とか全然関係ない」って感じがした。
震災の年に仙台行って本当にびっくりした。ネオンとかビカビカだったし。
(50代/男性)

 

今日は○○さん(RSYスタッフ)に呼ばれる前に来ました。今年は呼ばれる前に足湯にくることにします。今度も呼ばれる前に来るよ。
明日14時から公営住宅の説明会なんだよ。私はA浜の公営住宅ところに行くよ。
一番大きいとこだから時間かかるんだね、来年できるみたいだけど今の落ち着いた生活でいいと思っている。
あっち(公営住宅)いくと家賃もかかるみたいだし。私たちみたいな高齢者は一階にしてほしい。二階まで階段で上がるのはつらいから。
明日はどんな話し合いになるかねぇ。
地元の神社に初詣にいったよ。若い人たちがいっぱいいたよ。もっと同じ年くらいの地元の人たちに会えると思っていたんだけど会えなくて残念。
なんでみんな足湯に来ないんだろう?こうやってお茶のみとかいいのにねぇ。
平日やるより土日にやった方がいいね。(今まで平日だったのだが、今回は土曜日)
(80代/女性)

 

この頃、みんな贅沢過ぎる気がする。孫たちも物を大事にしないときあるし。
そんとき息子は「震災の時を思い出せ。無駄にするな」って怒ってる。本当にその通りだよ。
このコップ一杯の温かいお湯もあんときはとっても重宝したんだよ。今は蛇口ひねればでるんだけどね。忘れちゃだめだよ。ほんとに。
仮設住宅は今年中に出なきゃいけないと思う。今年中に高台移転の時が整備されて家建つからね。
ここの仮設から(私も移転する)A地区に高台移転するのは4軒くらいだよ。

あとはB地区の方にいくんだ。だから公営住宅はいる人はここの仮設には居ないの。
でもさ、A地区とB地区は整備終わる時期が違うからね。A地区の人たちが先にここの仮設を出るんだ。
この前も私が仮設出てここに遊びに来たら「どちら様ですか?」って言われるんじゃないかってみんなして笑ったもんだよ。
私は家建ったらここの友達を招待したいんだけど、私が仮設の集会所に来ることは求められていないと思う。
だからたぶんここには来なくなる。
(70代/女性)

 

宮城県七ヶ浜町報告【第149報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第6号](2013年12月1日~12月31日)

皆さま
お世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。
宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2013年12月号をお伝えします。

つぶやきからは被災者の様々な現状をうかがい知ることができます
年末には顔なじみになったボランティアと「また来年にね。」とあいさつを交わす姿も見られました。
それと共に、また仮設住宅で年を越すということに複雑な想いをこぼす方もみえました。

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【つぶやき】
指輪のダイヤが気がついたらどこか行っていたよ。
もう1つのは本物の金で、2つとも震災の時は付けていたから無くなんなかった。
ネックレスは付けてなかったから無くしちゃった…。
年をとると指が曲がってく。いたくはないんだけど、としだね。
手が冷え性。足は大丈夫。今日はぐっすり寝れそうだよ。
(女性/70代)


以前に来たことあるよね?
昔は家中(車や船)にお正月飾りを飾っていたんだ
※今は仮設住宅で狭いのでそこまではしていない。

(女性/60代)


仮設はとなりの声が良く聞こえるから、「隣の人はケンカでもしているのかも」と思っているかもしれないけど2人で楽しくやってるよ。
(集会所とかの)共有で使う場所はグループが出来ているから・・・輪に入りづらい。
(女性/90代)
仮設が4畳半で、狭くて子供が遊べないの。だからほぼ毎日集会所には来てる。
子どもを抱っこするから手がぱんぱん。(足湯の一環で行う手のもみほぐしは)すごく気持ちいい。
(女性/30代)
(年末はどう過ごされるんですか?の問いに対し)どこにもいくところはないねぇ。
集会所さえ空いていればここ(同じ仮設の友達)のみんなと一緒に過ごすんだけどね。
集会所が年末年始は鍵が閉まっちゃうでしょ?だからダメなんだよね。
みんなで集まろうにも家の中は狭いし、人呼べない。。。
だから集会所にみんな集まって毎日お茶会やってんだ。
他の集会所はよく知らないけど、仮設サポートセンターも私たちに集会所のカギを預けてくれたら良いのに。
(女性/60代)
右足は大丈夫だけど左足が痛えんだ。
昨日だか病院行ったんだけど痛い。14年も痛えんだ。
来年もお待ちしてます。私は毎日ここにいるから。
(男性/80代)

娘と孫と住んでいる。ひ孫もいるんだよ。
家ではやることがないからテレビばかり見て過ごしているよ。
こういうイベントがある時は必ず参加するようにしている。
ボケ防止、外に出る機会を与えてくれてありがとう!
(女性/80代)

血のめぐりが悪くて。最近寒いわよねえ。
お医者さんから(標準体重より)20kgも多いって言われたのよ~
でも野菜嫌いだから…
娘には、死にたくないなら食べなさいって言われるのよぉ。
手があったかくなってきたわ。ありがとう。
(女性/60代)自分でやるのと人にやられるのとだとマッサージって全然ちがうね
家新しく建てるんだ。元取るためにもっと生きなくちゃね。
12月27日に家引き渡しだけど、お正月はここ(仮設)でゆっくりして、
1月にゆっくり引越する予定なんだ。
(女性/80代)

 

私は戦争も津波も2回経験したのよ。津波の前の年の3月10日にヒザの手術をしたんだ、だから歩けるし無事だった。
仮設は台所が狭くて、鍋も流されて小さいのしかない。作ったものを置く場所もない。
だから料理する気にならないよ。(仮設を出て)新しい所に入ってから死ぬって決めてんの。
(女性/80代)