9.25「2008建築防災講演会」

中村です。
愛知県建設部建築担当局主催の講演会に参加してきました。
「中国・四川大地震の現場から~私たちが学ぶこと・できること~」と題しており
四川を支援したい私にはピッタリな講演だと思い、参加しました。
講師はNHK報道局社会部災害班専任記者の入江さやか氏でした。
みなさんはすでにご存知なこととは思いますが
中国・四川大地震とは
・中国名「豎カ川(ウェンチュアン)地震」
・2008年5月12日午後2時28分ごろ(現地時間)
・マグニチュード7.9(兵庫県南部地震の約30倍のエネルギー)
・揺れの強さは日本の震度で7に匹敵?
 (中国では震度計を埋めていないので詳細は不明)
・龍門山断層帯(約500キロ)のうち285キロが動き、
 内陸活断層の起こす地震としては最大級
四川大地震の被害として中国政府が発表している情報は
死者 68225人、行方不明者 17924人とのこと。
まだ行方不明者がいることが確実にわかっている現場に
重機が乗り上げて掘り返しているシーンなどは
ご遺族の気持ちを考えるといたたまれなくなりました。
数々の報道で校舎の崩壊が言われていますが
入江氏の撮影した校舎倒壊の写真のうちの一枚には
床・天井が落ち、残った壁に黒板が縦に三枚並んでおり、
三階部分にあたる黒板の脇に教育用の大きな黄色い分度器がありました。
壁にフックで掛けられた分度器が落ちず床と天井が落ちたことになります。
本当の震度は一体何度だったのでしょうか。
また分度器の落ちない震度でこの建物が崩壊したはなぜなのでしょうか。
いろいろ考えさせられることがありました。
仮設住宅の資材については発災後に急遽作られた壁材が特徴的でした。
10センチに満たない厚みの発砲スチロールを鉄板で両側から挟み
コンクリートの床材の上に建てていたとのことです。
屋根材の材質は不明ですが、強度は大丈夫なのかが心配です。
中国ならではのよい面も見られました。
倒壊してしまった自宅兼商店の前に政府から支給されたテントを張り
簡易商店を開業していたり、
また、避難所の中にスーパーマーケットが開店していたり、
固定電話の普及が遅かったこの地域ではかなりの山間部でも
携帯電話が通話可能であったこともあり、「被災特価!」のロゴを並べて
携帯電話用電池を販売していたり。
中国の方々の逞しさにこちらまで元気づけられました。
中国政府も被災地内の感染症についてはかなり気をつけており、
毎日のように避難所や道路を消毒していたり
水や食料を配布する軍や調理師はゴム手袋とマスクを着用させたり。
中でも被災地エリアから成都市内に戻る車両については
高速道路の料金所付近で消毒液の噴霧をしてまるごと消毒していることには
とても驚かされました。
今回、入江氏から現地で通訳を頼んだ男性の連絡先を教えていただいたことは
これから支援をして現地に入りたいと思っている私たちには
とても心強いこととなりました。
また何かの折にご報告ができればと思っています。

【第18報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

皆様
栗田です。お世話になります。
今回の大雨に対する名古屋市災害ボランティアセンターは昨日(9月12日)をもって閉所となりました。ただし名古屋市社協の窓口は残し、必要な支援は継続してまいることにしています。この間、本当に多くの方々からお見舞いや激励、貴重なご意見等を多数頂戴いたし、まずもって厚く御礼申し上げます。
今回の名古屋市における水害は、内水氾濫でまさしく「都市型」の困難さが際立ちました。極端に言えば、通りが1本違うだけで浸水被害の状況が異なり、「被災地だ」と面では判断できず、点で必要な支援を届けることが求められました。
当然ながら市のラインからは自治会や民生委員、社協のラインからはヘルパーなど、そしてボランティアも被害の甚大だった小さな面ごとにとにかく練り歩きました。また新しい試みとして、あいち生協のご協力により組合員(市内約14000人)に、また中日新聞販売店のご協力により、販売店(市内約300店舗)、新聞配達員(約1万人)に、「困った方がいないか」という情報提供やボラセンの周知をお願いしました。
一方で課題もたくさん見えてきました。大都市は被害の全体像をつかむまでに相当の時間が要したことに象徴されるように、市も市社協も組織が大きすぎて、せめて区ごとの小回りぐらいは確保すべきなこと、またラインに頼りすぎる体質の改善、そしてボランティア・NPO側も「災害系」以外のヨコの連携の強化や、そもそも市民にボランティアの存在をより広く知らしめていくことなど、まさに現場からの学びを通じて、来るべき巨大地震のことも含めて、突きつけられた思いでいます。そして一番重要なのは、市民一人ひとりの日常の暮らしの中から、「お隣さんは困っていないか」と気に留める関係を再構築していく必要性を痛感しています。
ボラセン閉所は一応の区切りに過ぎません。気になる方への再訪問や畳の搬入などの今後のニーズへの対応はもちろんのこと、ボラセンとしての振り返りの場を数回設けて与えられた課題についてしっかり議論してまいる所存です。いずれ皆様ともこうした情報を共有しつつ、いろいろとお知恵をいただく機会を設けたいと思っております。今後ともよろしくご協力くださいますようお願いいたします。

【第17報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

松田です。昨日(8日)の中川区での活動について、RSY新スタッフ関口さんの報告をお送りします。
 中川区役所講堂の災害ボラセンには市社協の職員を含め14人が集合。前日7日にようやく状況が把握できた長屋のお宅と、片付けに苦労されている独居のお年寄りが最低2人はいらっしゃる木造アパート、の2手に分かれました。
 長屋には午前中、奥さん1人がおり、あいさつはできましたが引越しをするかしないかなどはご主人次第で、それまでは手をつけないでほしい、とのこと。台所は見させてもらったものの、途中で知人の家に行くと言って外出してしまったりとまだ気持ちも不安定なようすで、ボランティアも長時間待ちぼうけ状態となってしまいました。
 その後、区役所を通して息子さんと連絡が取れ、「洗濯機をごみとして出してほしい」との話を受けて裏庭に。ここに数十年前からのものとみられる洗濯機が3台も放置されており、トタンの塀を一部こじ開けるような形で何とか外に移動させました。 午後、その息子さんが戻ってきてから作業は急展開。市営住宅への入居が決まり、きょう中に引越しをしたいという話になり、とりあえず出せるものは出し、より分けるものはより分けようと、別グループのボランティアも加わって10人ほどの態勢で一気に作業をしました。
 直接大雨の被害とはいえない、雑然とした暮らし方で、整理するにも奥さんの意見と息子さんの意見が食い違ったりして非常に難儀はしました。しかし、息子さんのしっかりした態度と作業の進展を見て奥さんも落ち着きを取り戻したようすで、「何にも手をつけないで」という当初のかたくなな姿勢は次第になくなっていきました。
 最終的に時間切れとなってしまったことと、今後の家族の方針がまだはっきりしないことから、とりあえず今夜いるものだけを社協の車を借りて市営住宅へ、その他のものは隣家に一時的に保管するという形を整えて、本日の作業を終了しました。
 都会の真ん中で、うまく地域に溶け込めないまま大きな災害に巻き込まれてしまい、茫然自失してしまった家族の悲劇をみてしまったような気がします。こうした家庭状況にボランティアがどこまでかかわり続けるべきなのか、今後も判断は非常に難しいと思いますが、やはり「1点突破」で現状を把握でき、実際に新生活へ導いたという意味は大きいと思います。最後に奥さんが複雑ながらも安心したように見せてくださった笑顔と、被災10日後とは思えぬほどうずたかく積み上げられた被災ごみの山が、そのことを象徴していたように思えます。

第3回 作業部会の報告

昨日8月28日(水)、第3回作業部会が開催されました。今回の参加者は8名、
RSYスタッフ3名の参加でした。
○本日の作業
1.パンダタオルの試作
[必要な材料]
針/糸(黒・白)/黒のフェルト(耳・目・鼻用)/紐(吊り下げ用)/タオル
[製作を依頼する際にこちらで用意するもの]
・つくり方のレシピ:動画バージョン(YouTube-ネット上の無料動画サイトへ
のアップ、DVD作成など)、紙バージョン(写真か図式で解説。目、耳、鼻の
パーツ作成用型紙付き)を用意
・タオル
・目、耳、鼻のフェルトパーツ
・吊り下げようの紐
・ハガキサイズのメッセージカード(表面には製作者からの直筆メッセージ、裏
面にはメッセージの中国語訳を付ける。中国語で、元気出して!応援してます!
などの中国語をいくつか紹介するカードを付け、直筆メッセージに使ってもらう)
※ただし、依頼者の希望によって選択性にする
パターン1:レシピのみ希望
パターン2:レシピ、パーツ、吊り下げ用の紐のみ希望
パターン3:全て希望
※いずれもメッセージカードは付ける。
[依頼者へのお願いすること]
・返送時の送料は負担頂く
・カンパ金の協力(パンダ1つに付き100円など。要検討)
[作ってみた感想]
・慣れないうちはなかなか難しく、思うようなパンダの顔の形にならないなど、
苦戦をしたが、できあがってみると、自分の作ったパンダがとってもかわいく感
じた。
・「難しくて出来ない」と思い込んでいたが、実際やってみると案外やれた。そ
のできばえに自分でも驚いた。愛着もわく。
2.情報発信
・作業の進捗状況に関する情報発信を、日記風にブログにて発信する。
・作業部会メンバーで担当者を決めてアップする。
※事務局で検討の結果、RSYブログを使用したいと思います。アップの方法な
どは次回会議までにマニュアルを作成し、皆さんに確認して頂きます。
3.今後のスケジュール
9月/パンダタオル募集準備
10月~12月/パンダタオルの周知・募集
12月~1月/現地訪問(移動時間も含めて1週間程度を予定。渡航費が割安な時期
を調べる。)
※10月25日、学校関連のイベントで製作予定。
※全体で200~250個の作成を目標にする。
※作業部会は月1回~2回のペースで実施予定。
4.次回会議予定
○日時:9月11日(木)19:00~RSY事務所
※参加頂ける方は、事務局にご一報頂ければ嬉しく思います。
○内容
・パンダタオルの作り方レシピ製作
・ブログへの情報発信方法の確認、担当者決め
・呼びかけ用コメント作成

【第16報】8月28日からの大雨洪水について(岡崎市)

皆様
浦野です。お疲れ様です。
岡崎市防災ボランティア支援センターは、9月7日(日)をもって活動を縮小することになりました。
防災ボランティア支援センター自体は閉所され、岡崎市社会福祉協議会が今後の業務を引き継ぎます。
昨日一日の活動の様子を下記のようにご報告します。
[サテライトの様子]
○全体について
・前日からの持ち越しニーズ4件を含め、最終的には約25件のニーズに約70名体制で対応。
・土~日にかけて、親戚、家族が手伝いに来ていることで、ボランティアの依頼も増えたと考えられる。
・ニーズの依頼内容は、ゴミだしや仕分け、屋外の泥の撤去など、細々とした内容が主。ある高齢者の一人暮らしの世帯では、ほとんどの物が泥に浸かっており、屋外の倉庫に詰め込まれていた。傍からみれば処分した方がよさそうなものでも、「また洗って使える。一つひとつ自分で判断したい」とのことで、ボランティアに指示を出しながら、猛暑の中、時間をかけて作業をしていた。長時間の作業は89歳のお年寄りには本当にきつい。ボランティアも、ご本人の意向を十分に尊重しながら活動に当たっていたが、「これは1日、2日では終わらないだろう。体の無理のない範囲で、1日数時間ずつ、この方のペースにあわせて、ゆっくりお手伝いできる人が今後も必要だ」と話していた。(この方は地元のボランティアの方につなぎ、9月8日以降も、個別に訪問を継続して下さることになりました。)

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【第15報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

皆様
栗田です。お世話になります。
「まだどこかで困っている方がいるのではないか」と昨日まで主だった被災地を練り歩いてきました。そして今日(9月7日)は原点に返り、市内で最も被害が多く、水害翌日に一度支援に入った地域を再度訪問しました。目的は2つです。一つは、先週は畳や家財の「搬出」でしたが、今回は「搬入」のお手伝い。畳や家具の配置といった具体的作業のほか、「また来てくれたの」という、うれしいふれあいもあり、直接会話する意義はやっぱり大きいと感じました。
もう一つは、新たなニーズの発掘です。丁寧に声かけしたところ、やっぱりありました。まだ手付かずのお宅が。長屋の借家です。「どうしようもないから自分らでする」と一旦は断られましたが、強烈な臭いがします。今回の行政対応策で、2ヶ月は市営住宅に無償で入居できる制度がありますが、そのことはもちろん「罹災証明」のこともご存知ありません。これではボランティアの対応だけでは限界があると思い、区担当者と区社協とともに再度訪問し、手続きの説明をしてもらいました。そして、市営住宅に移るにしても、このままではいけないので引越しするつもりで片づけをしましょうと説得し、本日この地域の作業に参加していた総勢30名ほどのボランティアで作業を行いました。
室内は濡れた畳の重さのせいか床が抜け落ちており、水が染み込んでくるのを防いだのか、畳の上にコンパネやカーペット、ビニールシートが敷かれていました。その上の布団も湿っていました。聞けば床上30~40cmほど浸水したということです。とてもつらかったことと思います。
この1週間、町内の組長さんや大家さんも何度も訪問したそうです。ボランティアも初日に訪問しています。しかし拒まれ続けたそうです。それは、地域が近すぎるので返って遠慮したのかもしれません。すべてが見えてしまいますから。またボランティアの声かけも、どこまで介入できるかは本当に難しいことです。
しかし、たまたまこの借家の隣が空き家になっていて、大家さんの配慮で清掃後の荷物を一時移すことができました。また先週支援した別のアパートで、同じ区空き家の濡れていない畳が余っていることを覚えていて、事情を説明しましたら、二つ返事で6畳分譲ってくれました。だってこの家族は、今日は市営住宅に移れないので、生活空間は必要です。
こうして、大方の作業を済ませ、本日の作業は終了しました。明日も引き続きこのお宅の片づけを手伝うことにしています。また、別の地域で少し気になる世帯が数箇所上がっていますので、いましばらく丁寧に対応していくことにしています。そして、このような方がまだいるのかどうか。市や社協も含めて色々な対応策を実践していますが、悩み続けています。

【第14報】8月28日からの大雨洪水について(岡崎市)

皆様
お疲れ様です。
岡崎市での活動の様子を下記のようにご報告します。
[本部について]
・ニーズ件数は1日10件程度。
・9月7日(日)にボランティアセンターが閉じられ、市社会福祉協議会が引き続き相談窓口になる旨をお知らせしたチラシを配布。地元JCが中心となり、被災エリアにローラー作戦で戸別配布をし、最終的に取り残されがないかをチェック。
・ボランティア募集の呼びかけは金曜日をもって終了。
・市内ボランティア団体、商工会、民生委員、消防団など地元自治組織に、ボランティアセンターが閉じた後も、ニーズ対応の応援、被災地の見守りを地元が引き継ぎ、協力・対応して頂けるよう依頼。
・取り残されが無いか、周囲でこのような方を見つけた場合の情報提供を、岡崎市介護事業者連絡会、新聞社などのルートを使って、再度周知。
・今後起こりうる悪徳商法、行政の被災者支援サービスに関する相談について、地元の弁護士会・行政書士の方々に協力を依頼。
・9月7日(日)午後5時をもって、岡崎市防災ボランティア支援センターを閉
所。今後は、地元ボランティア団体、組織が中心となり、ニーズ対応していくことで調整を図る。
[サテライトについて]
・朝の時点で3件だったニーズが、終了時には24件に増え、翌日持ち越し分は5件。
・天理教・ひのきしん隊が常時40名~60名体制で、こちらに上がるほとんどのニーズに対応。
・泥出し、ごみの撤去、家具の移動などが依頼内容。泥出しについては、水害時居住者が不在で手が付けられていなかったところや、土壁を落として欲しいという大掛かりなものもあり、20~25人程いなければ対応できないものもあった。
○炊き出し
・9月5日(金)はさっぱりうどん、6日(土)のメニューは、野菜いっぱいスパゲッティー、かぼちゃの煮物、ポテトサラダ、漬物。食材のほとんどが 2004年新潟県中越地震で被災した川口長田麦山の「いきいき田麦山」の皆さんからの寄付であった。
・炊き出し初日に引き続き、神戸市から「すたあと長田」・2000年東海豪雨水害の被災地となった旧西枇杷島町の住民の方、天理教・ひのきしん隊の地元の皆さんがお手伝いくださり、毎食150人分を調理。特に6日(土)は、家族や親戚が土・日にかけて応援に来ていることもあり、ものの30分で全て売り切れるほど盛況だった。
・朝の時点で、炊き出しのメニューと全国からの協力者一覧をチラシにして配布。6日の中日新聞に炊き出しの記事が取り上げられ、「遠くからきてくれてありがとう。なにもできませんが、せめてもの活動の足しにしてください。」と、被災者の方や地元の皆さんが炊き出しチームに応援金を下さった。
・腰を据えて食事を取りながら、「本当に大変だった。こんなにおいしい食事を久しぶりに食べた。涙が出るほど嬉しい。」と本当に泣きながらおっしゃっていた方、食事の後、30分ほど話して、「実は床下浸水だったけど、一度も床下を見てないの」とぽつりと話したお年寄り、そのほかにもあの場所から、支援がつながった方が何人かいらっしゃった。
・炊き出し開設から、毎日ミニ喫茶に通ってくださる方も出てきた。「食」の提供だけが目的なのではなく、ホッと一息ついたり、気分転換をしたり、とにかく炊き出しをきっかけにして、少しでも安心できる、笑顔になれる、不安が解消できる空間がこの時期には絶対に必要だと感じていただけに、そのような場所に少しずつなりつつあることが、住民の方の表情から読み取れた。
○足湯ボランティア
・中越・KOBE足湯隊メンバー4人により、5名の方に足湯の提供をしていただいた。
・「今になって体の節々が痛くなってきた」「とにかく疲れた。何もしたくない。片付けもボチボチとして進まない」などの声がきかれた。
・足湯を終了したお年寄りからは、「あ~、気持ちよかった。生き返ったよ。」という声も聞かれた。
明日で、センターは閉じられますが、被災された方のニーズは、まだ出てくると思います。ようやく、本当にサロンらしくなってきた頃なので、あともう少し続けられればとも思いますが、なるべく地元の方に引き継いで、皆さんの不安がなるべく残らないような形にできればと思っています。
RSY浦野

【第13報】8月28日からの大雨洪水について(名古屋市)

みなさまへ
事務局・松田です。おかげさまでこの報告を多くの方々が読んで下さっており、何人もの方から応援の声やご意見を頂戴しております。特に有難いのは、RSYや名古屋のボランティアがこれまでにお邪魔した被災地の方々から励ましのお言葉や物資の提供のお申し出を頂いていることです。これには、私共スタッフのみならず、今、地元名古屋で活動を続けるボランティアさんたちが「本当にうれしい」と心から喜んでおりました。まずもって、愛知から深く御礼申し上げます。
私は先日来、生まれて初めて水害の被災地、しかも大都市名古屋の被災地に入って、ボランティアの存在の呼びかけ、雑巾がけや畳運びをお手伝いしています。
「ニーズ」と呼ばれる「助けて!」の声を消すことはできますが(こちらが聞かなければよいだけ)、声が消えることはありません。毎日数件の声が着実に届いています。この数件の向こうに、都会に埋もれている数十件の「声」があることは容易に想像できるでしょう。埋もれている声を少しでも拾い出すには、ご近所、町内会、民生委員、マスコミ等々、こうした方々が持つ僅かな社会との接点
にどうにかつながるように、あらゆる方面からアプローチするより他ありません。
RSYや神戸から支援活動を続けてきた震つなの諸先輩は災害直後に「もう一人の命と生活を救う」ことにこだわって活動を続けてきました。私もそれに納得したつもりで、時には知った風に講演で述べたりしてきたわけですが、今回初めてそのことを体で感じ取った気がします。一声をかけなければ本当にそのまま見過ごされ、カビた畳に埋もれ、その後の生活が決定的に不能になってしまうだろう方々が、この社会にはおられるのです。それはお年寄りとは限りません。
「災害は社会格差を増大する」「防災に有効なのは地域のつながり」「都市生活は便利だが災害時には脆い」などと災害にまつわる「常識」は多々あります。一日の災害ボランティア活動はこのような経験則の全てを実証すると言っても過言ではありません。こうした言葉を実感を込めて主張したいと思う全ての人に、ボランティアをおススメします。220万人都市名古屋に100人のボランティアでは、全く足りません。