【2012年7月九州北部豪雨】熊本県阿蘇市レポート

引き続き、九州入りしているスタッフ関口のレポートをお送りします。

大分県から南下し、熊本県阿蘇市に向かいました。九州新幹線が通る熊本駅から在来線(豊肥本線)が走っているはずなのですが、豪雨の影響で運休。再開の見込みは立っていないとのこと。レンタカーで行けるところまで行くことにしました。

熊本県阿蘇市中心部の氾濫した河川。ヘリによる行方不明者の捜索も続いていました

阿蘇市は16日現在で20人の死亡が確認されるなど、今回の豪雨で特に被害が集中しています。阿蘇山のふもとに広がる町のほぼ全域で河川や水路があふれ、東部の山沿いでは土砂崩れが多発。約100棟の住宅が全半壊、880棟が床上・床下浸水。ヘリによる行方不明者の捜索も続いている最中でした。


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それでも何とかたどり着くことのできた市役所は、自衛隊車両が並ぶ物々しい雰囲気。隣接する保健センターは避難所になっていて、疲れ切った表情の住民が出入りしていました。災害対策本部でボランティアセンターの場所を聞くと、3キロほど離れた廃校になった小学校を使っているとのこと。早速訪れてみると、確かに小学校の教室がボランティアセンターの本部になり、十数人のスタッフが対応に追われていました。

廃校になった小学校を利用して開設された阿蘇市災害ボランティアセンター

運営主体である阿蘇市社会福祉協議会は12日の集中豪雨で建物が浸水、車両もほとんど使えなくなってしまったそうです。急きょ廃校を借り、事務用品を運び込んでセンターを開設したのが翌13日、資器材は方々に手配をして、和歌山県社協からトラック3台分を借りることができました。
体育館にはスコップやモップ、一輪車が十分と思われるほど運び入れられ、整然と並べられていました。「ちょうど2年前から毎年、ボランティアセンター開設の訓練をおこなっていた成果が本番に出ました」と、センター立ち上げの支援に入っていた熊本県社協ボランティアセンターの江口俊治所長。

災害訓練だけでなく、阿蘇市は普段から117の行政区に民生委員とは別の「福祉協力員」を置き、一人暮らしの高齢者らに対する見守りや声掛けを徹底して「孤独死ゼロ」を目指す取り組みを進めていました。この災害でも福祉協力員と各区長が連携して、住民のニーズがきっちりとボラセンに上がってきていると江口所長は強調します。

しかし、圧倒的にボランティアのマンパワーが足りていません。ニーズを拾うと14、15の2日間で630人のボランティアが必要な計算でしたが、14日がまだ雨模様で活動ができなかったこともあり、15日に活動したボランティアは92人、対応できたニーズは152件のうちたったの5件。3連休最終日の16日は160人ほどが浸水被害のひどい内牧地区を中心に活動したものの、土砂災害に見舞われた地区はまったく手つかずの状態です。

「最低1カ月の長期戦を覚悟をしています」と江口所長。この後、内牧地区のボランティア活動現場を見させてもらいましたが、途中からポツポツと雨。帰りがけにはまさに滝のような大雨に変わり、美しいカルデラの観光地は10メートル先も見えないほど視界が遮られてしまいました。

阿蘇市は名古屋から資器材を提供した大分県竹田市と接し、普段から交流があるそうです。しかし今は幹線道路が寸断され、1時間以上余計にかけて迂回しなければなりません。人や物資の融通がままならないのも現状です。

市内の内牧地区では病院も1階の天井近くまで浸水の跡がありました

 

【2012年7月九州北部豪雨】大分・日田市レポート

今月上旬から降り続いている記録的な大雨によって甚大な被害が出ている九州北部。名古屋からボランティア用資器材を提供した大分県日田市に15日、スタッフ関口が入りましたので、その状況をレポートします。

日田は大分と福岡、熊本の県境に位置する山間地。「平成の大合併」で2005年、1市2町3村が合併し、人口約7万人、面積約660平方キロメートルの市となりました。南北に囲まれた山を源にするいくつもの川が合流し、西の筑後川に注ぐ美しく雄大な環境。今回はそのうちの花月川が氾濫し、市街地を浸水させました。しかも2度にわたって。

1度目は今月3日朝、2度目は13日夜から14日早朝にかけて、1時間に100ミリ近い猛烈な雨が降り続きました。

日田市中心部を流れる花月川。遊歩道がところどころ崩壊していました

1度目の被害は市役所から1キロほど北の丸山地区や吹上地区という住宅街に集中。吹上地区の堤防前に住む60代の女性は「音もなく一気に増水した感じ。目の前の堤防からではなく、上流からあふれた水が堤防の反対側から家に流れ込んできました。その後も水がなかなか引きませんでした。こんなことは生まれて初めて」と生々しく振り返りました。

避難所に一時、身を寄せながら徐々に家に戻って片付けを始めていたところ、2度目の氾濫。「また来る、と思ってみんなで夜中に避難しました。夜が明けて戻ってみたら、1度目ほどではなかったけれどまた泥だらけ。大変ですけど、家は流されなかったのだから…」。女性はそう言いながら軒下の床をふいていました。

丸山地区で浸水家屋の片付けを手伝う和歌山県から来たボランティア

こうした市中心部はおおむね一度目の被害が大きく、直後は地元の高校生らが集中的に片付けにも当たりました。しかし、なかなかやまない長雨でボランティア活動は中断。2度目の被害で住民は精神的にも肉体的にも疲労を募らせています。


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一方、そこから2-6キロほど東に離れた上流の有田地区や羽田地区では、2度目のほうが被害が大きかった家もありました。羽田地区の女性は「少し上流のほうで流された家が川をせきとめて、あふれた水が道路をどーっと流れてきました。でも家の中には水が入ってこなかった。それが2度目の雨では水の流れが変わったのか、家の中まで入り込んできて、ぜんぶ水浸しになりました。古い家なのでモノが多くて、いつになったら片付くのか見当がつきません」と途方に暮れた様子。

有田地区で崩れ落ちた護岸。奥に見える中学校の通学路だそうです

有田地区ではアスファルトで固めていた護岸が数十メートルにわたって崩れ落ち、ガードレールが川の真ん中に流れ着いたり、巨木が橋桁にからみついていたりして増水の勢いをまざまざと見せつけていました。川べりの家が完全に水につかった70代の女性は「たんすの中まで泥で真っ黒になって、きょうあすじゃとても片付かない。子どもや親戚でやってもらっていて、ボランティアなんて来ていない」と言います。

橋桁に大量の流木がからみついていました

市災害ボランティアセンターは当初、この3連休をめどに活動を収束させる予定でしたが、2度目の被害で延長することを決めました。しかし、九州各地が被災地となって人手が分散しているのか、週末のボランティアは早くも半減。被害範囲は広がっているのに、ボランティアを十分回せない事態になっています。道路が寸断された孤立集落も残っており、被害の全容はまだ見えてきていない状況です。

名古屋から提供した資器材はボランティアセンターで活用されていました