あるある79号発送しました

みなさま

お世話になります。RSY事務局です。

ゴールデンウィークが始まっていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
本日、事務局では「あるある79号」の発送作業を行いました。
今回はいつもより同封するチラシ等が多かったのですが、
2名の心強いボランティアの方のご協力があり、とってもスムーズに作業が進み
無事に作業を終えることができました。

 

さて、最新号(79号)の読みどころは・・・

▼特集1
東日本大震災から3月11日で4年が経過しました。
被災3県での災害公営住宅の完成は15%に留まっています。
RSY七ヶ浜スタッフに、現在の七ヶ浜のまちの様子や5年目の想いを聞きました。

▼特集2
東日本大震災による避難者は、いまだ22万5千人を越えています。
愛知県にも約1,100人の県外避難者の方がいらっしゃり、悩ましい生活は続いています。
愛知県被災者支援センターの瀧川さんに、県外避難者の現状や支援についてお聞きしました。

お手元に届くまでしばしお待ちください。
ご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

RSY 春合宿終了しました!

みなさま

 

2012年4月から年2回のペースで実施しているRSYスタッフ合宿。本年度1回目が無事に終了しました。現在RSYでは、名古屋事務局6名(プロジェクトスタッフ2名)、七ヶ浜事務局4名、愛知県被災者支援センター事務局4名、震災がつなぐ全国ネットワーク事務局2名の計18名の有給スタッフを置いて活動しています。

この合宿では、2015年度上半期の事業方針・事業進捗確認、目的の明確化、互いの担っている業務への理解、スタッフ間の親睦を深めるなどを目的とし、14名が参加しました。

本年度は新規事業として、広域避難者支援ネットワークづくり、子ども防災、炊き出しツールの開発をテーマにした助成金事業や、避難行動計画づくり、商店街での防災訓練、要配慮者支援、避難所運営訓練等の委託事業も行政から受託しています。また、七ヶ浜での東日本大震災の被災者支援も引き続き継続していきます。

さらに今年も各地で多くの災害が発生する危険性が高いことから、オールジャパン、東海地区、愛知県内、名古屋市内でのネットワークづくりも強化していくこととなりました。緊急救援、東日本大震災復興支援、地域防災の3本柱を丁寧進めていけるようスタッフ一同協力し合いながら取り組んでまいります。

いつも支えて下さっているネットワーク、会員・ボランティア、各被災地、一般市民の皆様に深く感謝すると共に、引き続きご理解とご協力をよろしくお願い致します。

(最後に一人ずつ今年度上半期の目標を発表して終了しました)

宮城県七ヶ浜町報告【第193報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第21号] (2015年3月1日~3月31日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年3月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年4月11日で震災から4年1ヶ月が経過しました。

「5年目はいったなや、いよいよ引越しだわ。ありがとう。」
ついに仮設から公営住宅の引越しが5月より始まる七ヶ浜町です。
しかし、5団地の内5月に入居できるのは2団地。その他は『年内』となっています。
「今年の年越しは寒い仮設じゃないところがいいね」と話す親子も見かけました。

「本当は家を建てたいけど・・・。そんなお金は流されてしまった・・・」
復興が進むにつれて、個人の復興格差が顕著に見えてきています。
公共の支援だけで補えないところを支えるのがNPOやボランティアです。
「公営住宅に入ったら、仮設みたいに収納棚や神棚をつくらないといけないんだ。
手伝ってくれないか。終わったら一緒にご飯でも食べよう!やっとお客を呼べる広さの家に入るんだからね!」
支援者と被災者といった関係から時を経て、友達付き合いのように接するようになり、このような声もかけてもらっています。
5年目に入ったRSYの東日本大震災支援活動を、頑張る七ヶ浜町のみなさんをこれからも応援してください。

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○入院してたから公営住宅入居の時の提出書類がまだ出来ていない。

入院中は全く情報が入ってこなくて大変だった。
説明会にも出られなかったけど、友だちがいろいろしてくれてなんとかなっている。
(50代:男性)

 

 

○引越はまーだまだ先だ。住宅の説明会もまだまだ。いつから入れるのかな。
一人暮らしは引越し大変だよ。なんかあったら『手伝って』って声かけるからね
(80代:女性)

 

 

○家にいる時は裁縫してんだ。なにもしねぇとボケるからさ。
若い時は漁師だったから全国回ってたんだ。身体悪くしてからはダメだな。
今作ってる(手芸品が出来たら)今度あげるからまた来てな。
(80代:男性)

 

 

○足湯来たの初めてなの。いつもは夫がいて家から出ようとしないから行けなかった。
夫が入院してから三日目。いたら喧嘩するけどいなくなるとさみしいね。
10日に手術するの。夫と息子夫婦と孫の5人で住んでるの。仮設での暮らしは慣れた。
(60代:女性)

 

 

○接骨院行ったら血圧が上200って数字が出たんだ。血圧高くてマッサージしてもらえなかった。右手/右足がしびれがとれねぇ。どうにかしてくれよ。
(60代/男性)

 

 

○避難所で一日2食の生活をしていたから、震災後は昼食抜きの1日2食の身体になった。
震災前は米を炊いていたけど、今は出来合いのものをコンビニで買っている。
(50代:男性)

 

 

○浜のお茶会はいつもあんな感じだよ。みんな楽しい感じで。また遊びに来てよね。
(70代:女性)
※同じ部落の人たちだけで集まるお茶会が集会所で開催されている。

 

 

○歳を取るにつれてどんどん身体が悪くなっていく。最近は白内障と緑内障と医者に言われた。いつも集会所に集まってみんなとおしゃべりするのがとても楽しみ。
こうして学生さんたちが来てマッサージしてくれるのが本当にありがたい。
(70代:女性)

 

 

 

○3月11日はまた雪降ったね。あの時も降ってたんだよ。
みんなして今、笑ってっけど大変だったんだからなぁ。
(80代:女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第192報】ボランティアバス70陣報告(3/13~16)

みなさま

お世話になります。RSY事務局です。

ボランティアバス70陣は13日(金)に名古屋を出発し、14日(土)は宮城県七ヶ浜町で住民との交流会を行い、15日(日)は東日本大震災追悼企画「3.11メモリアル企画 七ヶ浜UMI-TSUNAGU 2015」に参加し、16日(月)の早朝に名古屋へ帰着しました。以下、ボランティアバス70陣の活動報告です。

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3月15日に宮城県七ヶ浜で行われた東日本大震災の追悼企画「3.11メモリアル企画 七ヶ浜UMI-TSUNAGU 2015」にボランティアとして参加するため、3月13日夜から16日朝にかけて、RSYボランティアバス70陣が七ヶ浜へと向かいました。今回のボラバス70陣メンバーは14人、何度もボラバスで七ヶ浜を訪れている人や今回初めてボラバスに参加する人もいました。 13日の20時頃RSY名古屋事務局を出発し、翌日14日の8時頃七ヶ浜に到着しました。七ヶ浜に着いて、きずなハウスでRSY七ヶ浜事務局の方と合流し、今回のボラバスの目的や日程の確認などを行い、きずな公園まで朝の散歩をしました。

 

 

 

 

 

 

その後、公民館に2名の七ヶ浜の住民の方に来ていただき、ボラバスメンバーも2つのグループに分かれて住民交流会を行いました。来ていただいた住民の方は、震災前の七ヶ浜の様子や震災直後のこと、避難所での生活や仮設住宅での暮らし、今後の生活の見通しなど、本当にたくさんの貴重なお話をしてくださりました。私たちには、想像がつかないくらいの大きな震災であったこと、震災によって余儀なくされた避難所や仮設住宅での生活など、考えを深めることのできた交流会となりました。

 

 

 

 

 

 

午後からは翌日に控えているメモリアル企画の準備を行いました。七ヶ浜ボランティアセンターの方々が中心となり、いくつものボランティア団体がメモリアル企画の会場の準備などをしていました。ボラバス70陣は、展示ブースの会場設営を行いました。震災前の七ヶ浜、震災直後の七ヶ浜、ボランティア活動の様子などの数多くの写真を展示していきました。写真を展示しながらも、震災について考えることのできる時間となっていました。

 

 

 

 

 

会場設営終了後、5名の住民の方にご協力していただき、仮設住宅の見学をさせていただきました。震災から4年が経った現在も、七ヶ浜では多くの方が仮設住宅で生活をしています。今回初めて仮設住宅の中に入らせていただいて、仮設住宅での生活における悩みや課題もたくさんあり、それらを抱えながら生活しているのだということを感じました。また、現在七ヶ浜では、仮設住宅から公営住宅や高台移転などと生活の拠点の移行期に突入しており、今後徐々に移行が進んでいくということも知りました。

 

2日目は、東日本大震災追悼企画「3.11メモリアル企画 七ヶ浜UMI-TSUNAGU 2015」当日です。当日は朝からそれぞれのボランティア団体が準備をし、11時からメモリアル企画がスタートしました。オープニングを飾ったのは、七ヶ浜を笑顔にするために活動している浜風太鼓のみなさんとWINGSのみなさんでした。威勢のいい太鼓と可愛いチアダンスによって会場は一気に盛り上がり、ボラバス70陣メンバーも自然と笑顔になっていました。

 

 

 

 

 

 

今回ボラバス70陣は、このメモリアル企画内の食のブースにて「名古屋名物 たません」を振舞いました。たませんとは、名古屋近辺においてお祭りなどの屋台でよく販売されているB級グルメのようなものです。作り方はとてもシンプルで、大きなえびせんべいに目玉焼きをのせ、お好みソースとマヨネーズをトッピングします。メンバーで協力をして、目玉焼きを作る係、えびせんべいを半分に割る係、トッピングをしてお客さんに渡す係、宣伝係に分かれて頑張りました。私たちボラバス70陣メンバーの想像をはるかに超え、「名古屋名物 たません」は大好評で、名古屋から持参したえびせんべいが足らなくなり、近くのスーパーに買いに走るほどでした。食べてくださった方々が、「美味しい」と言ってくださって、とっても嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

食のブースには、私たちボラバス70陣の名古屋名物たませんたけでなく、長野県のおやきや兵庫県の甘酒、宇都宮の餃子、七ヶ浜のわかめ部会によるわかめの試食などさまざまなコーナーがありました。また、食のブースのほかに語り部コーナーやフリーマーケットなどのイベントブースもあり、ボラバス70陣メンバーも一緒にイベントに参加し楽しみました。

また、14時半頃から追悼イベントが行われ、このメモリアル企画に参加している地元の住民の方々とボランティアスタッフで黙祷をし、最後にみんなで嵐の「ふるさと」を合唱しました。東日本大震災という大きな震災をこれからもずっと忘れず、伝え続けていくことを誓いました。

 

 

 

 

 

 

 

今回、このボラバスに参加し、震災から4年経った七ヶ浜を訪れ、住民の方々と交流をさせていただくなかで、七ヶ浜の住民の方々の温かさ、また、復興に対する強い気持ちを感じることができました。また、震災から4年が経ち、徐々に復興が進んできているからこその新たな課題もあるということが分かりました。私たちは、東日本大震災を決して忘れてはならず、あの大きな震災が被災地に与えた影響や未来に向かって復興し続けていること、何年経っても様々な課題があるということを未来へ伝え続けていくことが大切だと、感じ、考えることができました。

【報告】「うるうるパック」パック化作業を行いました

みなさま

お世話になっております。RSY事務局です。
東日本大震災発生から4年を迎え、仮設住宅などでの避難生活を余儀なくされている方は、現段階においても23万4千人(昨年末現在・復興庁)に及んでいます。
今年度以降、この方々が順次高台移転や災害公営住宅に移られることになり、新たなつながりづくりが必要との現地からの声が聞かれます。今回、東日本大震災の被災地を対象に、企業等から提供頂いた生活用品等をパック化した「うるうるパック」をお届けすることになり、3月14日(土)に宮城県気仙沼市、石巻市、岩沼市、塩釜市、福島県新地町の5市町向けにパック化作業を行い、16日(月)に発送いたしました。
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▼うるうるパックとは?
うるうるパックとは、被災者が必要とする生活物資等を企業等から頂き、ボランティアがパック化した上で、被災地の災害ボランティアセンター等を通じて地元の自治会や民生委員らとともに「お見舞い品」として訪問配付する活動です。この取り組みは、単に被災者に物資を提供するということではなく、これまでの被災者支援の経験に基づく本当に必要な物資であるとともに、被災者一人ひとりが抱える暮らしの課題について直接お聞きすることができます。(過去にうるうるパックを配布した被災地:2005年長野水害、2007年新潟県中越沖地震、2011年東日本大震災、2013年伊豆大島)

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今回は2パターン用意し、宮城県気仙沼市、石巻市、岩沼市、塩釜市には、食器用洗剤・タオル・歯ブラシ・綿棒・ボールペン・シャンプー・コンディショナー・入浴剤・カードのセット、福島県新地町に食器用洗剤・タオル・歯ブラシ・綿棒・ボールペン・ヘアブラシ・コットン・手芸セット・カードのセットをお送りしました。午前10時から16時までの作業で延べ32名のボランティアさんに集まっていただき、計1632セットの「うるうるパック」を作成しました。

 

 

今回はRSYで新たに借りている「小牧倉庫」でパック化作業を行いました。普段からRSYと関わりのあるボランティアさんと、大口町社会福祉協議会、大口町にある団体「災害救援大口」、「D・サポート丹羽」の皆さまが参加してくださいました。

パック化作業は「食器用洗剤・タオル・歯ブラシ・綿棒・ボールペン」を入れるグループ、「シャンプー・コンディショナー・入浴剤」を入れるグループ、「ヘアブラシ、コットン、手芸セット」を入れるグループ、ダンボール箱の作成、整理をするグループに分かれて行いました。

     

今回は食器用洗剤をパックに入れており、液漏れ防止で袋を丸めてパック化を行いました。カードを袋に入れてしまうと曲がってしまうため、カードは別にしました。

  

今回は沢山の参加者に恵まれ、スムーズに作業を行うことができ、当初予定していた時間より早く終えることができました。ご協力頂いた皆さま、ありがとうございました。「うるうるパック」は今後も東日本大震災の被災地域へ届ける予定です。次回の日程が決まり次第お知らせいたしますので、皆さまのご協力お待ちしております。よろしくお願いいたします。

 

今回発送した個数の詳細は以下の通りです。

・宮城県気仙沼市 200セット+予備5セット

・宮城県石巻市 200セット+予備5セット

・宮城県岩沼市 300セット+予備5セット

・宮城県塩釜市 300セット+予備5セット

・福島県新地町 600セット+予備12セット

計1600セット+予備32セット

 

 

 

 

 

宮城県七ヶ浜町報告【第191報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第20号] (2015年2月1日~2月28日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2015年2月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年3月11日で震災から4年が経過しました。

「いろいろ思い出す時期だが、まだまだだ。テレビで『神戸は20年経ってまだ復興していない』と言ってた。
東北は何年かかるか分からんな。でも、前向いてやってくしかねんだ。まずは今年に高台移転して家を建てて仮設を出てからだな。」
「公営住宅で部屋決まった。でも、アパート暮らしみたいなもんだからなぁ。前みたいな生活じゃないからどうなるやら・・・。」
「震災から4年でここまでやってこれたのも応援してくれる人がいてくれたからだ。みんなの気持ちを無駄にしないようにこれから頑張っていきたい」

故人を想う/家族・友人間の絆を確かめる/再起を誓う/これからを考える・・・人それぞれ、様々な想いを胸に『3.11』を迎えます。
この日から『震災から5年目』という言葉が出てきます。その言葉は時に住民の皆さんに重くのしかかります。
『5年目だからもういいだろう』と云うことはありません。
1年目も5年目も、いままでもこれからも支援の在り方は変わりません。
住民の声である『つぶやき』を元に、被災を受けた皆さんのためにこれから考えていきます。

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○2月頭に大雪が降ったけど風除室大丈夫だったよ!完璧!直してくれてありがとうね!
(70代:女性)

 

○公営住宅の入居者説明会に行ってきたわ。別の地区の人も結構いるみたいでちょっと不安だけど、全く知らない人じゃないし大丈夫かな。
集会所ではイベントとかあるんだろうか?あったらいいなぁ。
(70代:女性)
※震災前の地区単位で高台移転が行われるが、この方が入居する公営住宅のみ様々な地区の住民が入り混じる

 

○来月の頭に高台移転地で友達が自宅兼店舗でお店をオープンする。その人の夢だったんだよ。
自分のことのように嬉しい。
(40代:男性)

 

○3月って言ったら、桜とか花見ってイメージなのに。今は震災。暗いイメージが残ってしまった。
私は仮設暮らしだけど、そんなかわいそうな目でずっと見られたくない。普通に今は元気だ。
みんなで笑って花見がしたいね。
(60代:女性)

 

○2月は町のイベントもないし、町自体が静かだわ。今年はそんなに雪降らなかったね。
2011年や2012年はものすごい雪が降ったんだよ。あれはもう七ヶ浜じゃないくらいの量だったね。震災で天候もおかしくなったと思った。
(60代:女性)

 

○もうすぐ下の子が小学生になる。時が経つのはすごく早い。あっというまだよ。
ここ3年で私自身10歳以上年とった気がする。でも震災後はお兄ちゃんがかなり逞しくなった。
家でも妹の面倒ちゃんと見てくれる。頼もしいよ。
(30代:女性)

 

○マスコミは年明けからいきなり『震災だ。3月11日だ。』と騒ぎ立てる。
そしたら今度は何年後か知らないオリンピックの話題も出てきた。
うんざりしたけど、これに関してはもうどうにでもして思った。本当に私たちのことを見ているのか。
(60代:女性)

東日本大震災犠牲者追悼式あいち・なごや

皆様

東日本大震災犠牲者追悼式が行われます。

あの日から4年。

犠牲になった方々へ

追悼の意を

愛知・名古屋から。

 

忘れない想いを、共に、捧げましょう。

日時:3月11日(水)  13:00 ~ 19:00

(キャンドルに灯をともし、黙とうを14:46からと18:46からの2回行います)

場所:栄 もちの木広場

(東山線 名城線「栄駅」3・4番出口からすぐ。名城線 桜通線「久屋大通駅」3B・4B出口から2分。テレビ塔下です。)

★レスキューストックヤードは、実行委員の一員として運営に加わっております。

 

あるある78号発送しました

みなさま

お世話になります。RSY事務局です。

 

春の足音が近づいてきた今日この頃ですが、本日はあるある78号の発送作業を行いました。
久しぶりにアダージョ千種の皆さんが来てくださり、ご夫妻ボランティアさんも加わって
計9名の大人数でワイワイ楽しい発送作業となりました。
皆さん数か月ぶりの発送作業にも関わらず、スムーズに作業してくださり、
15:30には作業を終えることができました。

 

さて、最新号(78号)は、通常より2ページ多い「阪神・淡路大震災20年特大号」です!
読みどころは・・・

▼特集1
阪神・淡路大震災から今年で20年。
震災のことを知らない世代が増えてきた今、
改めて当時の被害をまとめ、現在の課題について考えてみました。

▼特集2
震災当時の神戸を経験し、今年、RSYのKOBEスタディツアーに参加した方や、
神戸で20年目を迎えた方から、当時のことや、20年経った今の神戸を見た感想や想いを聞いてみました。

 


お手元に届くまでしばしお待ちください。
ご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

【第2報】白馬村ボランティアバス報告(2/14~15)

みなさま

お世話になっております。RSY事務局です。

 

2月14日(土)~15日(日)の二日間で、「白馬村ボランティアバス」を運行致しました。今回ボランティアバスを運行した長野県白馬村は、昨年11月に発生した長野県神城断層地震により被害を受けた地域です。白馬村は現在本格的なスキーシーズンを迎えておりますが、今年は震災の影響により修学旅行客が数百人単位でキャンセルになるなど風評被害が発生しており、白馬村観光職員からは、「安全にスキーを楽しんで頂ける環境であることを多くの人に伝えたい。」との声がありました。また、昨年12月には仮設住宅が設置され、白馬村社会福祉協議会からは、「生活支援の一環として交流会を行ないたい。」という声もありました。

そこで、白馬のスキー場でスキーを楽しむ「スキーチーム」と、仮設住宅の方と交流する「交流チーム」に分かれてボランティアを募集し、二日間活動しました。

「スキーチーム」は、2日間「白馬五竜スキー場」でスキーを楽しみました。「交流チーム」は14日に15日の炊き出しの準備、住民の方とチョコレート作りを行い、15日は交流会を開催し、足湯、ミニバザー、絵灯篭作り、炊き出しを行いました。以下、ボランティアバスの活動報告です。

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一日目

午前8時頃RSY事務所を出発し午後1時頃白馬村に到着しました。バスから降りてびっくり!一面に雪が積もっており、白馬村は真っ白でした。

 

ここからはスキーチームと交流チームは別行動。スキーチームは「白馬五竜スキー場」へ向かいました。

交流チームは、白馬村の体育館に到着しました。早速、チョコレート作り班と、明日の交流会の時に食べるおでんやけんちん汁、きしめんを調理する炊き出し班に分かれ準備に取り掛かりました。チョコレート作りは、名古屋学院大学 災害復興支援チームあすなろのメンバー4名が中心となって進めてくれました。2月14日といえばバレンタインデー。作っている途中から住民の方も加わり、みんなで賑やかにチョコレートを作りました。

  

 

丸型やハート型など様々な形のチョコレートが出来上がりました。

 

参加してくださった住民の中には、「チョコレート作りなんてしばらく振りだよ、バレンタインだからね」、「初めてやったけど、意外とできるもんだね。完成が楽しみだわ」などと、喜んでくださる方も多かったように思います。また、旦那様との出会いや、過去のバレンタインの思い出など、あま~い話しで盛り上がる人もいました。

一方、炊き出し隊長Kさん率いる炊き出し班は、白馬村社会福祉協議会の調理室で炊き出しの準備を行い、けんちん汁の具材を切ったり、おでんの下味をつける準備をしてくれました。

 

その後は、白馬村の住民の方3人を囲んで、震災当時の様子や今の生活状況などについてお話を伺いました。地震の揺れが本当に大きなものであったこと、地震によって多くの人が家を失い、仮設住宅で暮らしていること等、様々なお話を聞くことができました。また、住民の方のお話で、「普段から地域の繋がりが強かったから、地震が来ても皆で協力いて避難できたし、避難後も支えあって生活できた」という言葉がありました。それを聞いて参加者からは、「思い返してみれば自分の地域のことを何も知らない。このままでは災害が来た時に助けあえない・・・」、「近所間の付き合いや、地域の繋がりの大切さを実感できた。まずは地域の人に挨拶をするなど基本的なことから始めたい」などの感想が出ました。

 

 

 

 

 

 

二日目

二日目は、いよいよ交流会です!交流チームの中で、「炊き出し班」、「足湯班」、「ミニバザー班」、「絵灯篭班」に分かれてそれぞれブースを担当しました。

 

炊き出しブース

前日に下準備した成果が実を結び、大盛況となりました。おでん、けんちん汁、きしめん、おにぎり、どれも大好評で瞬く間に大きな炊き出し鍋が空になり、買い出しに行って具材を追加しましたが、それも直ぐに無くなりました。

 

召し上がった住民の方からは、「これがきしめんね。初めて食べたけど美味しいね!」、「やっぱり寒い日は汁物だね。みんなでわいわい食べるのがいいね」などの声をいただきました。

 

 

足湯ブース

震災から三か月が経過し、住民の方の疲れが出始めている住民の方も多くいらっしゃいます。そこで、「温かいお湯に足を付けてほっと一息ついていただこう」ということで足湯の提供を行いました。足湯ブースには全部で10名程の方が来てくださり、足湯をしながらボランティアとお話しをしていかれました。

 

 

絵灯篭ブース

絵灯篭は、名古屋学院大学 災害復興支援チームあすなろが中心となり活動しました。絵灯篭は3月8日・11日に宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で行う東日本大震災の犠牲者慰霊に使われるものです。ブースでは、ボランティアと住民が楽しそうに紙に絵を書く姿が見られました。

 

ミニバザーブース

ミニバザーでは、白馬村支援で集まった生活用品を住民の方々に30円から70円の安価な値段で販売しました。「こんなに安い値段で買い物ができて助かります」ということを言われる住民の方もいました。ミニバザーは4760円の売り上げで、全額白馬村社会福祉協議会に寄付させていただきました。

 

今回生活用品をご提供してくださった、生活協同組合連合会アイチョイス様、ボランティアのみなさま、本当にありがとうございました。

 

あっという間の二日間でしたが、実際に白馬に足を運び、住民の方と関わることができたのは貴重な経験になりました。参加者のほとんどが白馬村にボランティアに来るのが初めてだったこともあり、「発災してから何かしたいと思っていたので、実際に足を運ぶことができてよかった」、「やっぱりテレビや新聞ではわからないことがあると思う。これからも足を運んで関わっていきたい」等の言葉が多く出ました。帰り際に住民の方から、「春になって雪が解けてからも来てくれると助かる」という声も聞くことができたので、これからも白馬村に足を運び、関わりを続けて行きたいと思います。

また、3月25・26日に白馬村の子どもたちを名古屋に招いて観光企画を行います。それに伴って恒例の募金活動も行いますので、是非ご協力よろしくお願いします。

 

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足湯時の住民のつぶやき

私の家は全壊だった。震災が起きるちょっと前に足を骨折しちゃって震災が起きた時はたまたま少し遠い息子の家にいたから助かったんです。築200年以上だから。帰ってきたら家が全壊だった。ベッドの上に屋根が落ちてきていたみたいだから、家で寝ていたら助からなかったと思います。今は同じ仮設の仲間と三人で一緒にご飯を食べたり楽しいんですよ。毎日交代でそれぞれの家にお邪魔して、お鍋やったりしてます。白馬はリンゴはあまり収穫できないけど野菜が美味しいんですよ。秋に収穫した野菜を冬の間土に埋めておいて春に食べると、みずみずしくて美味しいんですよ。今年は地震があったから、どうなっているかわからないけどね。

(70代 女性)

 

名古屋から来てくれたんだ。白馬村は雪があってびっくりしなかった?私の家は大丈夫だったよ。中も大丈夫だったから、今は家でくらしているんだ。ここの地区は皆顔見知しりだから、ここにきている人のこともだいたい知っているよ。だから顔も知りの家が全壊だったり、避難所に入ったって話も結構聞くから心配でならないよ。こうやって皆で集まって話しする場所は有難いね。毎日ではないけど時々やってくれるよ。今回で四回目くらいかな。

(70代 女性)

 

 

 

宮城県七ヶ浜町報告【第190報】七ヶ浜町の子どもたちと一緒にきずな号で「第四回 ならは雪まつり」に参加しました!

皆様

お世話になっております。RSY郷古です。
去る2月7日~8日で「きずな号」の特別宿泊体験第一弾「ならは雪まつり応援バスツアー」を開催しました。
「雪があまり降らない七ヶ浜町の子どもたちに雪でおもいっきり遊んでほしい」という福島県会津美里町宮里仮設の方からお誘いを受けて、RSYスタッフ、東北学院大学の学生ボランティアさん、バス運転手さんと七ヶ浜町の小学生8名、合計11名で参加しました。

出発式の様子きずな号 社内の様子

きずな号で遠出するのは初めてです。
ましてや「雪のすべり台で遊べる!かまくら作りができる!」となれば子どもたちもわくわくが止まりません。移動している3時間おしゃべりもとまりません。
現地に付いて、宮里仮設住宅自治会長さんに説明を受けたあとは早速雪山へダッシュ!
まずはかまくら作り!教えてもらいながら丁寧に作っていました。
(かまくら側面には削って七ヶ浜という文字を入れました!)
また会津美里町の方に案内してもらい、白鳥の飛来地にも行き餌付け体験もしました。

現地の方から、雪まつりの説明を受ける七ヶ浜の子どもたちかまくら作りを教わる白鳥の飛来地にもなっている会津美里町。案内してもらい餌をあげた

宮里仮設住宅の皆さんが作ってくれた大きな雪のすべり台や集めてある雪で雪合戦など朝から夜遅くまで遊びつくしていました。朝5時起きの子もいたのにほとんど休憩なく遊んでいました・・・!

巨大な雪のすべり台で遊ぶ朝から晩まで雪遊び三昧!宮里仮設住宅の皆さんが作った雪像

雪遊びだけではありません。室内ではカラオケ大会や餅つき大会にも参加しました。

自己紹介をする子どもたち餅つき大会にも参加!

夜は3.11追悼と帰町を願うキャンドルナイトです。
イベント内で楢葉町の町長さんも「会津から 楢葉を想う 4度目の冬」と一句読み、
「みんなで楢葉町へ必ず帰りましょう!」と帰町の誓いを述べておりました。

作ったかまくら内でキャンドルを灯す3.11追悼/楢葉町へ帰町を誓うキャンドルナイトどんと祭にも参加

子どもたちからは「もう一泊したいー。帰りたくないー。」と声が相次ぐ楽しいツアーとなりました。
この企画を皮切りに定期的に特別体験・宿泊プログラムが動いていきます!
今回も楢葉町/会津美里町の紹介や文化、共同生活を学んだように、様々な学びのプログラムを展開していきます!

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【参加者の声】
〇「七ヶ浜ってどんなところ?って聞かれて学校で勉強したことが役にたって喋れた。でもちょっと忘れちゃって全部喋れなかった笑」
(七ヶ浜町から参加した女の子)

〇「七ヶ浜町にも阿川沼って白鳥が来るところがあるんだけど、会津美里町の田んぼには200羽くらいいたからびっくりした。パンあげるの(餌付け)すごい楽しかった。」
(七ヶ浜町から参加した女の子)

〇「Aちゃんとまた遊びたい!学校違う友達が出来た!きずなハウスで会う約束したから絶対また来る!」
(七ヶ浜町から参加した女の子)

〇「参加する人が年々減っていたので、今回子どもたちが来てくれてあれだけ喜んでくれて良かった。雪のすべり台もあれだけ使ってくれれば作った甲斐があったよ」
(会津美里町宮里仮設の男性)