宮城県七ヶ浜町報告【第88報】「七ヶ浜 RAINBOW project」第2弾!

お世話になっております。RSY飯田です。

きずな工房・裁縫の部 の今をお伝えします。

ブラザー工業さんからのミシンの寄贈をいただいてから、嬉しそうに裁縫をされているお母さんたち。
「ミシンは小さい時に学校で習ったから、みんなできるのよ」と話され、
それぞれのご家庭には、必ず1台のミシンがあったようです。

おしゃべりしていると、「全部流されたから…」という言葉を頻繁に耳にする現実に、
笑顔でいてくださるお母さんたちとのギャップに、何とも言えない気持ちになってしまいます。

現在、裁縫の部では「七ヶ浜 RAINBOW project」の第2段が進行中。
まだ詳しくはご紹介できませんが、美味しくてかわいい「復興スイーツ」と、
「カエルちゃんグッズ」をセットにして販売します。

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ご期待ください!

宮城県七ヶ浜町報告【第87報】足湯~1年間を通じて~

皆さま

お世話になっております。

きずな館スタッフの清水です。
七ヶ浜町はまだ桜は咲いておらず、時々雪がちらついたりとまだまだ寒い日が続いています。そんな中、仮設住宅の集会所では子供が飛び回ったり、おばあちゃ んたちはお茶っこ(お茶のみ)をしたり、若ママさんたちの子供をしかる声が聞こえたりととても賑やかな場所となっています。ある赤ちゃんは夏に会った時は やっとハイハイができるようになってばかりだったのに、今では足湯のひしゃくを嬉しそうに2本持って集会所の中を歩き回っています。こういった、子供の成 長を見届けていけることも集会所にいるみんなの楽しみになっていたりするのかなと感じました。
2011年3月26日から足湯が始まり、この活動も1年が経ちました。
活動回数 150回、利用者 2166人、ボランティア1028人以上(2012/4/9現在)
これまで多くのボランティアさんと利用者さんのおかげで今日まで活動を続けることができ本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今では、東北学院大学の学生さ んに依頼をかけ、7月から継続的に活動を一緒に行っています。学生の中には初期からずっと参加してくれている人もいて、常にオレンジ色のパーカーを着て活 動していた学生は子供たちから”オレンジマン”と呼ばれて親しまれています。
初めて仮設住宅で活動した時は利用者の人数も少なく、すごく静かで住民のコミュニティーはなかなか出来ていませんでした。しかし、今では足湯友達というの も出来てきており、毎回来ている人の顔が見えないと「心配だけど足が悪いから、代わりに見てきてくれる?」といった声も多く聞くようになりました。毎週の ように足湯が行われてきた集会所では、足湯がないと「待ってたんだよ」「もうやらなくなったのかと思った」「あんだの名前忘れちゃったよわ!」と足湯を楽 しみに待ってくれる人も出てきて、本当に嬉しく思います。
今ではボランティアの数も減り、なかなか集会所に行けないという時もありました。久々に会ったお母さんから話を聞くと「イベントとか特別なことはしなくて いいから、とにかくここ(集会所)に来てほしい。何でボランティアさん来なくなっちゃったのかな~」とさみしいという声を聞きました。ボランティアさんの おかげでがれきなどはなくなり町はきれいになりましたが、これだけで復興は終わりではありません。目に見えない心の支援はこれからが大切になってくると思 います。1年が経った今でも、被災者の心に刻まれた悲しみは消えることはありません。そのような人々が一歩でも前に進めるように、私たちボランティアがポ ンっと背中を押してあげる、住民の人のパイプ役となり人々をつなげることがこれからは必要となってきます。足湯ボランティアはこれからも継続的に活動して いきます。機会があれば参加してみてください!老若男女問わず、誰でも参加できます。
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*最後に最新のつぶやきを少し紹介したいと思います。

・東北の人は元気でしょう。いつまでもくよくよしていてもしょうがないからね。命が助かったんだから。とにかく前に前に進むしかないよ。(70代 女性)

・最初は引きこもってばかりいた。今、この仮設にいる人は皆、国際村にいた人が多い。その頃から少しずつ出るようになった。今日みたいに天気のいい 日は家の窓を全部あけて、空気を入れ替える、それだけでも違う。家の中にいてテレビを見てるだけじゃダメ。右手の親指の関節が曲がらないことがあるが、風 呂に入ったりしているときはなるべく動かす、すると少しは動く。(50代 女性)

・1年や2年じゃ、変わらんからなあ…。ずっと仮設住宅に住み続ける。(70代 男性)

・足湯は楽しみにしているけど、次いつやるのか中にしか書いていないから閉まっていると見られないので、建物の外に書いてほしい…。日中働いて いる人は中に入って見られないし、通りがかった時に見られるようにポスターとかビラを張ってほしい。仮設の天井が結露してしずくがぽたぽた落ちてくる。壁 にしか断熱材が入ってないのかもしれない。職場の人に仮設に住んでいる人がいないからあまり言うと嫌がられるので、もう何も言わないことにしている。 (40代 女性)

・若い頃は北洋漁船で遠くまで行ってた。アラスカとかロシアとか、カニを獲りに行くと半年は帰ってこなかったな。毎日カニばかり、カニみそなんて海に捨てたよ。マグロもとった。今度はいつ来るの?桜の咲くころにおいでよ。(70代 男性)

・弟がねー、お姉ちゃんとゲームの取り合いでケンカするのー。1台しかないから。でもねー、私は見てる方が好きなの。だって全然できないし。弟バレンタインにチョコ2つもらったんだよー。モテモテでしょ?(10代 女の子)

・ 最初はこんなところに出られなかった。おじいちゃんは流されて、自分も一緒に流されればよかったと思っていた。今娘と孫と暮らしている。一緒にいれて良かった。あんたも私のように長生きできるようにしっかり握手しよう。(80代 女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第86報】響く工具の音

お世話になっております。RSY飯田です。

ついにスタートしました、きずな工房「木工の部」。
開所時間の10:00から、毎日工具の音が工房に響いています。

何を作っているのかとのぞいてみると、あっという間に工具箱が2つ完成。
準備の時間があったにもかかわらず、1時間程度でした。さすがです。

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その翌日、お隣の裁縫の部のお母さんたちが日向ぼっこできるように、
3人がけのベンチを作ってくれました。

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「次は作業台がほしいなぁ」と、大工のCさんも張り切っています。
また、先日看板作りのお手伝いをさせていただいた、はまぎく児童館さんから、
「看板がきれいになったから、ポストも作ってくれないかしら?」とご依頼をいただいています。
はまぎく児童館看板作りのブログはこちら

なんだか忙しくなりそうな予感です。

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宮城県七ヶ浜町報告【第85報】住民の声

皆様
いつもお世話になっております。ボランティアきずな館 郷古です。
震災から一年が経ちましたが、それに伴い新たな悩みもでてきています。
住民の方々に心境の変化もあります。
ここ最近、私が聞いた住民の声、「つぶやき」をお伝えしたいと思います。
●一年経って最近やっと家をリフォームできたんだよ。一階だけ水を被ってさ、大規模半壊だったから俺んとこはリフォームできたんだけど、浜の近くの人は大 変だわな。リフォームするには壊れすぎてる。建てるのにも、取り壊すのにもお金がかかるからなぁ。悪い気もするけど、そこは仕方のないよねぇ。(50代男 性)

●家直ったんだよー。一度泊まりに来てね。でもね、なんだかねぇ、もう一年経っているのにあそこ(被災したご自宅)に行くと具合悪くなるんだよ。家が直っても、住めなんじゃ意味ないからね。一週間に一回というペースで泊まって身体を慣らしていくよ。(50代女性)

●一年経って、おかげさまで家を新しく建てて住んでいるんだよ。食べ物もあって、水もでる、電気もつく。当たり前の生活だけどなんか居心地が悪い。 体調も良くはない。何でなんだろうね。松林(防災林であった)が津波でやられて海が近く感じる。津波を見ているからそんなこと言うんだけど、これは(津波 を)見たものにしか分からないよ。心の中からは絶対に消えないよ。(50代男性)

●近所の人とさ、おしゃべりするとすごく楽しいんだけどさ、私が話したことが尾ひれがついて街中を回るんだよね。本当はそんな事してないのに、周り から変な目で見られるんだよ。それが何回かあってね、嫌になってしまったんだよ。だからこそボランティアさんは七ヶ浜の人ではない分、噂は広まらないしす ごく聞いてくれるから助かってるよ。何にもない町だけど、また来てくれると嬉しいねぇ。(50代女性)

●本当にいい事はないよ。この震災にいい事はない。家もやられたし、身体も悪くした。お金もないし、命だけあるみたいなもんだよ。でも、こうやって こんなことを聞いてくれて、一緒にいてやってくれる(瓦礫の撤去や、お茶のみなど)あんたみたいな人と出会えたのは嬉しいことかな。(60代男性)
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一年経った今、ボランティアは何のためにいるということを考えされられます。無造作に置いてある瓦礫を見ると気が滅入ります。それを撤去する活動は必ず必要です。しかし、瓦礫撤去をして「きれいになったー帰ろう!」ではもったいないのです。
ボランティアの依頼をした住民の方は、「せっかく来て、綺麗にしてくれたのに顔も見ないで・・・帰ってしまった。お礼を言いたかったねぇ。」と言っています。

住民の方々はボランティアさんを求めています。何をして欲しいというわけでもなく、会ってお話ししたいのです。
七ヶ浜に来たボランティアさんと会って、話をして、仲良くなって・・・お手紙や電話で交流をしている人たちを何人も見ています。
住民の方々はボランティアさんとの交流は「嬉しいし、楽しい」とのことだそうです。これからもボランティアと地元の方々の交流の場を増やしていきたいです。

宮城県七ヶ浜町報告【第84報】きずな工房・木工の部スタート!

お世話になっております。RSY飯田です。

生きがいづくりの場・きずな工房の「木工の部」がついにスタートしました!

きずな工房のブログはこちら

この中心となる方が、台風12・15号の被害を受けた紀宝町へ届けた「カエルちゃん人形」の
メッセージキーホルダーの作成や、七の市商店街の看板の取付けのアイディアをくださった、大工のCさん。

カエルちゃん人形についてはこちら

Cさんには以前から、「木工の部」のオープンのお手伝いをお願いしていたのですが、
もともとお身体が弱いことや震災のストレスで、体調を崩されていていました。

4月になってあたたかくなってきた頃、気持ちも体調も上向きかな?と思い会いに行くと、
お元気そうな様子で「そろそろ始めるかな。」とお声をいただきました。

そして今週から、一緒に工具や備品のお買物に行き、「木工の部」がスタートしました。
また、工房で使用する木材は、黒川森林組合さんからご提供していただきました。
この木材も、Cさんの回復を心待ちにしていたことでしょう。
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にぎやかな毎日を過ごしている「裁縫の部」の
お母さんたちに続き、お父さんたちが集い、
ワクワクする時間を過ごす「木工の部」を、
どうぞよろしくお願いします。

 

宮城県七ヶ浜町報告【第83報】つぶやき

お世話になっております。RSY飯田です。
最近の地元の方の声をご紹介します。

●俺の家は、自宅の2階だけが残ったんだ。3月末にボランティアさんに掃除をお願いして、大勢で来てくれたんだけど、ゴミじゃないもの捨てたり、飼料を庭 にまかれてしまったりと大変だったのさ。それから家はそのままになってしまったんだ。まだ修理するか壊すか決めてないんだけど、片付ける気になれないまま 冬が来て…冬寒いから、ボランティアさんにお願いするのも申し訳なくてね…1年たって暖かくなったら、泥かきからお願いしてみようと思ってる。今 度は数人でいいから、一緒に話をしながら掃除したいな。先のことはわかんないけど、猫や鳥が入ってくるからガラスは新しくしたし、できたらまたここに住み たいんだ。(きずな館にて・60代男性)
●今仮設に住んでるんだけど、夏頃までは、引きこもって家から出れなかったり、何にも手につかなかった時期もあるんだけど、いろんな人の応援があって「こ のままではいけないなー」と思えるようになったのよ。今では、畑をしたり、ぞうきんを縫ってお小遣いを稼いだりしてるの。それに、知らなかった地元の人と お友達になれたり、遠くから来てくれるボランティアさんと知り合えたりして、大変だったけど嫌なことばっかりじゃないなーって。いいこともいっぱいあった の!本当にみなさんのおかげ。だから、これからは自分の足で歩いていきたいし、恩返しもしなきゃね。
(仮設住宅にて・70代女性)

●(菖蒲田浜前、基礎しかないご自宅を指さして)ここうちなの。毎日こうして見に来てる。子どもも一緒に来て、散らばってる玄関のタイルで絵を書いたりし て遊ぶの。雨が降った次の日は、物が見つかることも多いのよ。ここは庭なんだけどね、いろんな花の芽が出てきてて…咲くのが楽しみ。最近(敷地内に) ゴミを置いていく人がいるの。しかも隠すように見えない所に置いて。何もないけど、うちはゴミ置き場じゃないんだから。。(菖蒲田浜にて・50代女性)

●家にいてもやることがなかったから、つまんなかったんだ。ご近所さんも遠くになってしまったし、外に出るっていっても何したらいいんだか。でも、ここへ 来れば大好きな裁縫ができるし、おしゃべりしながら笑って過ごせるし、毎日楽しいんだ。こんなに(布やミシンなど)支援してもらって申し訳なく思ってしま うけど、応援してくれてるんだーと思うとがんばんなきゃって背中押される気分。本当にありがたい。春になったら、みんなでお花見に行きたいね。この辺は、 君が丘公園の桜がキレイなのよ。(きずな工房にて・70代女性)

すっかり生活が変わってしまって、毎日をどうすごしたらいいか困ってしまうよ。できるだけ午前中は、買い物や友達に会ったり、出掛けるようにしてるけど、 お昼を食べてから夕方までの時間がつらいね…ここの仮設には友達がいないし、寒い時期は身体の調子が良くないから、家でじっとしてるだけになってしま う。自分でも何してんのかなーって思う時もあるけど、何もする気が起きないんだ。何で助かってしまったんだろって、今でも思うよ。
(仮設住宅にて・60代男性)
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震災から1年経ちましたが、劇的に状況が変化したわけではありません。
変化する環境や生活に振り回される中、苦難を乗り越えるために様々なご苦労をされています。

そんな中、たくさんの地元の方から聞く「ボランティアさんに感謝」という言葉。
また七ヶ浜の方は、ボランティアバスを通じ、名古屋から来てくれる方との交流を楽しみされています。

RSYでは今後もボランティアバスの運営を行なっていき、地元の方を応援するプログラムを計画していきます。

 

宮城県七ヶ浜町報告【第82報】心無いゴミ問題

いつもお世話になっております。RSY飯田です。

七ヶ浜では、つい先日まで雪の降る寒さでした。
やっと桜の開花が待ち遠しい、春の足音が近づいてきています。

気持ちの良い朝の日差しに誘われて、菖蒲田浜へ散歩へ行きました。
その時に目にしたのは…
枯れた雑草や残された家の基礎の影に隠すように置かれている”新しい”空き缶・ペットボトルなどのゴミ。
中には、ボランティアセンターで配布されている水のペットボトルもありました。

また浜付近では、多くの方に出逢います。
毎朝ご自宅があった場所に、何か見つかるかもしれない…と足を運んでいらっしゃる方、
仕事ができなくなり仮設住宅での生活で息が詰まるからと農業を始めた方、海を眺めに来ている方など。
気軽に挨拶をしてくださり、時にはポツリポツリとお話をされる方もいます。

津波が押し寄せた地域は、ヘドロやガラス混じりの土壌、流された生活用品、枯れた木や雑草が広がり、
片付いているように見えても、人の手が入らないとキレイにはならない現状です。
しかし、人の手で町が汚されている現実に、悲しみと怒りを覚え、残念でなりません。

その翌日、軍手とビニール袋を片手に、散歩ついでのゴミ拾いを行うことにしました。
最近はそんな心無いゴミ問題にも「負けてたまるか」といった気持ちになっています。
天候にも左右されますが、無理なく続けていけたら…と思っています。

ボランティアきずな館の利用について

こんにちは。はじめましてご挨拶をさせていただきます。
今年度より、きずな館のスタッフとなりました、飯田 礼子です。

発災からの1年は、七ヶ浜を中心とした被災各地でボランティア活動を続け、
名古屋では、事務局のお手伝いをさせていただきました。

これからは七ヶ浜町に滞在し、地元の方々や応援してくださる皆様と一緒に、
1歩づつ前に進んで行きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

早速ですが、きずな館をご利用の皆さまにご連絡です。

きずな館利用時間等が変更となりました。
ご来館の際には、再度ご確認くださいますよう、お願い致します。
(ボランティアバスご利用の方は、活動スケジュールに準じます)

きずな館利用の注意事項_0501更新.pdf
—〇 きずな館利用案内 〇————————————————

●休館日:月・火

●宿泊不可日:日・月・火

●事務局 10:00~18:00まで

●宿泊受付:10:00~19:00まで

●開館時間:1F 共有スペース 7:30~20:00
1F 洗面・キッチン 7:30~21:00

●消灯時間:22:00

また、きずな館の清掃は、分担して行なっていただいています。
詳しい案内は、来館時にお伝えします。

きずな館 電話番号 022-355-7130
きずな館FAX番号 022-355-7131 <4/20追記>

 

物資の積みおろしをしました

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お世話になっております、事務局の関口です。
名古屋も桜が咲き誇り始めた6日、港区の東海建設さんからお借りしている倉庫で、物資の積みおろしや整理をしました。
急な呼びかけにもかかわらず、20人以上のボランティアさんが手伝ってくださり、とても助かりました。

この日、10㌧トラックと4㌧トラック2台分で届いたのは、「東京都葛飾福祉工場」から提供された災害非常食や家具転倒防止枠など。この工場は防 災グッズや避難グッズを専門に扱う社会福祉法人で、2007年の能登半島地震のころからRSYに物資を提供してくださるようになりました。東日本震災後は 東京を中心に需要が急増したそうで、こちらに回してくださる物資の数量もまさにケタ違いに。まだ肌寒い天気だったのですが、ボランティアさんも汗をにじま せながらの作業となりました。

この日はほかに、中部電力さんからも文房具などの物資をご提供いただき、ボランティアの小学生のお子さんと一緒に整理もしました。これらの物資は今後の災害救援や防災イベントでの活用のために保管、管理いたします。今後ともご協力よろしくお願いいたします。

宮城県七ヶ浜町報告【第81報】児童館の看板作り!

皆様

お世話になっております。ボランティアきずな館 郷古です。
4月以降も七ヶ浜町ボランティアきずな館のスタッフとして活動することとなりました。
今後とも宜しくお願いいたします。

今回は月1回行われている「親子支援プロジェクト」の「つながる遊び庭こどもアートしちがはま」とはまた別の子ども支援のイベントのご報告です。

七ヶ浜町子育て支援センターに一本の電話がかかってきました。
「はまぎく児童館です。4月からの新入生が快く生活して、遊んでもらえるようにきれいな児童館で迎えたいんです。まず看板を新調したいのですが、どなたか手伝ってくれる人はご存知ですか?」
というものでした。
※ここで予備知識としてはまぎく児童館の説明を簡単にします。
七ヶ浜町に3つある小学校には1年生から3年生までが利用できる児童館というものが必ず併設されています。
その中でも児童館の登録者数が最も多くそして最も賑わうのが汐見小学校の敷地内にある「はまぎく児童館」です。
震災当初も、他の2つの児童館の子どもたちをも受け入れ、3つの児童館の子どもたちをまとめ上げた先生たちのいる児童館でもあります。saisho.JPG
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sakusei.jpg電話を受けた支援センターの方が、仮設住宅の表札作りや仮設店舗商店街の看板作りなどを手がけている私たちレスキューストックヤードにその話を持ってきてくれて、企画が動き出しました。

外においてあった表札として掲げていた大看板の外見はとても古く、黒くなり字が見えなくなっていたのです。
しかし、地元七ヶ浜の子で今回の大工メインスタッフ、しかも「はまぎく児童館」で遊んだことがある卒業生の松浦くんが「木自体はしっかりしているから表面だけ削れば大丈夫。新調はするけど伝統は残したい。」と言ってくれて元の木で看板作成がスタートしました。
もう一人の「はまぎく児童館」卒業生、佐藤くんも一緒に行いました。
彼はボランティアセンターのスタッフでもあり、当日はボランティアセンターから4人連れてきてくれて一緒に企画を運営しました。

3月28日、当日は晴れたり曇ったりと怪しい天気でした。
子どもたちと顔合わせてすぐに「それじゃ、看板を作ろー!」と言っても「誰だろう?この人たち」と思わせるだけで子どもたちも「一緒にやる」のではなく、 「一緒にやらされる」と思うのではないかと考え、13:00からの看板作りより早めに到着してオリエンテーションと称し、お昼を一緒に食べて少し一緒に遊 びました。

するとどうでしょう。すぐに懐いてくれて「このお兄さんお姉さんと一緒にやったらなんでも楽しい!」と思ってもらえる雰囲気が出来上がりました!そ して子どもたちはみんな、ちゃんと言うことを聞いてくれてそして準備も手伝ってくれて、わくわくしながら看板作り企画がスタートできました。
内容はというと・・?
表札である大看板の字は松浦くんが書いてくれていました。、その周りを他の木を使い子どもたちで「はまぎく」を描きました。
「はまぎく」は児童館の名前でもあり、そして七ヶ浜町の町花でもあります。
ペンキで手はもちろん足や顔にまでついてしまう子もいましたが、5のチームに分かれて仲良く笑いながら絵を描いていました。

ペンキを乾かしている間、北海道からやってきた児童館の「つばさクラブ」の6人がはまぎく児童館を訪れ、「はまぎく児童館」のみんなにけん玉と独楽 の芸を披露をし、「はまぎく児童館」の子たちは縄跳びと一輪車のショーをお返しとしてしました。どちらもとても上手で大人顔負けの素晴らしいスキルでし た。
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その片隅、黙々と作業し続ける佐藤くんの姿が・・・
彼は児童館の看板新調のために行ってはもったいないと思い、一人で壊れている箇所の補修をしてくれていました。補修を終えると別の仕事があるのでその場を 去りましたが、先生方はちゃんと見てくれていて感謝の気持ちを彼に伝えて欲しいとの言葉を頂いています。子どもたちも邪魔をせず、「すごーい」と見守って いました。
外に掲げる看板であったので雨風に負けぬようにニス塗りが必要でした。それもあり、28日中には完成ができませんでした。
日を改めまた30日に訪れ、今度は小看板作り班と補修班に別れて作業をしました。小看板は30日来れなかった佐藤くんが作ってくれたもので自立式の何にで も使える看板です。先生たちはお知らせを貼る看板にしたいと言っていたので子どもたちに下地に絵を書いてもらうことにしました。どんな絵を書くのか、どん な風になるか・・わくわく反面どきどきでしたが・・・・
なんと!子どもたちは「ここに花を書いて~」、「それじゃあ、ここにおひさまを書くね」、「わたしちょうちょ書くね!」などと連携をしているではありませ んか。集団生活をしている子たちならではの仲良し具合を垣間見れた気がしました。とても嬉しかったです。補修班も普段使わないインパクトドライバーなどの 工具を使い、棚を修理をしました。
道具を用意する人、材料を切る人、ドライバーを持つ人、棚を抑える人、暗い箇所をライトで照らす人、みんなで一致団結してやりました。集中している姿はとてもかっこよかったです。
小看板作りも補習班もひと通り終わった後、松浦くんが大看板の設置を完了し、みんなで記念撮影をしました。。
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帰る時間となり、子どもたちは「帰らないで~」や「絶対また来て、一緒に遊んでよね」など、数時間一緒だっただけなのにとても名残惜しそうにしていましたが、「必ず、また来るからね」と言うと笑顔を浮かべてくれました。
大人になった時に「この看板はぼくが(わたしが)が作ったんだよ」と紹介できるくらいずっと掲げていられる看板が出来ました。
先生たちも可愛い看板が出来たと大喜び、子どもたちも満足気でした。

—–先生たちのつぶやき—–
「子どもと一緒に遊んでくれるボランティアさんがいないのが現状です。カウンセリングなどのどちらかというと大人向けの企画は昨年もありましたが、一緒に遊ぼう!などの企画は少なかったのです。」
「震災直後はとても先生も子どもたちも心から笑える状態ではありませんでした。今こうやってみんな笑って遊べているのは奇跡としか言いようがありません。支援物資やカウンセリングに来てくれた方、瓦礫を撤去してくれたボランティアさんに感謝しています。」
「津波ごっこや避難所ごっこなどやる子たちもいます。忘れてほしくはないですが、トラウマや足枷にならないようにしっかり見守っていきたいです。」
「是非また、子どもたちと「一緒に」やる企画をたてて欲しいです。」
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「一緒にいて、一緒にやる」このことがこんなにも人の心を動かすとは思いませんでしたが、今回の看板作りの企画はそのスタイルが子どもたちにとっても、良い支援になっているのではないかと思えるきっかけになりました。
先生たちのつぶやきや子どもたちの様子をみると児童館でのイベントも視野に入れつつ、
今後とも「子どもたちと一緒にいて、一緒にやる」というスタイルで支援プログラムを組んでいきたいと思います。

【主催】レスキューストックヤード
【共催】七ヶ浜町子育て支援センター、はまぎく児童館、七ヶ浜町復興支援ボランティアセンター