(70代:女性)
ポストが玄関でなくて、1階にあるの。(※集合ポスト)
取りに行くのが遠くて、大変だー。
被災前の住所毎で移転だけど、
役場とか社協とか訪問してくれるけど、
かけがえのない命を守るために 私たちは、過去の災害から学んだ教訓を活かし災害に強いまちづくりのお手伝いをしているNPOです。
皆様、お世話になります。
RSY七ヶ浜事務局の槙島です。
会期後半11/21(土)には「はまのわトーク」として“自分たちの子どもが大人になったとき、どんな町になっていてほしいですか?」というのをテーマにWSを行いました。
最初に同じ東北の海が身近な町の現状を見て、七ヶ浜についても考えるきっかけとなれば、ということで監督の我妻和樹さんにもお越しいただき、南三陸を舞台としたドキュメンタリー映画「波伝谷に生きる人びと」ショートバージョンを上映。
今回は七ヶ浜のことを思う20代から子育てをするお父さん、お母さんたちが集まり、2つのグループに分かれてまずは「七ヶ浜ってどんな町?」について、意見交換をしました。どちらのグループも
・地元意識が強い
・地区(浜)ごとの色が強い
・いい意味でのライバル感
・人と人のつながりが深い、義理堅い人が多い
など“人”との繋がりについての意見が1番最初に出ました。そして
・自然がいっぱい、暮らしやすい町
・海の音が聞こえる、静かでいい町
という七ヶ浜の自然、生活環境について。
・海の幸がたくさんあっておいしい
という声ももちろんあがってきましたが、住んでいる地域によって異なり、「漁業は盛んだし、ボッケは有名だけど漁師さんとのつながりもないから食の部分であまりぴんとこない」という率直な意見もありました。
色々な意見が出た後、 グループごとに1つ「どんな町にしたいか」まとめました。
・いいイベントがたくさんあるのに知らないことが多い、情報が伝わってこない→情報がしっかり伝わる町
・住んでいる人たちが楽しそうに見える町→地区ごとの個性をもっとアピール、一人ひとりがいいところを紹介できる
そしてそのために「七ヶ浜の持っている魅力を知る町歩きのWSとかおもしろそう」「その時にゴミ拾いとかもできたらいいよね」など、町のいいところ悪いところを再認識することはもちろん、もっと七ヶ浜の魅力を町民自身が楽しみながら知り、町のことを考えられるような企画をしよう、と今後の動きに繋がる意見やアイディアもたくさん出ました。
今回は写真や作品を展示して「七ヶ浜の魅力を改めて感じたり、楽しかった思い出話をたくさん聞きたい、そしてそれを子どもたちにも伝えたい」ということで、展覧会を開催しましたが、このWSで出たいアイディアを実際に1つみんなでやってみよう!と実行委員会のお母さんたち、若者たちは張り切っています。
「しちがはまのわっか、つながり。子どもたちへと繋いでいく」そんな意味をこめた「はまのわ」
これで終わりではなく、今後一人でも多くの方が「七ヶ浜っていいところでしょ!」と感じ、大人から子どもへ、町内はもちろん町外の方々へ魅力を伝えていくために、町民の方々と一緒に活動していければと思っています。
《参加者の声》
・うちは親戚が漁師だったり、じーちゃんがさばけるから魚はよく食べるし、ボッケは季節になると必ず食べていて当たり前だと思ってたけど、「あまりぴんと来ない」という意見を聞いて、驚いた。せっかくの名物、みんなが身近に食べれるようになればいいのにね(40代女性)
・今まで当たり前に暮らしていてあまり七ヶ浜について考えたことなかったから、今回こうやって考えることができてよかった。若い人達がこんなに考えてくれているんだから私たちも頑張らないと(40代女性)
・仲間だけで話すのではなく、違う世代の方とこのような話をできたのが良い、煮詰まることがなかった。こういうのがやりたいっていう素直な意見が出た(20代男性)
皆様、お世話になります。
オープニングイベントとして11/8(日)に今回展覧会にご協力いただいた画家古山拓さんをお招きしてのトークイベントを開催しました。
今回お呼びするきっかけにもなった1冊の画集、「七ヶ浜小さな旅ー灯台のある町」を作った経緯、七ヶ浜出身の大学生との出会い、七ヶ浜への想いなどをおはなししていただきました。
古山さんがはじめて七ヶ浜町にスケッチで訪れたのは2008年。
ある時期、仕事が立ち行かなくなった時に「灯台をモチーフにスケッチ紀行を描いてみようか…。そういえば隣町の七ヶ浜に灯台があったはずだ。道がそこから開けるかもな…。」と、思ったところから始まったそう。
なぜ、七ヶ浜だったのか?
「海水浴で馴染みがあったことと、住まう仙台から一番近い灯台がある町、という、いたって単純な理由。ところが、訪れると七ヶ浜は、描くのが楽しくてたまらない、そんな港があちこちにある町だった」と古山さん。
そして2011年の東日本大震災、七ヶ浜町の港や浜は津波にのまれました。
古山さん自身も震災でお仕事も打撃を受け、立て直しに奮闘されていた時、ご友人が出品を促してくれたのが全国のアーティストに「自分の好きな町」を「手作り本」で紹介してもらおう、というアートプロジェクト。その時に製作したのが「七ヶ浜小さな旅-灯台のある町」でした。
のちに700冊限定で自費出版され、七ヶ浜の方々や、震災復興支援で七ヶ浜入りされたボランティアの方々の手に渡りました。その中の一冊が私たちの手元にも届き、本展覧会への実現に結びつきました。
更にこの1冊が、学校の課題のために資料を探していた七ヶ浜出身の建築を学ぶ大学生の手元にも渡りました。
「今は地元を離れているけど、地元のことを想う面白い子だよ」とのことだったのでご紹介いただいて実行委員会に入ってもらい、古山さんの作品に合わせた優しい雰囲気にするための照明のしつらえなど、空間コーディネートをしてもらいました。
そんな素敵なつながりについて、そして来場者の方と作品を眺めながらポロポロとこぼれる思い出話も聞くことができました。
「画集の役割も終わったのかな、と思っていた。」とおっしゃっていましたが、出版されてから3年経った今、この1冊と出会い、そのおかげで私たちは七ヶ浜を想う地元の若者にも出会うことができ、町民の方々と一緒にこの展覧会を開催することができました。
古山さんは「旅をするのが好き。」「絵を描くのは旅をするのと似ていてスイッチを切り替えて、町や見慣れた風景を見直せる」とおっしゃっていましたが、絵を見る方も同じように自分たちの町を少し違う角度から見て、思い返してもらえたら・・・
菖蒲田浜の漁港の灯台、吉田浜の風景の2点はきずなハウスに飾ってありますので、ぜひみにいらしてください。
《来場者の声》
・こんな風に七ヶ浜の良さを残してくれて、嬉しい(70代女性)
・今はもうなくなってしまって観られない景色をこうやって見られると思わなかった(70代女性)
・昔この海岸で貝や海草を取って遊んだけど、堤防ができてしまったからね(80代女性)
・地元じゃなくても思い入れがあって、七ヶ浜のためにこうやって動いてくれている人がいることが嬉しい。もっとたくさんの人に見てもらいたい。どこかいつも飾って観られる場所があればいいのに。(50代男性)
皆様、お世話になります。
震災から4年半が経過し、沿岸部の復旧工事・高台造成が進み、町も復興期の街づくりを見据え、動きだしています。
5年を迎える今こそ「町民自身が七ヶ浜の古きよき歴史・文化・伝承などに改めて触れることで町民自身が町の魅力を再確認してもらいたい。そして、今後どんなまちにしたいのか、未来の子どもたちに何を残したいのかなど、今一度考えてもらいたい。」という想いから、町民主体で実行委員会を立ち上げ、準備・開催いたしました。
この展覧会は、七ヶ浜の昔の写真や象徴的な場所の写真、新聞記事、のほかに、仙台在住の画家古山拓さんが描いた七ヶ浜の作品を展示しました。
観光マップには書かれていないかもしれないけれど、暮らしの中にある当たり前の風景も七ヶ浜の魅力。
昔から七ヶ浜に住んでいる人にも、最近越してきたという人にも、ボランティアで七ヶ浜を訪れる人にも、七ヶ浜のこういうところが良いんだよなあ…というものがなんとなくはあるのではないでしょうか。
展示を見ていただいて思い出すこと、七ヶ浜のすきなところをご来場いただいた皆様に付箋に書き残してもらいました。
それをみんなで分かち合い、これから七ヶ浜で育っていく子どもたちにも伝えていきたい、そして子どもたち自身にも自分の暮らす町を見つめてもらいたい、という想いから始まった展覧会です。
会期中には商店街に買い物に来た方、 古山さんの作品があると聞いて七ヶ浜を訪れてこられた方、大人だけでなく、子どもたちも覗いてくれました。
七ヶ浜と言えばややっぱり漁業!ということで、町内の写真の他に昔の漁師さんの写真や漁具も展示していました。
当時の日本はまだ白黒の写真ばかりでしたが、高山に住んでいた外国人の方が撮っていたため、カラーで残っていた昭和20年代の漁師さんの仕事姿の写真。
展覧会に見に来る子どもたちや大人もたくましい体に「かっこいいねー」と眺めていましたが・・・
「この1番手前で船ひいてるの、うちのじーちゃん!この人!」と偶然にもご本人とご家族がいらっしゃったのにはビックリ!
昔は今のようなウエットスーツもなかったため、ふんどしで海に潜っていたそうです。
そして「この頃の写真は残ってないし、まさか見れると思ってなかった」と、とても喜んでくださいました。
当初23日(月)で終了予定でしたが、ご好評につき1週間延長し、より多くの方にご来場いただくことができました。その中で「今まで当たり前に暮らしていたから考えたことがなかったけど、自分の町について考えるいい機会になった」という声も多く聞かれました。
この展覧会で終わりではなく、これからも町民の方に寄り添いながら、私たちの立場だからこそできることは何か、しっかり見つめながらお手伝いしていきたいと考えています。
《来場者の方の七ヶ浜の思い出》
・76歳まで現役でアワビのもぐりをしていた。漁港の前に住んでいたから、灯台の明かりが消えないように見張る海守もやっていた。(80代男性)
・大潮になれば、アサリ、海苔たくさんとれっから、潮引く時間も調べて行ってね。朝学校行く前に行ったりもしてたな。足できゅっきゅってすると蛤だって出てきたんだよ。(70代女性)
・亦楽小学校の木造校舎が懐かしい。2年生の時、高学年になったらコンクリートの校舎にいけるのが楽しみだった。(40代男性)
・吉田に獅子舞が来て、おばあちゃんとおにいちゃんと一緒に頭をかじってもらってうれしかった(小学生)
みなさま、お世話になります。
RSY七ヶ浜事務局の槙島です。
11月末での七の市商店街閉所に伴い、約2週間お休みをいただいておりました“きずなハウス”(レスキューストックヤード七ヶ浜事務局)ですが、12月12日(土)より下記へ移転、リニューアルオープンいたしました。
———————————————————————————–
【住所】
宮城県宮城郡七ヶ浜町吉田浜字野山5-9
老人福祉センター「浜風」内 いろりの家
【定休日】
毎週月曜日(※月曜日が祝日の場合は翌日の平日がお休み)
【時間】
10:00~18:00
【電話】
090-9020-5887(休日(※)を除く10:00~18:00)
———————————————————————————–
リニューアルオープン当日は開店30分前から覗く子どもたち。
わざわざノックして「なにか手伝うことありますか?」と言ってくれる子も。
たくさんの方に支えていただきながら、無事リニューアルオープンすることができました。
入店時にはたくさんの企業様からご支援いただいたものを詰めあわせたプレゼントを皆様に!
(その詰め作業も小学生がお手伝いしてくれました!)
相変わらず大人気のスマートボール、まずは運試しに、とこの日もみんな楽しんでいました。
そしてこの日の1番のお楽しみイベントはビンゴ大会!
午前1回午後1回の開催でしたが、午後は入りきらないほど詰め詰め状態!たくさんの人が参加してくれました。
「○○番出してー!」「トリプルリーチ!」と最初は座っていたみんなもどんどん前に出てきて・・・終始大盛り上がり!
今回の景品は愛罐コーポレーション様からご寄付いただいた可愛いイヤーマフやマフラーなど・・・これからどんどん寒くなる東北では欠かせないものばかりで子どもも大人も大喜びでした!
商店街閉所となり、毎日顔を合わせていた店主さんたちともなかなか会うことがなくなり少し寂しいですが、みなさん再建先での新たなスタート!
私たちも新天地で、皆様にとって居心地のいい空間を作っていけるように、今まで以上に頑張りますので、町内の皆様はもちろん、県外から七ヶ浜へお越しの際はぜひお立ち寄りくださいね!
今後ともよろしくお願いいたします。
皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。
七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聞く住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状を知ることができます。
2015年12月11日で震災から4年9ヶ月が経過しました。
12月11日は、4年前に七ヶ浜町の復興商店街「七の市商店街」がオープンした日です。
その七の市商店街も役割を終えるということで2015年11月30日(月)で閉鎖となりました。
店主さんらは各々移転が始まり、新店舗で営業をスタートをされている方もあります。
人が集まる場所となっていた七の市商店街。
町の朝市とは別に独自のイベントを開催したり、町のPRの為に町内外のイベントに出向いて出店したりしてきました。
「商店街でお茶飲んだり話すのが楽しかった」「無くなるのは寂しい」「中央公民館の近くだからつかいやすかった」と惜しむ声も多い一方、
「新しい店舗ができて、営業できるからこそ解体がされる。そのことを思えば復興が進んでいて、前に進んでいるという感じがあるからそれはそれでいいこと」だという声もあります。
店主さんたちも「『移転後も食べに行くからね!』『髪を切りにいくからね!』という声があるから頑張らないといけない」とお話されています。
新たなお家で新たな生活が始まる町の皆さんの生活を支えるのは地域のお店です。
これからも地域の拠り所となるよう頑張って欲しいですね!
RSYは、これからも皆さんを応援をしていきます!
—————————————————————————–
〇12月に引越しだな。公営住宅だ。うちの(奥さん)と2人ではとてもじゃないけど引越しなんてできないよ。業者がやってくれるからなんとななるけどね。食器棚やエアコンも買い換えなきゃぁ、エアコンは4年はつかってるんだからもう使えないよ。まぁまず、いろいろ世話になったな。
今日はお客が来てるんだ、この頃結構忙しいな。
(70代:男性)
〇今日も近所の(仮設の)人が引越ししてたわ。子どもが4人いるところだからかもしれないけど、すごい大きなトラックいっぱいにして運んでたわよ。よく仮設の中にあんだけの荷物が入ってたねー。 私たちも来月(12月)鍵もらうから、少しずつ片づけしてるんだわー。
(60代:女性)
〇もう引越し業者は決めてる。公営住宅にも(足湯とかで)来てくれるんでしょ?是非、遊びに来てね。家具とかどうしようか考えてる。仮設の表札はつけられないよねぇ。壁がコンクリートだからね。でも、中に置いとくかなぁ。
神棚をつけてもいいらしいけど、穴開けたりしたら公営住宅出る時に直さないとダメらしい。
どうしようかなぁ、でも仕方ないよね。(神棚は)つけなきゃダメだもん。
私はアパートに入ったことないから不便なところが出てくるかもなぁ。
(60代:女性)
〇七ヶ浜に来て60年だけど、やっぱり浜の人っていうのはね言い方がきつくて合わないわね。みんなでいるときは黙ってるの。私、仙台に働きに行ってて隣組の人しか知らないのよ。友達も少ないし、家ながされて全部無くなっちゃったけど、公営住宅に行ってこれから頑張らないとね。がんばるって言っても難しいけどね。
(80代:女性)
〇A浜で被災して、仮設に入った。でも、その後息子のとこ(隣り町)に避難して住んでたんだ。隣り町は周りは知らない人だし、気も使うしで女房が七ヶ浜に帰りたいって言ったので、七ヶ浜のアパートに越してきたんだ。「みなし仮設」でなくて普通に(家賃)を払ってな。公営住宅に入居したいと思ってたら、「町外に一度住民票移した人は被災者枠で入れないから今すぐは入れない」って言われて本当に困っている。一般枠でもいいから入れてくれって頼んだら今は一般は募集していないって言われて断られた。俺ら七ヶ浜の人間いれねーで、どうすんだ。って抗議してきたんだけどダーメ。
(60代:男性)
〇仮設住宅にはお世話になった。最後は今までのお礼と思ってピカピカにしていくよ。
次の人は入らないからそこまでやらなくてもいいみたいなんだけどね。
住めば都っていうけど本当だよ。避難所から引っ越ししてきた頃とか思い出すね。
(60代:女性)
お世話になります。
七ヶ浜事務局の松永です。
11月14日(土)に七ヶ浜町の七の市商店街を会場にして「ボッケパーティー2015」が開催されました。
この企画は、2011年より被災した地元漁師のSさんが「七ヶ浜町を支援してくれるボランティアさんに特産物のボッケを振舞いたい」との気持ちから始まり、今回が5回目となります。
2013年の様子はコチラ⇒★復興ボッケ祭り2013
七ヶ浜町では震災後、延べ8万人以上のボランティアが支援に入ったお陰でニーズも完了し、現在では災害ボランティア活動はほとんどありません。そのため、今回は町内に住む親子を対象に、七ヶ浜町の魅力(ボッケ)に触れてもらうことを目的に、ボッケ鍋の無料試食・ボッケ釣り・ボッケのさばき方講習会・海鮮焼きブース等を行いました。
ボッケはみなさまご存じのように、ケムシカジカが正式名称で
インパクトのある姿をしていますが、
白身で淡泊、ほとんど捨てるところがありません。町では鍋にしたボッケ鍋が愛され、昨年仙台市で開催された仙台なべまつりでは、七ヶ浜町のボッケ鍋が準グランプリとなりました。
住民との会話から「魚のさばき方がわからない」との声が多くあったため、さばき方講習会を開催しました。地元で獲れた魚を自分で料理して食べられるようにと、ボッケの解体を行いました。住民7名が参加し、講習会終了後に漁師さんから参加者へプレゼントされたボッケを手に「これをさばいて今晩のおかずをつくる!」とみなさん張り切っていらっしゃいました。
ボッケ釣りは子ども達に好評で、活きたボッケを釣ってもらい、それをその場で解体調理し姿から揚げにしました。自分で釣った魚を食べるのは格別だ!と子ども達。
昨年のボッケパーティーは、RSYが定期的に交流している福島県会津美里町の宮里仮設住宅(楢葉町の方々の避難先)にて行いました。それも七ヶ浜町漁師Sさんを始め、住民の方々が「今まで支援を頂いた分、僕たちも恩返しがしたい」との声があり、宮里仮設住宅で七ヶ浜町と交流会を行い、名物のボッケを仮設住宅の方々に振舞う企画を行いました。その繋がりで、今回は宮里仮設住宅の方々が「次は七ヶ浜町に行ってみたい」との声があったため、七ヶ浜町にお招きし、企画内で楢葉町名物のマミーすいとんを振舞って頂きました。
マミーすいとんも七ヶ浜町のためにと無料配布して頂き、町民・子ども達も「美味い!」と絶賛でした。今後も被災地間交流も継続していきたいと考えています。
お昼には、特製のボッケ鍋が町民の皆様に振舞われ、来場者は七ヶ浜町の味を堪能していました。ボッケを見て、なにこれ?食べたことない!と話す子ども達も多く、食べてみたら「うわー美味しい!」と笑顔になっていました。
このボッケパーティーは、漁師Sさんが発起人となっていますが、町民有志や地域の若者らも加わり実行委員会形式で考えた企画でした。 七ヶ浜町の復興に向けて、町のために!と頑張る住民を後押しし、今後もエンパワメントに繋がるお手伝いができればと考えています。
皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局の郷古です。
2015年11月30日を持って、七ヶ浜の復興仮設商店街「七の市商店街」の運営が終了致しました。店主らは高台移転及び自立再建を行い、新店舗での営業を始めていくようになります。
それに伴い、商店街内に設置していたRSY事務局兼地域コミュニティスペースの「きずなハウス」は移転します。
※場所は同じ中央公民館敷地内です。旧ボランティアセンターの場所です。
以下、移転先住所です。
———————————————————————————–
【住所】
宮城県宮城郡七ヶ浜町吉田浜字野山5-9 老人福祉センター「浜風」内 いろりの家
【定休日】
毎週月曜日(※)
【時間】
10:00~18:00
【電話】
090-9020-5887(休日(※)を除く10:00~18:00)
(※月曜日が祝日の場合は翌日の平日が休み)
新事務所でも交流スペース(駄菓子やコーヒー、ボーちゃん焼きなど)としてOPENします。
町民/ボランティアの皆さんにも使っていただこうと思います。是非、ご利用ください。
—————————————————————————————————————————–
ちなみに『きずなハウス』の最後の日(2015年11月29日(日))は・・・・
移転は決まっていますが、最後の日ということもあり、
常連の子供たちは遊びに来てくれました。
駄菓子、ボーちゃん焼きコーナーは大忙しです。
子どもたちの三時のおやつとして「自分たちで作る駄菓子ケーキ」を作ったり、一緒に遊んだりしました。本当にたくさんの方々が来てくださり、笑い声の絶えないにぎやかな一日となりました。
——————————————————————————————
移転先でもRSY七ヶ浜事務局をよろしくお願いします!
皆さん、七ヶ浜にお越しの際は、是非立ち寄ってくださいね!
皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。
七ヶ浜町の仮設住宅集会場で定期的に開催している足湯や
日々の活動を通して聴ける住民の声『つぶやき』からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2015年11月11日で震災から4年8ヶ月が経過しました。
震災から4年8ヵ月・・・ということは七ヶ浜町での「足湯の活動も4年半8ヵ月続けられてきた」ということになります。避難所、応急仮設住宅、町内イベント含め開催された実施回数は300回を数え、住民利用者数は3,000名を超えました。
【『RSY=足湯』=だからいろいろ安心ができる】という本当にありがたいお言葉も頂いています。
災害公営住宅へ引越しするため、『お別れのご挨拶&今までの足湯の思い出話』をしに足湯に来られる方々も。
「足湯でいろんなお話ができて楽しかったわ。移転したら遊びに来てね」
「避難所からの付き合いだからな、俺は七ヶ浜の中で一番足湯をしてもらったかもしれない!表彰もんかもな!笑」
「今はお風呂があるから足湯自体は必要ないかもしれないけど、こうやって楽しい場所だから来るんだよね。公営住宅でもこういうのやりたいよね。」
「名古屋とか北海道とかいろんなボランティアさんが来て、いろんな土地の話をした。行ってないのに旅行した気分になれたのはいい思い出だよ。」
「足湯は足を温めるのもそうだけど、心も温かくなるんだよね。」
公営住宅や地区避難所での足湯を続けて欲しいという声も頂いています。
現地のニーズ、ボランティア募集など様々なことを踏まえて、皆さんの憩いの場を作っていきたいと思います。
————————————————————————————–
〇もう仮設住宅には人は少なくなってきたね。公営住宅に行ったや高台移転した人の方が多いかも。
お隣さんも引っ越してしまったから、おしゃべりする人がいなくなっちゃったわ。だから、足湯に来ておしゃべするのよ。
(60代:女性)
〇俺が行く高台移転の地区も家がいっぱい建ってきた。海の近くだけど、眺めもいいし、友だちもたくさんいる。早く行きたいね。
家建ったら、足湯のみんなを招待するから遊びに来てくれよな。
(70代:男性)
〇来月にはもう集会所(仮設)にいないからね。これで足湯は最後になるわ。いままで本当にお世話になったね。ありがとう。
(70代:女性)
〇俺は仮設から出んのは12月末だからよ、また来月もきてくれよな。
(集会所の利用が)昼間なんか俺一人の時もある。他の人も来ればいいのになあ。
(70代:男性)
〇公営住宅の鍵もらってどんどん荷物運んでもらって引越ししてんだけど、まだ仮設住宅には荷物を置いてあるの。
4年半の荷物って結構あるんだよ。仮設住宅ににあんだけはいってたとは思えないくらい、いっぱいあるんだよ。
(60代:女性)
〇本当は引っ越したくない。高台移転地も何か所かあるけど、選べる方式が良かったわ。元住んでいた地区に戻るような移転の仕方
なんだ。行くところはお店もないし、主要施設からは遠くなるしで正直仮設にいた方が立地はよかった。まぁ、こんなこと言ってた
ら始まらないけどね。
(70代:女性)
みなさま、お世話になります。RSY七ヶ浜事務局槙島です。
今年も海開きがされず、防潮堤等の工事中のため、まだ「海は危ない」とされていますが、七ヶ浜の魅力といえばやはり海!と町民は声を揃えます。
町内の子どもたちが実際に七ヶ浜の海に触れ、様々な経験をする中で自然の大切さ・自分の町の魅力を再認識してもらうきっかけになれば、と
今年5月から始まった「きずな号で七ヶ浜を学ぼう!」、先日10月10日と17日、2週に分けて第3弾「ハゼ釣りをしよう!」を開催しました。
今回で3回目ですが募集が始まると毎回参加してくれる子はすぐに申込をしてくれて、3回目となれば自分の釣竿を持って参加する子も・・・!
この企画を通して釣りをするようになって、自分で竿を買って、お父さんやおじいちゃんと釣りに行くようになった子もいました。
そして回数を重ねるごとに、七ヶ浜町の中学生や20代の若者等がボランティアで運営のお手伝いをしてくれるようになってきました。
漁港に行く前のオリエンテーションもリピーターの子のおかげでスムーズです。
約束事やグループ分け、自己紹介をしたらさっそく漁港へ!
今回もグループに分かれて師匠に教わりながらしかけ、えさをつけられた人からスタート!
すぐに、「釣れたよー!」とあっちからもこっちからも。
10月は釣りするにはもってこいのいい季節だと言われていたので子どもたちもワクワクしながら、じっと待ちます。
企画名のとおり、ハゼが釣れるシーズン。岸壁からでも少し小ぶりですが釣れました!
お正月の仙台雑煮は具沢山で有名ですが、そのお出汁はハゼでとるのが東北風。
ハゼを焼いて干して・・・年末になるとデパートでは必ず売られているし、とても高価なもの。東北ならではのご馳走なんです。
そんなおはなしも聞いて、楽しく釣っただけでなく少しお勉強もして。
10日はなかなか見れない新しい船のお披露目、進水式でたくさんの人が漁港に集まっていました。みんなで一緒にお金や餅まきに参加!
たくさん飛んでくるのでみんな必死にキャッチ!思わぬお楽しみ、貴重な経験でした。
お昼は自分で釣った魚をからあげにしていただきます。
自分で釣った魚、みんなで協力して釣った魚のお味は格別、
普段はあまり魚を食べない子も「僕が釣ったやつ!うまいっ!」と満足げ。
漁港で熱々をみんなと一緒に食べるからまたいいんですよね。
今回は過去2回に比べものにならない釣果結果に楽しさも倍増でした。
釣れれば釣れるほど、釣れなければ悔しくて「またやりたい!次はいつ?次やる頃は何が釣れるの?」と釣りを通して、
海の楽しさを感じ、地元で獲れる海産物への興味が沸いているようでした。
《参加者の声》
・きずな号での釣りは初めてだったけど、皆で協力して餌をまいて釣って楽しかったです。メバルをはじめて食べたら、あつくてさくさくしてとても美味しかったです。(小5男子)
・目標の三匹はつれなかったけど大きいカレイがつれて良かったです。自分で釣ったカレイはとてもおしかったです。いつもの2倍美味しかったです。また行きたいです。(小5男子)
・今回は、全員が釣ることができていいと思いました。自分で釣った魚を自分で食べるのは楽しかったです。(小5男子)
《保護者の声》
・みんなで一緒に釣ると色々な魚が見られて良かったです。
・40数年(小学生の時)振りに、しかも地元菖蒲田浜で釣りをすることが出来、大変楽しく過ごすことができました。子どもが望めば個人的にまたやりたいと思います。
・餌が付けれなかったり、困ったことがあった時など助け合っていた姿が見られて良かった。