熊本豪雨災害 美里町向けうるうるパック発送完了のご報告

梅雨前線の停滞により、全国で強い雨が続いています。特に九州地方では土砂崩れなどにより家屋への被害や、避難所生活を強いられている方々がいらっしゃいます。
RSYでは「災害ボランティア活動支援プロジェクト会議」の一員として、平成18年7月豪雨、平成19年3月の能登半島地震に続き、「うるうるパック」を熊本豪雨災害被災地に向けて発送するための作業を行いました。
(※「うるうるパック」についての詳細は能登半島地震支援のブログをご覧ください。)

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「ボタ」ブログはじめました

RSYでは、2007年度日本財団より助成を受け、「安政東海地震の教訓を伝える『ボタ』の調査と教材作り」という事業に取り組んでいます。
「ボタ」とは、渥美半島の先端、田原市(旧渥美町)の堀切海岸沿いに約2.5kmにわたり築かれている津波堤防のこと。地元で語り継がれた話によると、「ボタ」は別名「貝ボタ」と呼ばれ、1854年の安政東海地震後に、これ以上村に被害が出ないようにと当時の住民らが貝殻や土砂を盛り完成させたものといわれています。
RSYが行う調査の目的は、「ボタ」がこの地域に残した地震の教訓を、地域の子どもが学べる教材としてよみがえらせることです。
このたび、助成元である日本財団さまが提供しているCanpanブログのサイトに、「ボタ」ブログも仲間入りしました。調査の進捗状況などを随時お知らせしていく予定ですので、RSYブログの姉妹ブログとしてときどきのぞいてみてください。Canpanブログには様々な地域団体がブログを登録しているようなので、これから田原市や渥美半島で活動する方々と、「ボタ」ブログを通じお近づきになれたらと思っています。
それにしても便利な世の中ですね。

お姉さま方ご来室

事務所にはほぼ毎日来客があります。その多くは講演や業務の打ち合わせのためにいらしてくださる方々。暑い中、本山までご足労いただいております。有難いことです。
でも、私が密かに楽しみにしているのは、そしてRSYの事務所が普通の事務所と違うのは、事務所にただお話に来てくれる方々がいることです・・・

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2007年度通常総会が無事終了しました

6月23日、レスキューストックヤードの2007年度通常総会が、参加者31名、委任状提出者68名の議決をもって無事終了しました。幸い、レスキューストックヤードは様々な機関・団体から事業を委託され、毎年新しい取り組みにも着手できておりますが、これも多くの方々のご支援やご協力があってこそ成り立っているものです。今年も引き続き災害から一人ひとりの命や暮らしを守る地域づくりを目指すとともに、私達新人も加わりましたので、本山の事務所で起きていることをより丁寧に発信し、多くの方にRSYを身近に感じてもらいたいと考えています。
また、総会後の大江浩先生(日本キリスト教海外医療協力会総主事)による基調講演では、自然災害に限らずとも命を脅かされる経験を持つ人、そしてそれをケアする側の心の持ち様について、温かく、そして非常に心に染みるメッセージを頂きました。なかでも災害の後に必要な3つの”T”、”Tears”、 “Talk”、 “Time” (涙、会話、時間)は災害救援のボランティアに行かれる方のみならず、多くの人に紹介したい言葉だと思いました。
総会の開催にご協力くださったみなさま、どうもありがとうございました。

気まぐれ穴水巡り記 その2 縲怐u川」のある商店街

6月22日の能登地方は大雨でした。
外でよい写真が撮れる条件が整わなかったので、私が穴水を訪れている本来の理由である「ふれあいサロン」での話題を紹介します。「ふれあいサロン」は、穴水町商店街の復興について商店主さんや町役場の職員が意見を述べ合う場所として用意されました。
この日は目指す商店街のアイデアとしてたくさん出されたものの中から「テーマ」を決める作業を行いました。3つの班に分かれての作業でしたが、いずれの班でも出てきたテーマが「川」に関するものです。

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気まぐれ穴水巡り記 その2 〜「川」のある商店街

6月22日の能登地方は大雨でした。
外でよい写真が撮れる条件が整わなかったので、私が穴水を訪れている本来の理由である「ふれあいサロン」での話題を紹介します。「ふれあいサロン」は、穴水町商店街の復興について商店主さんや町役場の職員が意見を述べ合う場所として用意されました。
この日は目指す商店街のアイデアとしてたくさん出されたものの中から「テーマ」を決める作業を行いました。3つの班に分かれての作業でしたが、いずれの班でも出てきたテーマが「川」に関するものです。

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本日のレスキューからVOL6 3者協定・人とのつながり

 岩瀬です。今日は一日中雨でした。今朝部屋を出てから駅について傘をたたもうとしたら、傘の骨がビニールを貫通し、壊れていることに気づきました。いつ壊れたのでしょう?もう、雨は本当に嫌です・・・。しかし大雨で水害がおきても、雨が降らずに植物が枯れたり、水不足になっても困りますね。自然には、日々悩まされます。
○3者協定が結ばれました 
さて、6月19日は何の日でしょうか?実は、名古屋市で『防災の三者協定』が結ばれた記念日なのです。三者とは①名古屋市と、②社団法人名古屋建設業協会(名古屋市内の建設業者の方々で構成されている団体)、そして③名古屋災害ボランティア連絡会(各区、地域での防災や被災地でボランティア活動をされているみなさん)です。
簡潔に言ってしまうと、災害時に使用する器材(炊き出し道具、軍手、スコップ、石鹸など様々)を3者協力して保管することをはじめ、高い確率で来ると言われている東海・東南海地震など災害に対して平常時からみんなで備えていこうという試みです!それぞれの立場・特性を合わせてどのような効果が生まれるのでしょうか?この結びつきからさらに愛知・名古屋の防災が活気づいて行くのではないかと思います!
○しかし、人との繋がりって考えると深いものです・・・
 また、日常、様々な立場で活動している3者が防災という線で結ばれたように、一見分野が違うようでも、関係ないようでも、”防災”のように何かキーワードを探せばつながっていると私は思います。例えば?と聞かれてもすぐには出てきませんが、そのキーワードが見つかれば、住む世界が違うと思っていた人が意外と身近な存在に思えたりもすると思います。実際、レスキューのスタッフをはじめ、事務所を訪ねてくる人や電話をかけてくる人も多種多様です。それもこれも、私の場合やはり防災でつながっているのだと改めて思う今日この頃です。
そして、つながりというものは口だけや形だけの関係では、いざという時に崩れてしまうと思います。そうならないためには、本当に口で言うのは簡単なことですが、心からの丁寧なおつきあいが必要となりますが、日常の自分を振り返ると、反省する点が多々あります・・・。
災害のようにいざ被災した時にこそ、人とのつながりがプラスの力になるような人間関係つくりを、レスキューのみならず周りの人とも築いていきたいですね。そのための方法を、他のスタッフのみなさんや3者協定の今後のやり取りの中から学んでいこうと思います。

気まぐれ穴水巡り記 その1

松田です。RSYの一員となり3ヶ月経ちました。ここのところ金曜日に穴水町を訪れる週末が続いています。
今も穴水町では被災家屋の取り壊しや建て替えが少しずつ進み、また仮設住宅での暮らしも続いています。地元の方々は次なる支援について真剣に策を練っておられます。
もちろん、被災地である穴水町には今後も継続的な支援が必要です。ただ、毎週穴水の方に良くしていただいている身として町の違った一面も紹介したいと思い、ブログに綴ることにしました。写真の腕が恐ろしく悪いのですが、ぼちぼち技を磨いていきますので、見てやってください。穴水には素敵な「人」もたくさんいますので、そのうちカメラに収めてきます。
なお、RSYが事務局をつとめる「震災がつなぐ全国ネットワーク」では、能登半島地震の被災地を中心に、美しい奥能登の風景を集めようという計画も進行中です。(実現するかはまだ未定ですが) 私も新潟中越地震のときに棚田の風景をテレビで観て、あんな風景が日本に残っていたことに驚きました。能登も捨てたものではなく、あの農村風景とはまた違う魅力的な景色が至る所にあるんです。能登半島地震が忘れられないうちに、私が中越で感じたような驚きを多くの方に持ってもらうことも、息の長い支援につながるのだと思います。
前置きが長くなりましたが、今日は3枚紹介します。

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本日のレスキューVOL5 能登半島 穴水町にて2(6月10日)

 今回も穴水町の振り返りをしたいと思います。到着して2日目(この日に帰宅しましたが…)、今日は私と同じで4月からレスキューのスタッフとして一緒に活動している松田さんと一緒に穴水町をまわりました。とはいえ、仕事サボって観光していたわけではありません!
 実は来月7月15・16日に名古屋からバスで行く《うまいもんの里・穴水町バスツアー》をレスキューで企画しています。ちなみに、15日に穴水町では”長谷部まつり”という祭りが開催されます。lそのまつりにも名古屋からうまいもんを持っていって参加しつつ、穴水町のうまいもんもいただくということを通して、名古屋と穴水町、そしてボランティア同士の交流を深めると同時に、穴水の町がもっと元気になるようにと願いをこめた企画です。その下見として、観光スポットなどをめぐりました。
 地元の人に見所を聞いたところ、「夏は海が海水浴でにぎわう」「サザエ取りがいいんじゃないか」また、いかだつりなどがあがりました。そういった場所や、他に「四季の丘」と呼ばれる農業体験や能登ワイン工場があるところ、市場(お土産屋でした)、ボラまちやぐらという、昔ボラという魚の漁業に使用されていたやぐらを見てきました。
 農場は現在イチゴ狩りの最中。その横ではヤギやウサギ、しかなどの動物と触れ合える場所もあり、親子連れには最適だと思います。ワイン工場の方とも少しお話したところ、ワインの(ぶどう)畑の見学もできるそうです。ワインの試飲はもちろんできますが、車の運転手や子供には進められないのが残念。と、いうことでこれからはそういった方でもジュースを試飲できるように考えているそうです。工場の横には小さいぶどうの木がありました。
 しかし穴水町は海の幸も豊富ですが、ふと後ろを見ると山もあるという半島ならでは(?)の風景も見られ、私個人的には見ているだけでも十分癒される場所だと思いました。果たしてどのようなバスツアーになるのでしょうか?楽しみです。
 また、2日間で感じたのは、10代後半縲鰀20、30代の方若者(私と同じ世代)とあまり合わなかったので、やはり過疎化が進んでいるのか?と思いました。金沢など地方に出ているようです。「穴水に嫁においで」という言葉もいただきました(^^;)冗談交じりの言葉とはいえ、中身は深刻のように思いました。
 最後に、あまりいらない情報だと思いますが、久しぶりの外出ということもあって帰りの電車では爆睡していまい、降りる前近くの席の女の子に起こしてもらってしまいました。人のありがたみ(自分の情けなさも)を感じると共に、普段出張が多いスタッフは、改めてすごいなぁと感じる旅でした。

本日のレスキュー VOL4 能登半島 穴水町にて(6月9日)

岩瀬です。6月9日10日に短い間ですが能登半島へ行ってきました。今回はその振り返りをしたいと思います。
6月9日の夜、穴水町の商工会横でカフェ・ローエルという復興祈願を込めたイベントが行われました。カフェ・ローエルは今回だけでなく不定期に開催されるお祭りのようなものです。このカフェ・ローエルというイベントに、名古屋からおにまんじゅうを持って向かいました。能登鉄道の穴水駅を下りると、民家や商店街がありました。すぐ目に入ったのは“危険”などと書かれた応急危険度判定の黄色い紙でした。実は被災地と呼ばれる地に行ったのは初めだったので、やはり衝撃的でした。
○で、ローエルって何だ?
カフェ・ローエルって、なんだかお洒落そうな名前だなぁとも思いますが、同時に一体どんな意味があるのか気になったので調べたところ、天文学者のパーシバル・ローエルという人が穴水町に訪れたことを由来としているそうです。
○イベントの準備の様子
夕方4時くらいに到着したところ、川沿いにある会場で地元のおじさん、おばさん達が中心となり出店だとか、カフェ・ローエルの見所といえる川沿いや商店街沿いにろうそくを並べる準備をしていました。ろうそくは、単にたてるのではなく、カラフルな色を塗ったペットボトルの中に砂とろうそくを入れて並べるということで、ペットボトルの上のほうをカッターで切り取る作業をしていました。何本くらいあったのでしょうか…?相当な数でした。
この日は全国的に雨で、降ったり止んだりの繰り返しでしたが、「雨まだふっとるねぇ縲怐vと言う声は出たものの、特に怯むことなく着々と準備は進みました。
私が来たとき、「名古屋から何しにきたの?」「イベントやると聞いたので名古屋の名物もって参加させてもらいに来ました(そのまま)。」という会話からはじまり、なんとなく一緒に作業をしながら、「今立ってる場所は地震で斜めになったんだよ」「裏にあった家がつぶれた」など地震が起こったときの事や、穴水町の話を聞かせてくれました。
○イベントの様子
川沿いに並べたり、ピラミッド型に積み上げられたペットボトルの中のろうそくに火が灯り、公民館の様な建物の壁にはCAFE ROWELLと言う文字がろうそくを掲げて作られていました。
とうもろこしやイカ焼き、蕎麦やジャージャー麺、コーヒーやお菓子、能登ワインやビールの出店(ここにおにまんじゅうが参加!)を出したり、地元の子どもたちの合唱団の発表を行ったり音楽を流したりとにぎわいました。
イベント開始は18:00、どこから沸いてきたのだろう?と思うくらい子供の姿(幼児から中学生くらいまでの)が現れました。穴水町は高齢化が進んでおり、子供はあまりいないのではと勝手に思っていたので、想像以上の子供達の参加に、正直圧倒されてしまいました。主体となって運営している大人達は、ビールや能登ワイン、手間をかけて入れたコーヒーを飲みながらゆったりとした時間を過ごしていました。
 おにまんじゅうの売り上げといえばまずまず、「おいしかったから!」と、再び買って帰る人も見えましたが、隣には京都から来た茶団子があり、食べやすさの違いか団子のが若干人気がありました。
 また、出店のために手作りのケーキを作ってきた方もいました。そのケーキは珍しく、中身はフルーツかな?と思っていたらなんと惣菜が入っていました。作った本人は日本でも数少ない惣菜アドバイザーだそうです。ご高齢なのか、売り場には顔を出さずお会いすることは出来なくて残念でした。機会があればお話してみたいものですね。
○イベントの片付け
準備に手が込んでいたため、やはり片付けも大変そうでした。商店街や川沿いに並べたろうそくとペットボトルの回収、ただ回収するだけでなく中の砂とペットボトルを分別しなければならないのでそれだけでも相当な労力が必要です。
 私たちは旅館にご迷惑をかけてはいけないということで途中で帰りましたが、住民の皆さんも当日中に片付けるのは難しかったようで、次の日の早朝にも行っていたそうです。
大変だなぁと思うと同時に、1つの行事に対するものすごいパワーを感じました。労力を惜しまないそのパワーは、きっとこれからの町の復興に反映していくんだろうな、と勝手ながらに思いました。
次回のカフェ・ローエルは8月に開催されるそうです。