岩手・宮城内陸地震から 1 年

皆様
RSY浦野です。
昨年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震から、今日で丸1年が経ちました。被災地となった宮城県栗原市では13日から14日にかけて、「6.14栗原ありがとう、この1年」と題し、特に被害の大きかった花山地区、栗駒耕英・岩ケ崎地区で1周年イベントが開催され、浦野が参加しました。長くなりますが、レポート致します。
DSCN2000.jpg
DSCN1998.jpg
DSCN2017.jpg
DSCN2026.jpg
DSCN2037.jpg
DSCN2047.jpg
DSCN2051.jpg
震災から11ヶ月が経ち、集落を結ぶ道路の避難指示・勧告の大半が解除されました。しかし、解除後すぐに自宅で生活できる人は、実はあまり多くありません。地震の影響で全壊・半壊した家もあります。また、倒壊は免れても、1年間に痛んだ家の補修や、生業であるイワナの養殖やイチゴ栽培の再生、地震で失われた観光資源などの影響による収入の激減など、これから解決すべき課題は山積しています。
入山が制限されている間も、わずか4~5時間程度の一時帰宅の中で、少しずつ畑を整備したり家の片付けなどを行ってきました。一部のイチゴ農家ではその甲斐あって、例年の6割程度ですが、今年イチゴの収穫ができました。私たちボランティアにも取れたてのイチゴを振舞ってくださいました。この一粒を今手にするまでに、皆さんが乗り越えてきた悩み、苦しみ、我慢、憤り、怒り、そして今やっと手に出来た喜び、反面、完全にもとの生活に戻るためには長い時間がかかるであろう現実と、それに立ち向かおうという意気込み・・・たった一粒のイチゴから、幾重にも重なる皆さんの努力や思いをひしひしと感じました。
耕英地区に住むKさんとは、昨年11月頃に仮設住宅で出会いました。その時は「仮設にいると息が苦しくなる。山にいれば、生きてるって実感できるんだ。山での暮らしは俺の命だ。すぐにでも帰りたい。」と悲痛な面持ちでお話されていました。しかし今回、イベントの会場となった耕英地区の山脈ハウスで再会した時は、一変、生き生きとしたお顔のKさんがいました。満面の笑みで差し出された手は力強く、生きる力に溢れていました。そして、「俺たちは、ゼロからこの土地を切り開いてここまできたんだ。まだゼロに戻ったと思えば、出来ないことは決してない。」と力強く話されました。
その思いを指し示すかのように、ふと見上げると「追悼・感謝・絆~第2の耕英開拓記念日~」という大看板が掲げられていました。
「くりこま耕英地区震災復興の会」会長Oさんは、時折涙をにじませながらセレモニーの開会挨拶をされました。
「震災直後2日間は危険を承知で自分たちの土地を守ろうとみんなで地区にとどまった。避難指示が出てやむなく土地を離れたが、まさか生業まで出来なくなることは予想もしていなかった。しかし、神戸・能登・中越など過去の被災地の方々や、全国のNPO、ボランティアの皆さん、日本災害復興学会との出会いがあり、避難所生活、仮設住宅、生業の復興などの過程の節目節目で大きな力を貸してくれた。栃木・福島のボランティアさんは「応援の会」の立ち上げに尽力してくれ、毎週末に振舞われるカレーは心の励みになった。まだ規制がかかり自宅に戻れない方、行方不明の方のことを考えるとこの現状を手放しでは喜べない。生活再建においては、これからも茨の日々は続く。観光客が戻ってこなければ本当の復興とはいえないだろう。しかし生かされた立場から、追悼・感謝・絆を大切にしながら、応援してくれる皆さんの気持ちを励みに、これからも頑張っていきたい。」
セレモニー終了後は、いまだ8名の行方不明者のある駒の湯温泉付近に出向き、キャンドルの明かりの下、読経と焼香がとり行われました。「駒の湯温泉は、1世たちが自分の家を建てるまでにみんなで共同生活をしていた場所なんだよ。いわば俺たちの出発地点だ。みんなだいぶ世話になった・・・。」と87歳の1世の方がポツリとおっしゃいました。
災害現場に行き、復興の過程に関わる時、いつも思うことがあります。
それは、被災者の皆さんの「生きる力」の強さです。とりわけ耕英地区の皆さんは、先人への尊敬心と、自然と土地への思い、人を大切にする心の温かさが3世代にわたり脈々と受け継がれていると感じます。ここには生きる基本がある気がします。
だからこそ、私たちはこのような地域を守らなければならないと思います。災害で失われることがあってはならないと思います。災害の大小で、一人ひとりに向けられる関心や受けられる支援の内容に差があってはならないと思います。
これから耕英地区では、本格的な復興が進み、その過程をよそ者がどのように応援できるのかが引き続き大きな課題となると思います。
私たちはこれからも、耕英地区の皆さんとのつながりを大切にしながら、遠く離れた地域からでも応援できる支援を考え続けていきたいと思います。
最後に、お亡くなりになられた15名の方のご冥福をお祈りすると共に、行方不明者8名の方の一日も早い発見を心から願っています。
※震災から1年を振り返り、耕英地区での復興支援に関する事業に関わっていた代表理事・栗田の記事が、読売新聞6月10日(金)に掲載されました。
****************************************
「岩手・宮城内陸地震から1年」
岩手・宮城内陸地震から6月14日で丸1年になります。まずは犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたします。地震当初はボランティアや報道陣でごった返ししていた現場も、今では閑散としています。しかし、土砂で埋まった駒の湯温泉のあの旅館でまだ行方不明者があること、また、つい先日(5月11日)避難指示が解除され、11ヶ月ぶりに自宅に戻られた方々がおられる現実をご存知でしょうか。「一部の地域の小さな災害」の風化ほど著しいものはないというのが、1年を振り返っての感想です。
当法人では地震翌日からスタッフを1週間程度派遣して、現地の災害ボランティアセンターに協力し、その後も「山に帰れない」方々に対して、日本災害復興学会の諸先生方とともに、被災された方の不安や悩みにひざを突き合わせて話をしてきました。また、新潟県中越地震や能登半島地震で被災された方々を現地にお呼びし、実際の体験談から今後の「暮らし」について語り合い、交流していただく企画などを、不十分ながらも粘り強く繰り返してきました。なぜなら、被災者にとって見れば、全体的に被害が小さいということは何ら無関係で、一人ひとりの受けた被害や苦しみは、これまでの災害と何ら変わらないからです。
当方らが交流を続けている地区の一つ、栗原市栗駒耕英地区は、今回の地震で家屋の全半壊はもとより、斜面崩壊や道路の寸断が著しく、即座に避難指示が出され、全員がヘリコプターで町場に避難されました。「命を守る」という点では、全員無事で避難が完了したことは不幸中の幸いでした。しかし次の「暮らし」の問題がすぐに突きつけられました。住民のほとんどが生業としている「イワナの養殖」や「イチゴの栽培」等が山に帰れないため継続できない危機に直面したからです。『あの時は助かったと思った。しかし今は生きるも地獄だ。』とは、1週間後の被災者の生の声です。この地区は、戦後の満州の引き上げ者によって、血のにじむような思いで荒野を開拓してきた土地柄で、現在はその3世がその魂を受け継いでいます。その大事な後継者が『家族6人を養うのはもう限界だ。貯金もなくなってきた。転職しかない。』と涙を浮かべて2世に相談されていた姿を目の当たりにした時、「小さな災害」と「世間の風化」が、戦後の日本をたくましく支えてきた歴史や一大観光地に育て上げた文化を見捨てることがあってはならないと感じました。当然ながら行政による支援策が期待されるところですが、商業に関するものはもともとメニューが少ないのが現実なのです。
あれから1年。やっと「山に帰る」ことができた被災地の復興はこれからが本番です。言葉では言い表せない苦悩を乗り越え、力強く復興を遂げられることを願わずにはいられません。私たちも、被災地を訪れたり、現地のものを購入することで、どれだけ励みになるかは計り知れません。また、こうした地震災害によって、この地区と同じように孤立する可能性のある集落が約2万箇所に及ぶことが、内閣府の調査でわかりました。地震のたびに、日本の歴史や文化が葬り去られてなるものか。この地区を今後も見守り続けることができるかどうかが、日本に住む私たち一人ひとりに問いかけられているように思います。

くりこま耕英復興プロジェクト[第 7 報]

皆様
栗田です。お世話になります。
岩手・宮城内陸地震から2ヶ月が経過しました。今私たちに必要なことは「忘れない」ということではないでしょうか。距離がありますから現地へ頻繁にはお邪魔できませんが、遠い地からでも心を馳せたいと思っております。
さて、前回の報で簡単に報告させていただきました先日7月31日に開催した「過去の被災者との懇談会」の詳報をお届けします。山古志、川口、穴水からの6名のメッセージです。当日参加されたくりこまの方々はもちろんのこと、私たちも温かい気持ちになり、励まされました。記録をとっていただいた鈴木隆太さん、松田曜子さんにも感謝申し上げます。
■支援金を募集しています。
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
または
郵便振替口座:00800-3-126026
加入者名:特定非営利活動法人レスキューストックヤード
*いずれも通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。
080731宮城県栗原市被災地交流会.doc

くりこま耕英復興プロジェクト[第6報]

皆様
 7月31日夕方、栗駒耕英地区住民の避難所となっていたみちのく伝創館で、新潟中越地震や能登半島地震で被災した方々を招き、「過去の被災者懇親会」が開かれました。
 第一部では被災した当時のこと、復興に向けて立ち上がった経緯、今の状況等についてお話をしていただきました。そのテーマは図らずも多岐にわたり、仮設住宅での生活、地域が立ち上がり、組織(会、農業法人など)を作り上げた話、自分たちの声が行政を動かした話などさまざまに及びましたが、どの話にも共通していたことは、地震で失ったものは大きかった、しかし、得たものもあった、という点でした。いきいき田麦山の渡辺氏はそれを「地震の副産物」と表現されていました。
 第二部では、地元栗駒の婦人会による振る舞い餅をはじめ、能登の海の幸、新潟・能登の地酒も登場し、大交流会が開かれました。互いの味を楽しみながら、今も一時帰宅しか許されていないという状況、絶対もう一度山に帰るという決意、秋にもう一度みんなで集おうという企画等があちこちで聞かれました。
 今回集まっていただいた新潟や能登の方々は、それぞれおかれている状況やそれからたどった道も様々ですが、「必ず立ち上がれる」という力、そして「同じ気持ちを味わった人たちに何かしたい」という思いは共通していたと思います。
 今回の縁が、長いつながりになることを皆が望んでいます。
くりこま耕英震災復興の会ブログ「甦る栗駒 耕英に生きる喜び」
http://blogs.yahoo.co.jp/kurikoma_koei/
(事務局/松田)
■支援金を募集しています。
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
または
郵便振替口座:00800-3-126026
加入者名:特定非営利活動法人レスキューストックヤード
*いずれも通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。

くりこま耕英復興プロジェクト[第 5 報]

皆様
栗田です。お疲れさまです。
岩手・宮城内陸地震からはや1ヶ月以上が経過しました。報道も名古屋ではめっきり届かなくなっていますが、現地では地元住民らのがんばりは衰えることなく、先日「くりこま耕英震災復興の会」(会長は耕英地区振興協議会会長の大場さん)を立ち上げられました。これからも地域を主体として復興を目指していくという組織化です。本当に敬意を表します。ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/kurikoma_koei
この組織化には大変な意味があり、つまり、個々で意見を出していくというより、地域として描く将来像や実現のための願いをまとめ、関係者と協議していく母体ができたということです。「地震は大変だったけど、それ以上にすばらしい地域を一丸となって興していこう」と、過去の多くの被災者が言われています。
震つなとしては、前回同様チーム中越と連携し、これまでに出会ってきた川口町や旧山古志村、穴水町や刈羽村の方々との懇談の場を、7月31日に設けることにしました。また栗原市社協からの要請で、8月9日にも同様の取り組みを花山地区の方々を対象として開催する準備も進んでいます。過去の被災地の智恵が、栗原市の方々の勇気と希望につながるものと期待しています。
■支援金を募集しています。
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
または
郵便振替口座:00800-3-126026
加入者名:特定非営利活動法人レスキューストックヤード
*いずれも通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。

くりこま耕英復興プロジェクト[第 4 報]

皆様
栗田です。お疲れ様です。
第3報でお知らせしました7月2日の訪問の記録がまとまりましたので、お届けいたします。当日は、室崎日本災害復興学会長、木村社会安全研究所長のほか、チーム中越、震つな、そして宮城県災害復興支援士業連絡会の方々らが参集し、地元住民ら約50名の方々と2時間を超える議論が交わされました。
いまだ避難指示が続き、数回の一時帰宅が許されたばかりの地域です。現実の壁と将来の不安についての意見が相次ぎました。本当に難しい課題ばかりですが、室崎先生の「地域が一丸となって、将来の自分たちの絵を描くこと。それを外部も応援すること。」を一歩一歩積み重ねていくしかないようです。震つなとしても、次回の応援訪問を練りたいと考えています。
※記録の必要な方はお手数ですが、事務局info#rsy-nagoya.com(#を@に変えてご送信ください)までご一報ください。
その際に本文中に7月2日訪問の記録希望の旨をお書きください。
■支援金を募集しています。
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
または
郵便振替口座:00800-3-126026
加入者名:特定非営利活動法人レスキューストックヤード
*いずれも通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。

くりこま耕英復興プロジェクト[第3報]

皆様
栗田です。お疲れ様です。
土曜日に引き続き、日曜日も一時帰宅が実現したようです。
その際摘み取ることができたいちごは300kgとのこと。そのままの出荷は無理なので、ジャムにするそうです。さっそく「へた」をとる作業をボランティアとともにされました。イワナは当分水流の管理とえさやりを続け、しばらく様子を見るとのことです。「身を削ってやせ細ったものはとても商品に出せない」と、さすがは養殖のパイオニアです。すぐにでも売って…としないところに、この地区の方々の生き様、プロの魂を感じざるを得ません。
名古屋のある支援者から「イチゴ食べたい」と早速メールをいただきましたが、それ以上に現地では応援メールや電話が相次いでいるそうです。7月2日に現地入りしますので、ジャムの「震つな枠」が確保できるか聞いてきます。無理だろうけど。
また相生のど根性大根 http://www.geocities.jp/daruma001jp/dokondaikon.html
にあやかって、「くりこま・ど根性いちご・ジャム」という名の提案も秘かに提案しようかと思っています。なにせ、復興はまだ緒に就いたばかりです。来年のいちごも飛ぶように売れるよう、そして私たちはこのことを忘れず、息長く復興を応援したいと思っています。
■支援金を募集しています。
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
または
郵便振替口座:00800-3-126026
加入者名:特定非営利活動法人レスキューストックヤード
*いずれも通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。

くりこま耕英復興プロジェクト[第 2 報]

皆様
栗田です。お世話になります。
朗報です。本日、耕英地区の一時帰宅が許可されました。41世帯一人ずつ、41人が自衛隊のヘリで約1週間ぶりに我が家に戻ることができました。イワナも元気だったようです。イチゴも少し摘み取れたようです。早速冷凍保存し、いずれジャムにされる計画です。何より、帰りのヘリから降りてこられた住民の表情は、最高の笑顔だったそうです。
ただし2世帯は地区内道路の損壊が激しく、自宅には入れなかったようです。とても残念ですが、あせらないで、道路の復旧を心待ちにしていただきたいと願っています。
さらに、明日もあさっても一時帰宅できるそうです。市の理解と自衛隊の協力、そして地区が一丸となって勝ち得たものだと感動しています。イワナもさらに元気なって欲しいですね。もっとたくさんのイチゴが摘み取れるといいですね。そして、最後は陸路が復旧して、みんなで戻れるといいですね。
■次回訪問の予定を第1報でお知らせしましたが、何と室崎先生(関西学院大学教授・日本災害復興学会会長)も参加していただけることになりました。少し長い目で「復興とは何か」について、住民と膝をつき合わせて懇談するつもりです。
■支援金を募集しています。
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
または
郵便振替口座:00800-3-126026
加入者名:特定非営利活動法人レスキューストックヤード
*いずれも通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。

くりこま耕英復興プロジェクト[第 1 報]

皆様
栗田です。お疲れ様です。
岩手・宮城内陸地震の件、こちらではめっきり報道が少なくなりましたが、栗原市耕英地区の「くりこま耕英復興プロジェクト」を支援していきたいと思っております。
この地区は報道で大きく取り上げられた駒の湯温泉があり、41世帯、100名程度の小さな地区です。現在は陸路が寸断(復旧まで1ヶ月かかる見込み)され、自宅に戻れないまま、避難生活を余儀なくされています。また、日本のパイオニア的な存在のイワナ養殖(3軒)とイチゴ農家(10軒)は、その状態すら確認できないまま、死活問題となっています。
同地区に「くりこま高原自然学校」があります。校長の佐々木豊志氏は、地元区長や振興協議会長らとともに地震当日から、被災者でありながらその支援や対応に尽力され続けています。(詳細はブログ参照) 
http://blog.canpan.info/master_kkns/daily/200806/14
この佐々木氏と懇意のある支援者のご縁で、6月24日と25日の両日、中越復興市民会議・稲垣氏、日本財団ご担当者らと、現地を訪ねました。長引く避難生活に、当然ながら肉体的にも精神的にも疲労がかなり深刻です。特にご高齢の方が心配です。あるイチゴ農家の方は、「あの時は助かったと思ったが、今は生き地獄だ」と語られました。しかし一方で、地区の全住民が再び耕英の地に戻り、再生復興することを最終目標に掲げ、「全員で山に戻ろう」と結束されていました。
このたくましい姿に敬意を表するとともに、このプロジェクトを応援したいと考えました。日本の国土の7割は中山間地です。東海・東南海・南海地震で孤立集落が2000箇所という予測や、活発期に入ったといわれる日本の地震事情を考えますと、今回の取り組みがいかに重要であるかはいうまでもありません。被災者にしっかりと耳を傾け、時には現実にぶち当たりながらも、結果として明るい復興への光を被災者とともに感じ、ともに喜び合えるような支援活動が展開できればと考えております。
引き続き、皆様のご支援とご協力をよろしくお願いいたします。
■次回の訪問(住民との懇談会)
日時:2008年7月2日(水)16:00~2時間程度
場所:くりこま伝創館(栗原市栗駒岩ヶ崎松木田79)
内容:過去の災害における復興の事例紹介と各種制度や支援策についての懇談
参加者::木村拓郎(社会安全研究所)、上村靖司(長岡技術科学大学)、稲垣文彦、栗田暢之、その他、宮城の弁護士から応援参加あり(詳細は調整中)
■支援金を募集しています。
郵便振替口座:00920-7-75997
加入者名:震災がつなぐ全国ネットワーク
または
郵便振替口座:00800-3-126026
加入者名:特定非営利活動法人レスキューストックヤード
*いずれも通信欄に「岩手・宮城内陸地震」と明記ください。