宮城県七ヶ浜町報告【第83報】つぶやき

お世話になっております。RSY飯田です。
最近の地元の方の声をご紹介します。

●俺の家は、自宅の2階だけが残ったんだ。3月末にボランティアさんに掃除をお願いして、大勢で来てくれたんだけど、ゴミじゃないもの捨てたり、飼料を庭 にまかれてしまったりと大変だったのさ。それから家はそのままになってしまったんだ。まだ修理するか壊すか決めてないんだけど、片付ける気になれないまま 冬が来て…冬寒いから、ボランティアさんにお願いするのも申し訳なくてね…1年たって暖かくなったら、泥かきからお願いしてみようと思ってる。今 度は数人でいいから、一緒に話をしながら掃除したいな。先のことはわかんないけど、猫や鳥が入ってくるからガラスは新しくしたし、できたらまたここに住み たいんだ。(きずな館にて・60代男性)
●今仮設に住んでるんだけど、夏頃までは、引きこもって家から出れなかったり、何にも手につかなかった時期もあるんだけど、いろんな人の応援があって「こ のままではいけないなー」と思えるようになったのよ。今では、畑をしたり、ぞうきんを縫ってお小遣いを稼いだりしてるの。それに、知らなかった地元の人と お友達になれたり、遠くから来てくれるボランティアさんと知り合えたりして、大変だったけど嫌なことばっかりじゃないなーって。いいこともいっぱいあった の!本当にみなさんのおかげ。だから、これからは自分の足で歩いていきたいし、恩返しもしなきゃね。
(仮設住宅にて・70代女性)

●(菖蒲田浜前、基礎しかないご自宅を指さして)ここうちなの。毎日こうして見に来てる。子どもも一緒に来て、散らばってる玄関のタイルで絵を書いたりし て遊ぶの。雨が降った次の日は、物が見つかることも多いのよ。ここは庭なんだけどね、いろんな花の芽が出てきてて…咲くのが楽しみ。最近(敷地内に) ゴミを置いていく人がいるの。しかも隠すように見えない所に置いて。何もないけど、うちはゴミ置き場じゃないんだから。。(菖蒲田浜にて・50代女性)

●家にいてもやることがなかったから、つまんなかったんだ。ご近所さんも遠くになってしまったし、外に出るっていっても何したらいいんだか。でも、ここへ 来れば大好きな裁縫ができるし、おしゃべりしながら笑って過ごせるし、毎日楽しいんだ。こんなに(布やミシンなど)支援してもらって申し訳なく思ってしま うけど、応援してくれてるんだーと思うとがんばんなきゃって背中押される気分。本当にありがたい。春になったら、みんなでお花見に行きたいね。この辺は、 君が丘公園の桜がキレイなのよ。(きずな工房にて・70代女性)

すっかり生活が変わってしまって、毎日をどうすごしたらいいか困ってしまうよ。できるだけ午前中は、買い物や友達に会ったり、出掛けるようにしてるけど、 お昼を食べてから夕方までの時間がつらいね…ここの仮設には友達がいないし、寒い時期は身体の調子が良くないから、家でじっとしてるだけになってしま う。自分でも何してんのかなーって思う時もあるけど、何もする気が起きないんだ。何で助かってしまったんだろって、今でも思うよ。
(仮設住宅にて・60代男性)
———————————————————————————————————-
震災から1年経ちましたが、劇的に状況が変化したわけではありません。
変化する環境や生活に振り回される中、苦難を乗り越えるために様々なご苦労をされています。

そんな中、たくさんの地元の方から聞く「ボランティアさんに感謝」という言葉。
また七ヶ浜の方は、ボランティアバスを通じ、名古屋から来てくれる方との交流を楽しみされています。

RSYでは今後もボランティアバスの運営を行なっていき、地元の方を応援するプログラムを計画していきます。

 

宮城県七ヶ浜町報告【第82報】心無いゴミ問題

いつもお世話になっております。RSY飯田です。

七ヶ浜では、つい先日まで雪の降る寒さでした。
やっと桜の開花が待ち遠しい、春の足音が近づいてきています。

気持ちの良い朝の日差しに誘われて、菖蒲田浜へ散歩へ行きました。
その時に目にしたのは…
枯れた雑草や残された家の基礎の影に隠すように置かれている”新しい”空き缶・ペットボトルなどのゴミ。
中には、ボランティアセンターで配布されている水のペットボトルもありました。

また浜付近では、多くの方に出逢います。
毎朝ご自宅があった場所に、何か見つかるかもしれない…と足を運んでいらっしゃる方、
仕事ができなくなり仮設住宅での生活で息が詰まるからと農業を始めた方、海を眺めに来ている方など。
気軽に挨拶をしてくださり、時にはポツリポツリとお話をされる方もいます。

津波が押し寄せた地域は、ヘドロやガラス混じりの土壌、流された生活用品、枯れた木や雑草が広がり、
片付いているように見えても、人の手が入らないとキレイにはならない現状です。
しかし、人の手で町が汚されている現実に、悲しみと怒りを覚え、残念でなりません。

その翌日、軍手とビニール袋を片手に、散歩ついでのゴミ拾いを行うことにしました。
最近はそんな心無いゴミ問題にも「負けてたまるか」といった気持ちになっています。
天候にも左右されますが、無理なく続けていけたら…と思っています。

ボランティアきずな館の利用について

こんにちは。はじめましてご挨拶をさせていただきます。
今年度より、きずな館のスタッフとなりました、飯田 礼子です。

発災からの1年は、七ヶ浜を中心とした被災各地でボランティア活動を続け、
名古屋では、事務局のお手伝いをさせていただきました。

これからは七ヶ浜町に滞在し、地元の方々や応援してくださる皆様と一緒に、
1歩づつ前に進んで行きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

早速ですが、きずな館をご利用の皆さまにご連絡です。

きずな館利用時間等が変更となりました。
ご来館の際には、再度ご確認くださいますよう、お願い致します。
(ボランティアバスご利用の方は、活動スケジュールに準じます)

きずな館利用の注意事項_0501更新.pdf
—〇 きずな館利用案内 〇————————————————

●休館日:月・火

●宿泊不可日:日・月・火

●事務局 10:00~18:00まで

●宿泊受付:10:00~19:00まで

●開館時間:1F 共有スペース 7:30~20:00
1F 洗面・キッチン 7:30~21:00

●消灯時間:22:00

また、きずな館の清掃は、分担して行なっていただいています。
詳しい案内は、来館時にお伝えします。

きずな館 電話番号 022-355-7130
きずな館FAX番号 022-355-7131 <4/20追記>

 

物資の積みおろしをしました

皆さまtokaikensetsu.jpg
tokaikensetsu2.jpg

お世話になっております、事務局の関口です。
名古屋も桜が咲き誇り始めた6日、港区の東海建設さんからお借りしている倉庫で、物資の積みおろしや整理をしました。
急な呼びかけにもかかわらず、20人以上のボランティアさんが手伝ってくださり、とても助かりました。

この日、10㌧トラックと4㌧トラック2台分で届いたのは、「東京都葛飾福祉工場」から提供された災害非常食や家具転倒防止枠など。この工場は防 災グッズや避難グッズを専門に扱う社会福祉法人で、2007年の能登半島地震のころからRSYに物資を提供してくださるようになりました。東日本震災後は 東京を中心に需要が急増したそうで、こちらに回してくださる物資の数量もまさにケタ違いに。まだ肌寒い天気だったのですが、ボランティアさんも汗をにじま せながらの作業となりました。

この日はほかに、中部電力さんからも文房具などの物資をご提供いただき、ボランティアの小学生のお子さんと一緒に整理もしました。これらの物資は今後の災害救援や防災イベントでの活用のために保管、管理いたします。今後ともご協力よろしくお願いいたします。

宮城県七ヶ浜町報告【第81報】児童館の看板作り!

皆様

お世話になっております。ボランティアきずな館 郷古です。
4月以降も七ヶ浜町ボランティアきずな館のスタッフとして活動することとなりました。
今後とも宜しくお願いいたします。

今回は月1回行われている「親子支援プロジェクト」の「つながる遊び庭こどもアートしちがはま」とはまた別の子ども支援のイベントのご報告です。

七ヶ浜町子育て支援センターに一本の電話がかかってきました。
「はまぎく児童館です。4月からの新入生が快く生活して、遊んでもらえるようにきれいな児童館で迎えたいんです。まず看板を新調したいのですが、どなたか手伝ってくれる人はご存知ですか?」
というものでした。
※ここで予備知識としてはまぎく児童館の説明を簡単にします。
七ヶ浜町に3つある小学校には1年生から3年生までが利用できる児童館というものが必ず併設されています。
その中でも児童館の登録者数が最も多くそして最も賑わうのが汐見小学校の敷地内にある「はまぎく児童館」です。
震災当初も、他の2つの児童館の子どもたちをも受け入れ、3つの児童館の子どもたちをまとめ上げた先生たちのいる児童館でもあります。saisho.JPG
shokai.jpg
sakusei.jpg電話を受けた支援センターの方が、仮設住宅の表札作りや仮設店舗商店街の看板作りなどを手がけている私たちレスキューストックヤードにその話を持ってきてくれて、企画が動き出しました。

外においてあった表札として掲げていた大看板の外見はとても古く、黒くなり字が見えなくなっていたのです。
しかし、地元七ヶ浜の子で今回の大工メインスタッフ、しかも「はまぎく児童館」で遊んだことがある卒業生の松浦くんが「木自体はしっかりしているから表面だけ削れば大丈夫。新調はするけど伝統は残したい。」と言ってくれて元の木で看板作成がスタートしました。
もう一人の「はまぎく児童館」卒業生、佐藤くんも一緒に行いました。
彼はボランティアセンターのスタッフでもあり、当日はボランティアセンターから4人連れてきてくれて一緒に企画を運営しました。

3月28日、当日は晴れたり曇ったりと怪しい天気でした。
子どもたちと顔合わせてすぐに「それじゃ、看板を作ろー!」と言っても「誰だろう?この人たち」と思わせるだけで子どもたちも「一緒にやる」のではなく、 「一緒にやらされる」と思うのではないかと考え、13:00からの看板作りより早めに到着してオリエンテーションと称し、お昼を一緒に食べて少し一緒に遊 びました。

するとどうでしょう。すぐに懐いてくれて「このお兄さんお姉さんと一緒にやったらなんでも楽しい!」と思ってもらえる雰囲気が出来上がりました!そ して子どもたちはみんな、ちゃんと言うことを聞いてくれてそして準備も手伝ってくれて、わくわくしながら看板作り企画がスタートできました。
内容はというと・・?
表札である大看板の字は松浦くんが書いてくれていました。、その周りを他の木を使い子どもたちで「はまぎく」を描きました。
「はまぎく」は児童館の名前でもあり、そして七ヶ浜町の町花でもあります。
ペンキで手はもちろん足や顔にまでついてしまう子もいましたが、5のチームに分かれて仲良く笑いながら絵を描いていました。

ペンキを乾かしている間、北海道からやってきた児童館の「つばさクラブ」の6人がはまぎく児童館を訪れ、「はまぎく児童館」のみんなにけん玉と独楽 の芸を披露をし、「はまぎく児童館」の子たちは縄跳びと一輪車のショーをお返しとしてしました。どちらもとても上手で大人顔負けの素晴らしいスキルでし た。
tubasa.jpg
その片隅、黙々と作業し続ける佐藤くんの姿が・・・
彼は児童館の看板新調のために行ってはもったいないと思い、一人で壊れている箇所の補修をしてくれていました。補修を終えると別の仕事があるのでその場を 去りましたが、先生方はちゃんと見てくれていて感謝の気持ちを彼に伝えて欲しいとの言葉を頂いています。子どもたちも邪魔をせず、「すごーい」と見守って いました。
外に掲げる看板であったので雨風に負けぬようにニス塗りが必要でした。それもあり、28日中には完成ができませんでした。
日を改めまた30日に訪れ、今度は小看板作り班と補修班に別れて作業をしました。小看板は30日来れなかった佐藤くんが作ってくれたもので自立式の何にで も使える看板です。先生たちはお知らせを貼る看板にしたいと言っていたので子どもたちに下地に絵を書いてもらうことにしました。どんな絵を書くのか、どん な風になるか・・わくわく反面どきどきでしたが・・・・
なんと!子どもたちは「ここに花を書いて~」、「それじゃあ、ここにおひさまを書くね」、「わたしちょうちょ書くね!」などと連携をしているではありませ んか。集団生活をしている子たちならではの仲良し具合を垣間見れた気がしました。とても嬉しかったです。補修班も普段使わないインパクトドライバーなどの 工具を使い、棚を修理をしました。
道具を用意する人、材料を切る人、ドライバーを持つ人、棚を抑える人、暗い箇所をライトで照らす人、みんなで一致団結してやりました。集中している姿はとてもかっこよかったです。
小看板作りも補習班もひと通り終わった後、松浦くんが大看板の設置を完了し、みんなで記念撮影をしました。。
shugo.jpg
帰る時間となり、子どもたちは「帰らないで~」や「絶対また来て、一緒に遊んでよね」など、数時間一緒だっただけなのにとても名残惜しそうにしていましたが、「必ず、また来るからね」と言うと笑顔を浮かべてくれました。
大人になった時に「この看板はぼくが(わたしが)が作ったんだよ」と紹介できるくらいずっと掲げていられる看板が出来ました。
先生たちも可愛い看板が出来たと大喜び、子どもたちも満足気でした。

—–先生たちのつぶやき—–
「子どもと一緒に遊んでくれるボランティアさんがいないのが現状です。カウンセリングなどのどちらかというと大人向けの企画は昨年もありましたが、一緒に遊ぼう!などの企画は少なかったのです。」
「震災直後はとても先生も子どもたちも心から笑える状態ではありませんでした。今こうやってみんな笑って遊べているのは奇跡としか言いようがありません。支援物資やカウンセリングに来てくれた方、瓦礫を撤去してくれたボランティアさんに感謝しています。」
「津波ごっこや避難所ごっこなどやる子たちもいます。忘れてほしくはないですが、トラウマや足枷にならないようにしっかり見守っていきたいです。」
「是非また、子どもたちと「一緒に」やる企画をたてて欲しいです。」
———————————–

「一緒にいて、一緒にやる」このことがこんなにも人の心を動かすとは思いませんでしたが、今回の看板作りの企画はそのスタイルが子どもたちにとっても、良い支援になっているのではないかと思えるきっかけになりました。
先生たちのつぶやきや子どもたちの様子をみると児童館でのイベントも視野に入れつつ、
今後とも「子どもたちと一緒にいて、一緒にやる」というスタイルで支援プログラムを組んでいきたいと思います。

【主催】レスキューストックヤード
【共催】七ヶ浜町子育て支援センター、はまぎく児童館、七ヶ浜町復興支援ボランティアセンター

【ボランティア募集】4/27(金)「あるある61号」発送作業ボランティア

みなさま
お世話になります。RSY事務局です。
いよいよ新年度がスタートしました。少しずつ暖かくなってきましたね。お花見が楽しみな時期になってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
RSY機関紙「あるある」発送作業を4月27日(金)に行います。RSY会員さん向けの「あるある」最新号を誰よりも早くみられます。今号も内容盛りだくさんでお伝えします!
日時:4月27日(金)13:00~
場所:RSY事務所
内容:機関紙のはさみこみ、三つ折り作業、宛名シール貼り、封筒に入れる作業など
途中参加も大歓迎です!
○ご参加いただける方は、RSY事務局までご連絡ください。
info♯rsy-nagoya.com(♯を@に変えてください)
(お名前・連絡先)
★あるあるとは?
http://www.rsy-nagoya.com/rsy/aru2/aru2.html
★RSY会員とは?
http://www.rsy-nagoya.com/rsy/nyukai/post-13.html
★編集員も随時募集中!
平日夜に会議を行っています。色んなバックグラウンドをもった仲間が集まって楽しく一緒に作っています。ご興味ある方は事務局スタッフにお声掛けください。

宮城県七ヶ浜町報告【第80報】新米ママさんの想い

みなさま
RSY浦野です。
先日、CBCラジオの取材で、七ヶ浜の新米ママさんが取り上げられました。
3.11の震災直後は妊娠中で、昨年5月に仮設住宅に移られた後にご出産された方のお話しです。
気仙沼のママさんの体験談と共に、震災直後の様子や、現在の仮設住宅での暮らし、お子さんへの未来に向けた愛情いっぱいのお手紙などが紹介されています。
CBCラジオさんのご了解のもと、当方ホームページにリンクを張らせて頂きました。
ぜひお聞き下さい。
CBCラジオ・HP
※下記のページ中の「9.生まれくる命」の『音声を聴く』ボタンをクリックして下さい。
HP閲覧はコチラをクリック!
p09.jpg

街頭募金報告 (3/24 通算33日目) & 街頭募金ボランティアスタッフ募集

皆さま
いつもお世話になっております。RSYボランティア 街頭広報&募金チーム(通称チームB)です。
3月の街頭募金の報告を致します。
午前中は小雨が降っていましたが、幸いにも昼前に雨があがり募金活動を行うことができました。
やや肌寒さを感じる中、場所は栄三越前で3月24日土曜日の14時から16時まで行いました。
本日の募金活動には14名の参加者があり、合計30,056円と多額の募金を頂くことができました。
ありがとうございます。

120324-2.JPG
120324-3.JPG



☆これまでの街頭募金活動は下記の通りです。
述べ人数:697人、募金総額:2,539,302円

120324-1.JPG



震災直後の3月17日から継続的に一年間街頭募金を行い、非常にたくさんのご支援・募金が集まりました。
今後の街頭募金の予定は現時点では未定となっています。
ですが、街頭での広報&募金活動 及びこれまでの募金がどのように使用されたのかをご報告する等、
この活動を継続的に実施していきたいと考えています。
街頭募金を主体的に進めて頂けるボランティアスタッフを募集しています。
例えば・・・
 ・自分が活動しているグループで参加したい!募金を呼び掛けたい!募金活動を支えたい!
 ・土曜ではなく平日に参加可能で募金を実施したい!   等など。
意欲のある方はRSY事務局スタッフまでご連絡ください。
【問い合わせ】特定非営利活動法人レスキューストックヤード
〒461-0001名古屋市東区泉1-13-34 名建協2階
Tel 052-253-7550 / Fax 052-253-7552
Mail info#rsy-nagoya.com (#は@にかえて送信してください。)
チームB、 RSY事務局

宮城県七ヶ浜町報告【第79報】安城市から七の市商店街へ

みなさま
RSY浦野です。
昨日の晴天の中、第4回目の「七の市」が開催されました。
0325_yasai1.JPG
0325_yasai_pakku.JPG
0325_ysai_hanbai1.JPG
0325_yasai_hanbai2.JPG
0325_yasai_kihu.JPG
0325_yasai_syugo.JPG
第78報にも記載しましたが、七ヶ浜はこれまで、安城市の皆さんより沢山の「野菜」のご支援を頂いてきました。
安城市ふれあい「えのき」の皆さん、石川ファームさんからは、国際村の避難所での毎日の炊き出し用食材に使用する野菜を安定的に、また、たべさいんプロジェクトやきずな館に滞在されたボランティアの方の食事用にと数か月の間、季節の野菜をご提供下さいました。
現在は、「七ヶ浜に野菜を送るプロジェクトチーム」が発足し、JAあいち中央農協青年部の協力と共に、地域の復興拠点ある「七の市商店街」の活性化のためのご支援を頂いています。
昨日のイベントでは、安城市の皆さんからお預かりしたお野菜を、RSYボラバス47陣メンバーが袋詰めし、会場にて販売させて頂きました。
ねぎ・きゅうり・ブロッコリー・ホウレンソウ・チンゲン菜・里芋・・・などなど、十数箱にわたって新鮮なお野菜が届けられました。
ボラバスメンバーが、力作の手作り看板を手に大声を張り上げて「お安いですよ~!安城市からの新鮮なお野菜いかがですか~!」と一生懸命に販売してくれました。
それぞれの袋には、安城の皆さんが同封して下さった
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
安城から愛を込めて!
元気だして行こう!
私たちがついてるよ!
七ヶ浜に野菜を送るプロジェクトチーム
JAあいち中央農協青年部
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と書かれたステッカーを貼らせて頂いたところ、お客さんからは
「愛知県のお野菜っておいしいのよね~」
「わざわざ安城から?はぁ~・・・ありがたいねぇ」
などの声が聞こえてきました。
嬉しいことに、3時間のイベントの中でお野菜は全て完売!
売上23,550円は、安城の皆さんとRSYボラバス応援団の想いと共に、商店街代表「理容ホシ」の星さんへお渡ししました。
このお金は、今後の商店街活性化のための基金として活用されるそうです。
安城市の皆さんご協力ありがとうございました。
皆さんの七ヶ浜を想うお気持ちは、RSYボラバスメンバーを通じて、住民の皆さんに確かにお届けできました!

宮城県七ヶ浜町報告【第78報】「たべさいん」の皆さんありがとうございました!

みなさま
RSY浦野です。
先日、RSYボラバス46陣メンバーの菅沼さんからのレポートで既にご紹介させて頂いていましたが、あらためて「たべさいんプロジェクト」の皆さんとの交流会についてご報告したいと思います。
hinanjyo.JPG
1.RSYとたべさいんの皆さんとの出会いと活動経緯
このプロジェクトが発足したきっかけは七ヶ浜町民・鈴木喜久栄さんとの出会いからでした。
喜久栄さんは、避難所生活が始まって間もなく、独自で傾聴ボランティアとして活動を始めました。
避難所の劣悪な環境を見て、特に高齢者の口腔ケアや感染症予防の緊急性を感じ、特別養護老人ホームで長年ボランティア活動に携わってきたご経験から、マスク装着の必須性や水を節約したうがいの方法などを丁寧に伝えておられました。
そんな時、80歳を超えるお年寄りが、「他に食べるものがないから仕方が無い・・」といいながら、カップラーメンをすする姿を見て、大きな衝撃を受けたそうです。「せめて今まで毎日食べていたであろう漬物やおひたしを食べさせてあげることはできないのだろうか」と考え、近所の協力を得て野菜を集め、週に数回、サラダやおひたし、お漬物、果物などを持って避難所に届ける活動を開始されました。
「食欲がでない」と元気をなくしていたお年寄りに、「お漬物だったら食べられるはずだから、ぜひ食べてね」とそっと漬物を手渡し、後日再び避難所を訪れた時、「あのね。あのお漬物でご飯が食べられたの~!!」と、とても嬉しそうに喜久栄さんのそばに駆け寄っていらっしゃったとのことです。
そんな中、ボランティアきずな館がオープンしてほどなくした頃、浦野がきずな館に入ると、見慣れぬお顔がありました。
それが、鈴木喜久栄さんと、のちにたべさいんのメンバーに加わって下さった横田奈奈さんだったのです。
お二人は、オープンしたてのきずな喫茶の、飾りも何もない殺風景なテーブルに、少しでも心が安らぐお花を・・・とのことで、フラワーアレンジメントを作成し、プレゼントして下さいました。
このフラワーアレンジメントは、仮設住宅の集会場でも、住民の方々の心の安らぎを与えてくれました。
初めましてのご挨拶の後、喜久栄さんたちの活動を聞かせて頂く中で、喜久栄さんが「野菜と調理をするところさえあればもっと沢山のお野菜を届け続けられるのに・・・」とポツリとおっしゃいました。
その話に反応し、すぐにお互いの意見交換が始まりました。
その中で、①これまでRSYも支援してきた宮崎県・新燃岳噴火災害で、被災した農家さんから「私たちも東北の方々に何かしたい」とご提供頂いた食材の一部を、この活動に提供すること。②喜久栄さんが代表を務める『七ヶ浜婦人とくらしを考える会』ともう一つの地元ボランティア団体『ゆいの会』さんがきずな館の厨房で料理を作り、地元と外部ボランティアで一緒に避難所にお届けすること、を決定し、避難所が完全解消するまでを期限として、「たべさいんプロジェクト」の活動がスタートしました。
メンバーの喜久栄さん、奈奈さんに加え、片桐まき子さん、横田京子さん、工藤玲子さんが協力メンバーとして参加され、毎回新たまねぎと人参のマリネ、きゅうりと大根の漬物などがあっという間にできました。避難所に同行させて頂いた時の、お漬物を受け取ったお年寄りの表情が今でも忘れられません。「あぁ・・、本当にうれしい。ありがとうね。」と涙ながらにおっしゃった言葉と、たべさいんの皆さんが優しく手や背中をさすって差し上げる姿に、「地域力」の本当の在り方を教えて頂きました。
その後、5月8日~6月末まで、数回にわたり「仮設住宅入居者説明会」がありましたが、その度に「たべさいんプロジェクト」として、住民の方に炊き出しを提供して下さいました。この炊き出しがあったおかげで、過去の災害で仮設住宅入居経験のある方をゲストにお招きし、七ヶ浜の住民の方と交流して頂く機会が持てました。
そしてこの頃、新たに漬物用にと新鮮な青梗菜などのお野菜をご提供して下さったのが、愛知県安城市ふれあい「えのき」の皆さん、石川ファームさんです。これらの野菜は、きずな館に滞在されたボランティアの方の食事の際にも、ありがたく活用させて頂きました。現在は、「七ヶ浜に野菜を送るプロジェクトチーム」が発足し、JAあいち中央農協青年部の協力を得て、七の市商店街の店舗さんへの提供や、七の市イベントで頂いた野菜を売り、売り上げを全額寄付する仕組みなどが動きつつあります。たべさいんプロジェクトの皆さんとの交流の延長線上にこのような継続的な支援が繋がり続けています。
2.きいちゃん、ななちゃんから愛知のボランティアさんへのプレゼント
card.JPG
0310_DONBURI.JPG
0310_HOTATE.JPG
0310_SAKURA.JPG
0310_KII2.JPG
0310_KII.JPG
0310_KYOKO.JPG
0310_NANA.JPG
0310_REI.JPG
0310_KATAGIRI.JPG
0310_SYUGO.JPG
仮設住宅への入居が完了したことを節目に、「たべさいんプロジェクト」は一区切りとなりましたが、喜久栄さんが「遠くから来てくれるボランティアの皆さんへの感謝の気持ちを表したい」と、奈奈さんと共同で『「七ヶ浜のきいちゃん ななちゃんから・・ありがとう・・」のメッセージカード』を作り、七ヶ浜を訪れるRSYボラバスメンバーに、1枚1枚手渡しして下さいました。カードには、震災前の七ヶ浜の美しい風景写真、そして裏面には「逆境に負けない」という花言葉を持つ、七ヶ浜の町花「はまぎく」の写真と、喜久栄さん自作の素敵なメッセージが添えられています。
「今はとっても苦しいけれど、悲しい涙で心を磨き、嬉しい涙で心を磨く、感謝の涙で心を磨けば、いつも心はダイアモンド!!」
「『大丈夫ですか?』『ありがとう』言っても言われても嬉しい言葉 〝本当に 本当に ありがとう みんな!!″ 心こそ 大切なれ」
「〝冬の寒さに耐えて 美しい花が咲くように 冬は必ず 春となる″」
このカードに感動し、元気づけられたボランティアさんも数知れないことでしょう。
3.「たべさいん」から頂いた『感謝の心』
震災から1年を迎えようとしていた3月10日。
私たちはたべさいんの皆さんからご招待を受けました。
「名古屋からのボランティアバスが来る3月10日に合わせて、1年の節目として感謝を込めて交流会を開催したい」とお声掛けを頂いたのです。私たちも二つ返事でお受けしました。
数週間以上前から打ち合わせを重ね、いよいよ迎えた当日。
私たちの段取りが悪く、ご迷惑をおかけしたところもありましたが、無事に約50人前の『まぐろ海鮮丼』が出来上がりました。その他にもサラダの小鉢、七の市商店街・佐藤鮮魚店さんがご提供下さったホタテで作ったお味噌汁、お吸い物、春の香りが漂う桜茶、そしておいしいお漬物。
たべさいんの5名の皆さんが心を込めて全て手作りして下さいました。
代表の喜久栄さんからは、七ヶ浜だけではなく、名古屋の事務局スタッフやボランティアの皆さんへのねぎらいの言葉も頂戴しました。メンバーの皆さんの自己紹介の後、メンバーの「どえりゃーうみぁーがや!たべさいん!(訳:とってもおいしいですよ!めしあがれ~!)という、名古屋弁×七ヶ浜弁の掛け声と主に、食事が始まりました。
どれも、本当に本当においしくて、各テーブルごとに会話も弾みます。
食事の後は、メンバーの皆さんから震災当時の体験談をお聞かせ頂きました。
震災直後の混乱する中、地域のために奔走されていたことや、親しい友人や親族、慣れ親しんできた風景を一瞬のうちに失った喪失感と深い悲しみ、ボランティアへの感謝の言葉など、それぞれの想いを様々な形で語って下さいました。お一人おひとりの心に刻まれた3.11の傷跡、そして周囲への感謝の気持ちの一端が、愛知のボランティアさんの心の中にも刻まれたようでした。
喜久栄さんは「あくまでも自己満足でやったこと」と常に謙遜されます。
約1年間、毎日のようにきずな館に顔を出し、職員の体調を気遣う言葉や夕飯のおかず、おいしい郷土料理などのおすそ分けも随分頂きました。
しかし時には、「人から頂いた善意や熱意に対しては、冷めないうちに感謝の気持ちをご本人や周囲の方々へ表すこと」
「時間がかかると誠実さが伝わらないし、信頼感を失ってしまいますよ」というご忠告など、厳しく私たちに苦言を呈して下さることもあります。
ご本人からは、「私たちの活動はかなり過去のことですので紹介は結構です」という控え目なお言葉を頂戴しましたが、私としては、これまでの1年間、自らの活動を実現させる場としてきずな館を活用して頂き、同時に七ヶ浜で大変お世話になった方のお一人であること、なにより災害にこれから遭うであろう地域が、「たべさいんプロジェクト」の活動そのものから学ぶべき点が沢山あることを考え、なるべく丁寧にこれまでの関わりを皆さんにお伝えしたいと思い、遅ればせながらこのような長文にて報告をさせて頂きました。
この1年の節目をもって、外部支援者と地元とのコラボ企画「たべさいんプロジェクト」の活動は一区切りとなるそうです。
これからは復興のまちづくりに向けて町民自らが立ち上がり、できることを日常的に継続していく時期に来ているとお話しされました。
私たちも皆さんとの出会わせて頂いたことに感謝しつつ、この場をかりて改めてお礼申し上げます。
たべさいんの皆さん、いままで本当にありがとうございました。
これまでボラバスに乗られた皆さん、またたべさいんメンバーの方々に会いにきてくださいね!