寒中見舞いプロジェクトまだまだ参加者募集中です!

今日は、あいち防災フェスタ(※)にブース出展しました。
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ブースでは、七ヶ浜のみなさんに向けた寒中見舞いのメッセージを会場のみなさんに呼び掛けて書いていただきました。
会場の皆さんが寒中見舞いプロジェクトへの関心が高い中、お子さんを中心に家族やカップルなど、たくさんの方にご協力いただいた結果、71枚の気持ちのこもったメッセージが完成しました。
寒中見舞いは一枚につき、100円の寄付をお願いしていますが、お気持ち分やこの活動に賛同して寄付のみいただいた方もいらっしゃいました。今日一日で集まったお金は12,591円でした。
ご協力いただきました皆様、本当にありがとうございました。
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寒中見舞いプロジェクトのお申し込みは、11月19日(土)まで受け付けています。
皆様のご協力をお願いします。
詳細は下記URLをご参照ください。
http://localhost/~hayashimasaki/wordpRSY/2011/10/post-309.html
※寒中見舞いの記入例はこちら↓
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※あいち防災フェスタとは…
小さなお子さんから大人まで、幅広い年代の方が楽しめる、体験型の防災啓発イベントです。(愛知県主催)日頃の活動の成 果を発表する場と県民への防災ボランティア活動への一層の理解と関心が深まることを目的としています。

宮城県七ヶ浜町報告【第53報】感謝、復興への想い、七ヶ浜漁師が行うボッケ祭り

お世話になります。
七ヶ浜きずな館事務局スタッフ松永です。
来る11月12日【土】に地元七ヶ浜の漁師さんが行う「ボッケ祭り」が開催されました。
ボッケとはなんですか?
はい!!
七ヶ浜滞在4ヵ月ちょい九州出身のこちら松永がご説明いたします。
ボッケとは…
宮城県七ヶ浜町の名物である「サカナ」です。
学名「ケムシカジカ」であります。ケムシではありません、「サカナ」です。
実物「ボッケ」の写真をどうぞ!!
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オコゼみたいな魚ですよね~
身は淡白で、胃袋、肝、卵、なんでも食べられます。
唐揚げ、鍋等で使われるそうですが刺身が絶品!!
七ヶ浜でこの「ボッケ」を使ったボッケ祭りは
毎年開催されていたようですが
震災の影響で今回は隣町多賀城で行うことになったそうです。
しかし「ボッケ」は七ヶ浜の名物。七ヶ浜でボッケを食べてもらいたい。
と地元七ヶ浜の漁師でSさんが企画し今回の「ボッケ祭り」を開催しました。
当日朝9時から準備しました。
当日は200人予想で
Sさんはボッケ100匹、アナゴを持ってきてくれました。
しかし
ボランティアさんだけで400人近くいることがわかり
みんなでバタバタ準備を急ぎます。
Sさんは「ボッケ」をさばき              ボランティアでボッケ鍋に使う野菜を切る!!

 

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開始時間の12時に間に合い
いざ「ボッケ祭り」開催!!
大分からの応援メッセージも!!

 

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これは僕が在学している大分大学学園祭「聡明祭」でボッケ祭りの野菜の資金を集めるために有志に協力していただき支援金を集めました。
そのときに大分の皆さんに応援メッセージ、美術科にデザインしてもらい大漁旗を作成しました。
こちらが手伝ってくれた友達です!!
その他たくさんの大分の方々が支えてくれました!!
人がたくさん…!!

 

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ボッケを知らない方たちに説明しながら…

 

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Sさんもみんなが美味しそうに食べるのを見て
本当にうれしそうにしていました。

 

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「ボッケ祭り」の開催をしようと決めた地元漁師Sさんの想いとは…
「復興へ向けて漁師が頑張らないと」
「今まで助けてもらった人に恩返し」
「漁でとってきた魚をみんなに食べてもらうことが漁師としての喜び」
こうやって地元の人たちが一生懸命頑張って復興を目指しています!!
少しずつですが前へ、前へ進んでいます。
その姿を現地にいる僕たちだけでなく
すべての方の知ってもらいたいのでこれからも情報発信していきます。

 

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そして…
Sさんと一緒に企画を進めていく上で
熱い想いを持ちそして誠実な人だと感じ
まだ出会って1ヵ月ほどですが本当に尊敬できる人だと思います!!
これからも七ヶ浜を応援していきます!!

 

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ともに前へ、七ヶ浜。

宮城県七ヶ浜町報告【第52報】芋煮会で野菜をいっぱいたべさいん

皆さま。お世話になっております。 RSY石井です。
いわゆる「応急仮設住宅」には物資や炊き出し、催しなど多くの支援が届きます。しかし、民間のアパートなどを借り上げて仮設と同じ扱いになる「みなし仮設」には「もの」も「人」も届きません。そのような支援の手が届きにくい在宅避難者の方を対象とした催しも月に1度は行えるようにしています。
この時期七ヶ浜町内では何度も芋煮会が地域で行われます。子育て支援センターと連携の芋煮会もありましたが、今回は在宅避難者の方へ向けた芋煮会を行いました。企画・担当をしてくれた長期ボランティアからの報告です。
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みなさん。長期ボランティアスタッフ松永です。
10月23日【日】在宅者支援「芋煮会」を行いました。

 

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まず「芋煮会」とは… 秋にその年の収穫を祝って河川などで鍋料理を作って食べる行事のこと。長く厳しい東北の冬を前に親睦を深める行事として、家族や学校、職場などで行われているようです。
宮城県と山形県で芋煮の「味」が違うようで宮城県はみそ味の豚肉を使うようで山形県は醤油味の牛肉だそうです。具材はその他に里芋、じゃがいも、こんにゃく、ネギ、ニンジン、大根、など…
今回の企画は大谷大学さんと名古屋音楽大学さんが当日にお手伝い、持ち込み企画を行ってくれ運営スタッフ総勢50名とのことでした。
企画参加者は45名程で、ボランティアの数を含めると約100名になりました。
芋煮作りは地元のお母さん達やお父さんと一緒に行いました。

 

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料理はみんなで作るとかなり楽しい!みんなで食べる芋煮!!
人が多くかなりぎゅうぎゅうでしたがみんなで美味しい芋煮を頂きました。

 

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お昼御飯を食べた後は名古屋音楽大学による「ガムラン」の演奏です。

 

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インドネシア・バリ島の民族音楽は今まで聞いたことがなくなにか不思議で神秘的でした。
そしてこの音楽を聞く一番いいポジションはどこだと思いますか?
楽器の後ろ?前?さあどこでしょう!!
正解はこちら!!
じゃん☆>

 

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正解は楽器の下でした!そして全員で記念写真をパシャリ!!

 

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参加者にアンケートを書いて頂きました。「楽しかった」の声が多数あり、中には「久しぶり~と旧友と再会する方」もいました。
震災の影響から七ヶ浜から別の町に住む場所を変えた方が多い民間仮設住民の方々。また地元、七ヶ浜町に足を運ぶきっかけになってほしいと思い芋煮会を開催しました。以前行った「名古屋カフェ」からの継続的な支援でもあります。
在宅者支援は「瀬戸物バザー」「名古屋カフェ」「芋煮会」とやってきました。
次よりいい企画になるように頑張っていきます。

宮城県七ヶ浜町報告【第51報】七ヶ浜町でサーフィン解禁!

みなさま
RSY浦野です。
震災から8か月を迎えた七ヶ浜町で、サーファーのみなさんへビーチが開放されました!
当日は、宮城県サーフショップユニオンからの呼びかけで、地元サーファーやボディボーダーらが100名以上集まり、互いに喜びを分かち合いました。
セレモニーは、追悼慰霊祭、安全祈願祭、そして14:46の黙とう後、サーファーの方々約20名が入水という流れで進みました。臨席した七ヶ浜町長からは「多くの方々のおかげで七ヶ浜は着実に復興への一歩を歩んでいる」との言葉がありました。

 

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RSYでは7月から9月にかけて、「七ヶ浜再生プロジェクト」として、宮城県サーフショップユニオンをはじめ、菖蒲田浜地区の住民の方、災害ボランティアセンターや宮城県内の企業・NPOらと連携し、ビーチクリーン活動を実施しました。ビーチクリーンでは、近郊地域からのべ500名を超す方々が参加し、「沢山思い出のある海だから」と一生懸命に汗を流しました。その結果、沢山の人々の力で、日を追うごとにがれきや流木、コンテナが片づけられていきました。

 

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現在の菖蒲田浜海岸は、ご覧のとおり。見渡す限り白い海岸が広がり、すっかりきれいになりました。七ヶ浜でサーフショップを営んでいる「SURF SHOP MATTY’S」のHさんは、「津波で店は全て流されてしまった。でも、とにかくもとの海を取り戻してまた沢山の人が集まってくる浜にしたい」と、直後からたった一人でビーチクリーン活動を始められました。Hさんの活動に賛同した仲間が定期的に集まり、活動に参加するようになりました。そんな時、私たちもHさんと出会いました。

 

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そんなHさんは、今日の日をどれだけ待ちわびていたことでしょうか。
出会ってから数か月、この日、Hさんの最高の笑顔が見られました。

 

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七ヶ浜の海は、このように心からまち・人・うみを愛する住民の方々によって守られていることを改めて感じました。
菖蒲田浜の海岸は、かなりきれいになりましたが、安心して裸足で歩くにはまだ不安な部分もあります。ガラスやプラスチックのかけらなどが、まだ砂に埋もれている可能性があるからです。次は、菖蒲田浜海水浴場での海開きを目指して、素足で歩ける浜を取り戻すべく、引き続き地元の方々と一緒に取り組んでいきたいと思います。

宮城県七ヶ浜町報告【第50報】やります!ボッケ汁祭り

みなさま
RSY浦野です。
七ヶ浜には漁師さんが沢山います。その中の一人、Sさんは親子3代にわたり、うにやアワビなどを獲る素潜り漁中心の漁師さんです。
乱獲を防ぐため、うに・アワビ漁が禁漁になると、刺し網漁やアナゴ漁などに転向します。1年間で春夏秋冬、様々な漁を組み合わせながら漁師として活躍されている方です。
そんなSさんの船は、今回の津波被害で大きな被害を受けました。漁具も作業小屋も全て流されました。しかし、「七ヶ浜は昔ながらの漁師町なのだから、町を蘇らせるには俺達漁師が頑張らなければならない」と、海からまだ使える漁具を引き上げ、借金を覚悟で新しい漁具を購入し、漁を再開するために少しずつ準備を進めてきました。
10月28日、待ちにまったSさんの新しい漁船が進水式を迎えました。
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現在は、この新しい船で七ヶ浜の特産品「ボッケ」の大量を目指して、毎日漁に出ています。また、進水式の際には1~2件だった作業小屋も5~6件に増え、漁場にも少しずつ活気が戻ってきています。
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「今までお世話になってきたボランティアさんや、地域の人たちにボッケを食べてもらって、漁師も復興に向けて頑張ってるってことを知ってもらいたい。それを食べたみんなが笑顔で元気になって欲しい。それが俺の恩返しだと思ってる」と、野菜一杯のおいしい郷土料理「ボッケ汁」を振る舞うお祭りのご提案を頂きました。
そこで、11月12日(土)のお昼ご飯に合わせて、メインのボッケ汁に新鮮な蟹なども合わせて、ボランティアきずな館前でボッケ祭りを行うことになりました。12日~13日においで頂くRSYボラバスのみなさんには、このお祭りのお手伝いをしていただく予定でいます。
また、11月19日にRSY名古屋事務所で行われる報告会では、Sさんが獲ったボッケを名古屋に送ってもらい、ボッケ汁をふるまう予定でおります。さらには、当日は切り身の即売会も行いたいと思います。ボラバスで七ヶ浜に行きながら、シーズンオフのためボッケが食べられず、悔しい思いをされたみなさん、ぜひおいで下さい!!そして地元漁師さんの心意気に触れて下さい。
頑張る七ヶ浜の漁師さんたちへの応援を、何卒よろしくお願いいたします。

七ヶ浜・亦楽小の皆さんから「うるうるパックのお礼」をいただきました

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 お世話になっております。
 私たちがお世話になっている七ヶ浜町の亦楽(えきらく)小学校から、「支援物資のお礼」として子どもたちのお手紙をいただきました。5月に「うるうるパック」としてお届けした文房具などを大切に使ってもらっているとのこと。
 「震災でおちこんでいた友達も文具をいただいてとてもよろこんでいました」
 「けしごむがあまりなかったのでとても助かりました」
 「今、すこしずつ元の七ヶ浜のすがたにもどりつつあります」
 などと、かわいらしい字で一生懸命書かれています。こちらも”うるうる”してしまいました。
 校長先生からは
 「まだまだ不便はありますが日常の生活を少しずつ取り戻し、10月末には学習発表会も実施され、来場の皆様にいただいたたくさんの拍手で、自信も笑顔も戻りつつあります」DSC_0169.JPG
 との報告も添えていただきました。こちらこそ、ありがとうございました。
 うるうるパックは私たちだけでなく、民間企業単位で多くの方たちにかかわってもらいました。今後も、この地域からできる支援を続けていこうと思っています。
 よろしくお願いいたします。

宮城県七ヶ浜町報告【第49報】七ヶ浜の智恵を名古屋へ

みなさま
RSY浦野です。
名古屋市では、愛知県より新しい公共支援事業の補助金交付を受け、「災害ボランティアによる地域防災力向上事業」に取り組んでいます。
この事業の一環として、RSYもメンバーとなっている『なごや災害ボランティア連絡会』では、大槌町社会福祉協議会と七ヶ浜町社会福祉協議会のご協力を得て、10月14日から各現場に災害ボランティアコーディネーターを派遣し、地元名古屋での災害対応に備えて研修をさせて頂いております。RSY七ヶ浜事務局では、5日間の活動プログラムづくりや社協さんとの調整役を担っています。
今回は、七ヶ浜での受け入れの模様を少しだけご報告します。
毎週2名の研修生が七ヶ浜に5日間滞在し、VCの運営について学んでいます。VC運営の業務は、環境整備、オリエンテーション、受付、マッチング、資材管理、現場までの送迎、VCの雰囲気作りに至るまで多岐に渡ります。
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また、実際に現場に出てのボランティア実践や、ボランティアを受ける側となる地元住民へのヒヤリングなども盛り込み、災害ボランティアコーディネーターの役割を多角的に捉えられるようなプログラムづくりを心掛けました。
被災した立場の方のお気持ちに触れ、本当に必要とされている支援に結びつけるためのヒントを得るなど、参加された皆さんは、多くのことを経験されています。
研修生からは、「現在の七ヶ浜VCはボランティアにとって非常に親切。また来たいと思わせるような配慮が随所にちりばめられている。また、今の形になっているのは様々な工夫の末であるため、完成される以前の状態や問題点などにも触れたい」など、発見や意欲もあり、真剣に取り組んでいる姿勢が見受けられています。
七ヶ浜町社会福祉協議会、災害ボランティアセンターの皆様、お忙しい中お時間を割いてのご指導を心から感謝しております。
11月22日まで研修生の派遣は続きます。
現地での経験を名古屋で共有し、迫りくる次の災害への備えに確実に活かしていけるようしっかりと取り組んでいきたいと思います。

宮城県七ヶ浜町報告【第48報】七ヶ浜・紀宝町つながる輪

みなさま
RSY浦野です。
11月5日、台風12号・15号で甚大な被害を受けた三重県・紀宝町へ、浦野・清水(七ヶ浜出身・RSY七ヶ浜きずな館スタッフ・足湯担当)で、七ヶ浜からの応援グッズを届けてまいりました。
○紀宝町足湯チームとの交流
9月中旬にRSYが紀宝町に現地入りした際、避難所の方々が心身ともに相当な疲れを抱えていらっしゃる姿を目の当たりにしました。七ヶ浜で継続していた「足湯」が、きっとここでも喜ばれるのではと考え、災害ボランティアセンター副センター長のHさん、スタッフのTさんに相談しました。するとすぐに地元ボランティア「女性の会」の方々が集まり、「力はないけれど、できることがあればぜひやらせてもらいたい」と、9月22日~10月11日まで、避難所の足湯ボランティアとして活動されました。
今回は「女性の会」の役員さん4名がお集まり下さり、意見交換をさせて頂きました。
初めて足湯をした時の緊張感、印象的だった住民の方の言葉、活動の中での工夫などを体験報告をしながら、七ヶ浜・紀宝町で、お互いの知恵と想いを共有しました。
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(紀宝町足湯チームのコメント)
・最初はなんと言葉かけしていいのかわからず、冷たくなった手をただ握ることしかできなかった。でも、80歳前後のお年寄りが「こんなことをしてもらったのは生まれて初めて」と涙をながして感謝の気持ちばかりをおっしゃられていた。このような活動ができて本当によかったと思えた。また、自分の家も大変な状況の中、人に対してこのような言葉がかけられるのはすごいことだと思った。
・何度か通っていても、発災直後の話を初めて話すように何度もされていたのが印象的だった。命からがら避難された方が多かったことに驚いた。
・足湯をさせて頂いた方と、避難所を出てからもお付き合いがある。足湯がなければ繋がらなかった縁。他の方に対しても「あの人、今どうされているかなぁ」と気にかかる。
・足湯は人と人とが触れ合うためのきっかけづくりなのだと思う。
○避難所の訪問
現在3か所・約30名の方が避難所生活を送っています。その多くは、家屋が全壊し居住地を探している、又は改修が終わるまで待機している方々です。当日はお仕事やおうちの片づけなどで出かけている方が多かったのですが、清水から残っていたみなさんに「宮城から応援しています。」という言葉と共に、カエルちゃん人形と桜の木メッセージキーホルダーを手渡し、想いを託しました。
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(避難所の方のコメント)
・東北の災害に比べたらこっち(紀宝町)の被害なんか大したことないよ。でも今回の水害では2階まで水に浸かってしまった。台風当日は仕事をしていて、かなり遠回りして自宅に戻った。車も水没しながら何とか家までたどりついた。大工さんに改修してもらってるけど、大工さんも一人で10軒ぐらい受け持ってるみたいでなかなか進まない。一部屋だけでも寝れるようにしてもらえるといいんだけど。いつそれが叶うか、いつまで避難所生活が続くかわからない。(最初はとても疲れたお顔をされていましたが、カエルちゃん人形を手渡すと、表情が和らぎ、お見送りもして下さいました)
・私の家は流されちゃって、帰るところがないの。でも今度アパートに引っ越すよ。2階付のアパートを紹介されたけど、上り下りが大変だと思って断ったの。私の家は150年前のものだから、おっきかったんだよ。5,6世代続いてるんじゃないかな。家の周辺がほとんど親戚でね。それが土砂崩れで全部ダメになってしまった。おばちゃん心が折れたわ。立ち直れんわ。でも私がみんなを助けたようなもんなんよ。家に水が入り始めて、すぐにダムの放水だってわかったの。すぐに家族を起こして車に乗って山の方へ逃げてね。山にいる時は舌を噛むほど(土砂くずれで)すごく揺れたのよ。でもある意味私たちは「水」で助かったようなもんやわ。もし気づかなければ、土砂崩れに巻き込まれていただろうから。何もかも無くなったけど、文箱だけは奇跡的に見つかったの。れなちゃん(清水の名前)、お手紙書くから住所教えて。あなたがお家に着く前に手紙がついているようにしたいの。れなちゃん、おばちゃんは大丈夫だから心配しなくていいのよ。
・私は一人暮らしで、水害の時犬を連れて山に避難したの。雨でずぶぬれで夜中で真っ暗だったから怖かった。でも犬がいたからよかった。避難所では一緒にいられないから、犬は今家にいるの。家の修理をお願いしているんだけど、大分進んできて、あとは天井を貼るだけになったよ。カエル、みんな喜ぶわ~
○在宅避難者の方への訪問
紀宝町には応急仮設住宅は建設されず、町は、民間アパートを借り上げ、半年間家賃を無料にするという措置をとりました。住み慣れた地域を離れ、新しい環境で新生活を始めたみなさん。社協さんのはからいで、これらの方々のお宅を訪問させて頂き、カエルちゃん人形をお届けしました。
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(在宅避難者の方のコメント)
・遠いところからありがとう。(カエルを見て)私もこういうの作るの好きなのよ。水害で家がだめになっちゃって、ここへ来たの。以前は「なれ寿司」っていう郷土料理を作っててね。取材も来たのよ。その時の記事が奇跡的に残ってて。ほんとにうれしかった。「なれ寿司」はさんまやあゆを塩に漬けて、ご飯を柔らかく炊いて作るのよ。でも桶や道具が全部だめになってね。だけど周囲の人たちは「作ってほしい」って待ってくれているの。だから作るよ。今は前の地域を離れちゃったけど、同じ地域の人があと二人お隣さんで一緒だから安心。買い物はこっちの方が楽。ずっといてもいいくらいよ。
・わざわざ遠いところありがとう。かわいいねぇ、このカエル。鍵も入るの?玄関に下げておくといいかな。みんな良く考えて作ってくれてるのね。ありがたいねぇ。
・え~!宮城から来てくれたの?ありがとう。お家は大丈夫だった?あちらのみなさんの方が大変でしょ?でも、津波も台風も、水の被害は大変よね。今はようやく引っ越しが終わったところ。前住んでいた場所よりも高いところの家に入れたから、水は心配ないけど、土砂崩れが心配。やっぱり雨がふると不安になるね。ボランティアさんに泥かきとかやってもらったけど、本当にありがたかった。ボランティアの力はすごい。まさかこんな所にまで水が来るとは思わなかったからね。お互いに体に気を付けてやってきましょうね。
・親戚縁者で何とか片付きました。100年以上たっていた家が泥だらけになったけど、何とか少しずつ片付いているかな。でも住めないからここへ来たの。カエルかわいいわ~。ありがとうね。
■RSY清水より
被災者の方々は、「東北の被害に比べたらここは何ともない」とおっしゃていたのですが、災害の規模の大きさなど関係なく、「お互いに頑張っていきましょう!」という気持ちが大切だと思いました。紀宝町は本当にやさしくて、思いやりにあふれた素敵な町だと思いました。みなさんもカエルちゃん人形を見て「かわいい」と喜んで下さったので、直接手渡しでお渡しで来てよかったなぁと思いました。台風12号・15号の水害情報は東北ではあまり放送されなくなりました。今回実際に紀宝町に来ることができて、また貴重なお話も聞けたのでとてもよい経験になりました。
台風から2か月。紀宝町は七ヶ浜町と同様に復興の途中にあります。しかし、お互いを心配し合い、気遣いあう想いをカエルちゃん人形が繋いでくれ、紀宝町のみなさんに一瞬でも笑顔を運んでくれたことを、七ヶ浜町のみなさんもきっと喜んでくれるであろうと思います。今後も継続的にこの繋がりを育てていけるよう、RSYも応援していきたいと思います。
この取り組みについて、多大なるご協力を頂いた七ヶ浜町災害ボランティアセンター、住民のみなさん、紀宝町社会福祉協議会のみなさん、タオルを提供していただいたコープあいちさん、会員・ボランティアのみなさんに心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。

七ヶ浜町支援ボランティアバス・第36陣(10/28~31)活動レポート

みなさま
RSY事務局です。
今日はボランティアバス第36陣(10/29~10/31)でリーダーを務められたHさんの活動レポートを紹介したいと思います。
実はHさん、今年に入ってRSYのWEBページの改善にご協力いただいたり、RSYの活動について入念にお調べいただいたり(なんと過去のブログを全部読んで分類したり!)、ボランティア活動に必要な物品を購入して準備したり…と積極的に動かれていて、今回ついに第36陣で七ヶ浜での活動に参加していただきました!
帰ってこられて早々に、「ボランティア活動に参加することを迷っている方に向けて何か参考になれば…」ということで、以下のレポートをまとめてくださいました。
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◆宮城県七ヶ浜町支援ボランティア第36陣(10/28~10/31)活動レポート
こんにちは。ボランティア第36陣リーダーのHです。
36陣は、20~30代を中心とする10名という少人数グループだったので、コミュニケーションも良く、短くも充実した活動を行えたと思っています。
◆10月28日(金)・夜 
 RSY事務所に集合し、自己紹介やオリエンテーションの後、役割分担の結果、最年長の私がリーダーで、最年少ながら2度目の参加となる現役大学生のNさんがサブリーダーと決定。記念撮影の後、フジキューさんのバスに乗り込んで、名古屋を出発!
◆10月29日(土)
 12時間に及ぶバス移動の後、朝8時に宮城県七ヶ浜町にあるボランティアの活動拠点・きずな館に到着。その後、現地生活のオリエンテーション。そして東北学院大学の学生さん達と共に足湯のレクチャーを受ける。全員初めての足湯体験で戸惑うところもあったものの、お互いの詳しい自己紹介も交えながら大体の要領をマスター。
 午後からは、早速に七ヶ浜中学校第2グラウンド仮設住宅の集会所で初めての足湯ボランティアを実施。最初かなり緊張したものの、私の担当された方は思っていたよりずっと明るく話好きな方で、いろんな話題で盛り上がった。
 夕刻の振り返り会で各自の活動を報告する。「う~ん、みんな色々なことを話し、いろいろな気づきがあるんだ」と少しオドロキ。
 
◆10月30日(日)
 朝、多くのメンバーは自転車や徒歩で七ヶ浜の海岸まで行った。今も大きな傷跡を残しているその被災状況を眼の前に見て、みんなかなりのショックを受けたようだ。
その間に日曜日ということもあって、関東各地や長野から大型バスが次々と到着。本当に多くの人がボランティア活動をしていることに実感すると共に、7ヶ月たっても未だこの状況という現実に、今回津波の規模の大きさと復旧の困難さ・長期化を実感した。
 午前中の約1時間、仮設住宅にお住まいの方から地震/津波が来た時のお話や、現在の生活についてお話を伺う。淡々と「主人が挟まれた足を引き抜き、ガレキの上を走って逃げた」など生々しい状況を語られ、津波の恐ろしさと対峙する人間の強さを改めて感じた。
 お昼は、老人福祉センターでのイベントに参加し、そこで足湯ボランティアを行い、その後場所を第一スポーツ広場集会所に移して2度目の足湯を行う。
 途中移動で、足湯に必要な道具の一部が不足したりもしたが、活動を通してチームワークも良くなって来ており、無事時間内に終えることができました。
以前にご協力した「輪っか和っか」が、どこの仮設住宅の集会所の壁にも飾られていたのが印象的でした。ただ私が名古屋で集めた輪っかを発見することは、残念ながらできませんでした。また、集会所に集まっている子供達を含むみなさんが、台風12号で被災された紀宝町への応援グッズを作られていたのも感動しました。
 夕刻、きずな館に戻ると、お昼に行った老人福祉センターから「芋煮」や「おみやげバック」を頂いていた。こちらからお手伝いに行ったのに、おみやげまで頂き感激。初めて食べた「芋煮」はメチャメチャ美味しかったです。
 宮城県七ヶ浜町ともいよいよお別れ。19時にバスはきずな館を出発。
帰りのバスは、行きと一転し多くのメンバーが12時近くまでいろいろとお話。
特に、誰とも無く切り出した「あの人の雰囲気変わってない?」の一言がきっかけとなり、行きと帰りの集合写真を見比べる。当初話題となった「あの人」だけでなく、帰り前の集合写真は全員がこぼれんばかりの笑顔の別人。
 災害支援ボランティアに行った私達自身ですが、実は被災者のみなさんから「笑顔」を頂いていたことに改めて気づきました。
≪活動を終えて≫
 短い間でしたが、地域や年齢を問わず本当に多くのボランティアが大震災からの復旧に携わっていることを知りました。
 1泊だけでしたが七ヶ浜町きずな館では、東北学院と関西学院の学生ボランティアの方、名古屋市災害ボランティアの方をはじめとする多くの方々と、活動や思いを共有することもできました。
 私達ひとり一人、それぞれだとは思いますが、これからも何らかの形で七ヶ浜町を、そして被災各地を復興支援に向け、今後とも息長くご協力を模索して行きたいと思います。
最後となりましたが、機会を頂いたRSYのみなさまに深くお礼申し上げます。
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宮城県七ヶ浜町報告【第47報】癒しの芋煮会

皆様
RSY浦野です。
七ヶ浜では毎月1回、七ヶ浜子育て支援センターさんと連携して、親子を対象にした「つながる遊び庭子どもアート七ヶ浜」という支援プログラムを行っています。
日の光がポカポカ降り注ぐ10月13日、センターさんからの呼びかけで、60組・100名の親子が集まりました。当日は平日ということもあり、多くが乳幼児とお母さん、又はおばあちゃんの組み合わせでした。
まずはキャンプ場に集まって、みんなで焼き芋大会。
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次に、焼き芋が焼けるまでの時間を使って、輪投げやお絵描きコーナーなどの子ども遊び場ブース、ママたちは癒しのハンドマッサージブースでそれぞれの時間を過ごしました。
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特に人気だったのは、「LUSH(ラッシュ)ジャパン」のみなさんによるハンドマッサージコーナー。このプロジェクトにおいで頂くのは2回目です。LUSHさんにはこれまでにも、RSYへ活動支援金のご寄付や七ヶ浜のみなさんへの物資提供など、多大なるご支援を頂いております。
当日は、おしゃれでかわいいスタッフさんが、素敵な香りのするオイルやパウダーで魔法のようなハンドマッサージを施してくださいました。しかも、LUSHの化粧水やソープもみなさんにプレゼントしてくださいました。
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「自分だけの久しぶりに贅沢な時間」と、ママさんたちの表情も自然と穏やかになり、旅行の話、子どもの話、地震の話など思い思いの近況を湧き出るようにお話しされていました。
特に震災後の子どもの様子で気になっていることについては、
・仮設住宅は薄いので騒げず、子どものストレスが高まっている。何もないのに癇癪を起してどうしたらよういかわからない。
・子どもと少しでも離れるのが怖い。時々余震が起こるので、なるべく離れないようにと神経質になってしまう。
・子どもの年齢が高くなっても(乳児ではない)、いつもおぶっていないと不安(お母さんの子離れができていない)
・震災後、子どもが夜中5回ぐらい起きるようになった。
・震災後、暗いところを異常に怖がるようになった。(地震時は停電のため、ろうそく1本で生活。それがトラウマに?)
などという声がきかれました。小さな体であの日の出来事を受け止めるために、子どもたちも一生けん命戦っているんだと胸がいっぱいになりました。また、そんな子どもたちを必死で守ってきたママさんにも、ホッと一息つける場所が必要であることを改めて感じました。
最後は、お待ちかねの「芋煮」。大なべに、にんじん・さといも・じゃがいも・こんにゃく・豆腐・豚肉・ネギなど一杯の野菜を入れて、みんなでおいしく頂きました。
この食材は、全て「あいち生協」さんより無償でご提供頂きました。
子どもだけでなくパパ・ママが集い、語らい、リラックスできる場所づくりを今後も続けていきたいと思います。
11月は、柏崎市の未来予想図実行委員会のご協力を得て、「クリスマスキャンドルづくり」を行う予定です!