【第1報】平成28年熊本地震に関わるRSYの支​援活動について(4月16日)

みなさま

RSY事務局です。
周知のとおり、熊本県での震度7の地震災害、そして大分県など隣県にも及ぶ相次ぐ余震等で、現地は大混乱に陥っています。
RSY事務局では、昨夕(4月15日)から、浦野(常務理事)・松永(事務局次長)を現地に派遣し、まずは被災者の生の様子を確認したり、避難所対応にあたる予定でしたが、昨夜の「本震」で宿泊していたホテルは急きょ閉鎖され、最寄りの避難所となっている特別養護老人ホームで、夜を徹して高齢者対応などに当たることになりました。情報の少ない中でも、すでに被災者からは、

・余震の恐怖と疲れの色が非常に強くなっている
・朝夕の寒暖差が激しく体に負担がかかっている
などの声が聞こえてきております。
また、浦野が現地でお会いした関係者からは、以下のような声を届けてくれています。
・日中は一旦自宅に帰る人もいるが、高齢者は避難所に残されたまま
・大小の避難所が点在しているので、孤立している箇所がないかなど、一通り状況確認した方がよい
・益城町総合運動公園には、350~500名ほどが入居。子ども、高齢者、女性に対する配慮も含めて、職員等ができるところから環境改善を図るも追いつかない
・保健センターでは、土足の区割りの無い廊下に人がブルーシートを敷いて寝ており、全体的に不衛生な環境で生活している
・仮設トイレは設置されているも、ほとんど和式。
多くの被災者が困難な状態の中にあるといった状況です。

引き続き、できる支援を続けたいところですが、今回の一連の地震は専門家ですら「全く予断を許さない」とコメントしており、二次災害を防ぐため、断腸の思いですが、一旦浦野・松永を名古屋に戻すことにしました。

みなさまにおかれましても、現段階では、一般ボランティアが現地に行ける状況ではないことをご理解いただきますようお願いいたします。 ただし、専門家やご自分で安全管理ができ、訓練を積んだ専門性の高いNPO等は、むしろ現地では必要とされています。RSYとしては、改めて対策を協議して臨むことにしています。

▼4月16日の動き
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(浦野・松永)
・16日中に、名古屋に移動(予定)

▼名古屋での募金活動(始めています!)

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【日時】
・1回目:4月16日(土)10:00~12:00(RSY事務所集合組は9:30)
・2回目:4月16日(土)13:00~15:00
・3回目:4月17日(日)10:00~12:00(RSY事務所集合組は9:30)
・4回目:4月17日(日)13:00~15:00
※午前は事務所から募金箱等の荷物を運びます。お手伝いいただける方は事務所に来ていただけると有難いです。
※午後は、帰りの荷物運びもお手伝いいただけると有難いです。
※2・4回目のみご希望の方は直接現地集合して下さい。
【実施場所・その他】
名古屋市栄三越ライオン像前 
4月17日は
・名駅、ナナちゃん人形前に変更になりました。
・内容/平成28年熊本地震 被災地支援活動募金
・連絡先/090-5000-8386(RSY林)
参加を希望される方は、下記をRSY事務局(info@rsy-nagoya.com)までご連絡ください。
当日飛び込みも大歓迎ですが、なるべく事前にご連絡いただけると幸いです。
①お名前:
②連絡先(できれば携帯電話):
③参加可能日時:
④希望集合場所:RSY事務所 or 現地
⑤参加人数(代表者が申込む場合):
※大雨・洪水・暴風・大雪いずれかの警報が出ていたら中止とします。

▼寄付募集のお知らせ
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活動支援金をお寄せいただくことは、
被災地の為に現地に行って活動するのと同様にとてもありがたいです。
大切に使わせて頂きますので、どうぞよろしくお願い致します。


<クレジットカード決済>
URLよりお願いいたします。
https://kessai.canpan.info/org/rsy/donation/
「都度寄付」よりお申し込み下さい。
<銀行振込>
三菱東京UFJ銀行 本山支店 普通3505681
特定非営利活動法人レスキューストックヤード
※お名前の前に「カツドウキフ」とご入力ください。

<郵便振替>
00800-3-126026
特定非営利活動法人レスキューストックヤード
※通信欄に「カツドウキフ」とご記入ください。

 

 

 

 

宮城県七ヶ浜町報告【第228報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第33号](2016年3月1日~3月31日)

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

宮城県七ヶ浜町の住民の声「つぶやき」2016年3月号をお伝えします。
「つぶやき」からは被災者の様々な現状をうかがい、知ることができます。
2016年4月11日で震災から5年1ヶ月が経過しました。

今回は震災後、津波被害を受けながらも新しくお店を始められた方のお話しを聞きました。
「道路の復旧工事、防潮堤の建造でこの1年以上ずっと重機が入る大掛かりな工事をしている。音が大きくて昼間はゆっくりできないな

店主の家は海の目の前。津波で1階ほとんど部分が浸水被害を受けましたが、鉄筋コンクリートのため家は残りました。震災から3年後、自宅を修繕をし、喫茶店を始めました。
お店を始めてから2年が経過し、海を見ながら食べられる喫茶店として、地元の皆様を始め親しまれています。しかし、お店の前の道が工事の為、通り抜けが困難に、且つ昼間も工事のため大きな音がでてしまいます。この工事は1年以上行われています。

「復旧工事が必要なのは分かるし、防潮堤も必要だが。6.8mの防潮堤とその後ろに植える防災林で七ヶ浜の沿岸部は海が見えなくなるんじゃないかと心配している。津波は防ぐことは難しい。はやく高台へ逃げるかを考えなきゃならない。道路がきれいになるのは良いが、逃げる時のためにすれ違えるような道路幅が望ましい。

5年が経ちましたが、防潮堤工事、道路復旧は完成していません。
「人の命を守る」、「景観を守る」いろんな観点から防潮堤の高さが決まりました。
この高い防潮堤、復旧道路幅が皆さんの命を守ることを切に願います。

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〇この前はボランティアさんとの交流会に呼んでもらってありがとうね。うまく話せなかったけど、みんなに思い出してもらって役に立てて良かった。本当にめぐり合わせでこうやって出会えたんだもんね。本当にうれしいね、みんなと出会えて。
(60代:女性)
※RSYボランティアバス72陣との交流会に参加された方 

 

〇やっと(きずなハウスに)たどり着いたー。隣町から来ましたよ。この前テレビでやってて、探したんです。私たちの町にはこういった駄菓子とか低価格で買える、そして子どもたちの場所ってのが無くて羨ましい。親も安心ですよね。「ここにいる」ってわかれば安心するもの。
(30代:女性)
〇今年の冬は温かいな。3月もほとんど雪降らなかったけど、やっぱり3月11日は雪降るんだよなぁ。午前中まで温かかったのにな、不思議だよな。
(50代:男性)

 

〇5年ってあっというまだったね。10年くらい生きたような感じ。
そしてあと4年でオリンピックだね。その頃は七ヶ浜も堤防も出来て、道も出来て、ある程度綺麗になるんじゃないのかな。海開きは今年からみたいだね。
(60代:女性)
※七ヶ浜町は2016年夏に10日間の海水浴場OPENを予定している。

 

〇ワカメ/メカブももうそろそろシーズン終わるよ、次はシラウオだね。季節毎にいろんなものが撮れるから楽しいんだよね。季節の味ってやつですね。浜にある海の駅「七のや」がOPENしたから、そこで食べられるらしいよ。行ったことないけどね。
(70代:女性)
※県内初のうみの駅が七ヶ浜にOPENした。 海の資源を活用し、人の集まる場作りを行っている。

 

〇 メモリアルイベントに参加して本当に良かった。やっぱり1年に1回会う機会ってのは必要だね。またこうしてみんなと会えるのを楽しみにしているよ。
(40代:女性)

 

〇もうすぐ公営住宅に住んで1年になるんだ。もう前から住んでたみたいにくつろげる。やっぱり震災前に住んでた地区に戻ってきたからね。温かくなってきたから散歩する人も少しずつでてきたしね。ベンチでもあれば腰かけられるけど、無いんだよね。
(60代:女性)

 

〇ついに来月、仮設から引越しです。4年半以上お世話になっていた仮設ともさよならと思うとなんだかねぇ。住めば都って言うけど、本当だよ。でも、新しい家もこだわりポイントがいっぱいあるんだ。是非、遊びに来てくださいね。
(20代:女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第227報】RSYボランティアバス[72陣]活動レポート(2016年3月11日~3月14日)

皆さま

いつもお世話になっております。

RSY事務局です。

ボランティアバス72陣は11日(金)に名古屋を出発し、12日(土)は宮城県七ヶ浜町で住民との交流会と、翌日に開催されるメモリアル企画の前日準備を行いました。13日(日)には東日本大震災追悼「3.11メモリアル企画 七ヶ浜UMI-TSUNAGU2016」の運営スタッフにも一部加わりながら、住民との交流を図ることができました。翌14日(月)の早朝に名古屋へ帰着しました。

以下、ボランティアバス72陣の活動報告です。

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今回のボラバス72陣は、震災から5年という節目とあって、参加者が36名と多く、バス車内が狭く感じるくらいでした。出発日の11日はちょうど丸5年の慰霊の日でもあり、名古屋市内で開催された追悼式典(RSYも実行委員会所属団体として参画)にも参加してから集合された方もみえました。20時過ぎにRSY事務所前を出発し、翌朝ほぼ予定通りに七ヶ浜町中央公民館に到着しました。

全体ミーティングの後で午前中は4班に分かれて、その訪問先は仮設住宅に現在も残られてみえる方、漁師の方、災害公営住宅の方などで、それぞれ現地にお伺いしてお話をお聴きしました。仮設住宅に向かう際も、現地スタッフと通りすがりの住民の自然なやり取りから、住民とともに歩むRSYの活動が根付いていることが感じられました。

さて、見学を許可していただいた方は4月にようやく自宅が建ち、引っ越しされるご家族でした。七ヶ浜国際村での避難者への気配りが手厚かったことや、仮設住宅で初めて目にした生活用品一式が袋詰めされたもの(これもRSYの活動で配達したもの)に感激したことなどが嬉しかったことと語られた反面、初めて仮設住宅に入って調理ができる環境が整ったのにも関わらず、食事を作る気力が萎えてしまっていたことに自分でも驚かれたそうです。未曾有の災害の厳しい現実(非日常)が、心に与える影響の大きさも痛感しました。

最初の割り当ては人数に応じた3タイプのうち、9人暮らしまでは2DKというとても狭いものでした。冷暖房の空調機器も最初は一軒に1台しかなかったそうです。災害公営住宅に入られた方からは「この5年、今まで正月など季節の行事はやれなかった。やっと広く落ち着いた環境になってそんな気分になれました」とお聴きしました。

 

2月にオープンしたばかりのうみの駅「七のや」が見学も兼ねた昼食場所でした。新鮮な魚介類の料理に目を見張りました。安くて量も多かったです。

   

さて、中央公民館に戻ると、明日の昼食交流会用のカレーの仕込みをする人、5年間の歩みを振り返る写真などのパネル展示の会場設営をする人などに分かれて作業しました。初めて参加する人は、作業しながらもつい、見入ってしまうほどの壮絶な風景写真が多くありました。寄せ書きの布にタイトルを書いたり、写真の見出しをレタリング風に綺麗に縁取りするなど個人の特技を活かした作業を分担しあいテキパキと準備を終えることができました。写真にある壁新聞は地元の中学生がとりくんだもので、タイトルに「INOCHI~あの日あの時~」とつけた理由について、掲示作業を終えた時に「命の大切さをこれほど考えてきたことはなかったから」と本人から聴かされ、子どもたちも悲しみの中にあって、大切な学びを得られたのだと感じました。

  

さて、翌13日は朝一番に、七ヶ浜を知るための町内ぐるっと一周ツアーを企画していただきました。案内役は、昨年11月まで住民を支えてきた仮設住宅隣接の「七の市商店街」の店主の一人、「夢麺」(ラーメン店)の店主さんでした。七ヶ浜の見どころを住民目線でたくさん教えていただきました。「また気楽に観光にでも来てください。」と最後に語られましたが、街や海を愛する気持ちを胸に、復興を夢見ながら…とは言われながらも、自宅や店舗の再建という多額な出費と言うマイナスからのスタートは決して平坦な道のりではないと思いました。

 

ツアーから戻り、いよいよ、「2016 3.11メモリアル企画 海つなぐUMI-TSUNAGU ~ありがとうを伝えよう~」のイベントの始まりです。会場には、全国からのボランティアの方々が続々バスで到着され、一挙に賑やかになりました。11時からは、当時の炊出しを思い出して語ろうというカレー交流会も始まり、会場に入りきれない人たちが長い列を作りました。安城から運んできた野菜で作った漬物もテーブルで置かれ、美味しくいただきました。

 

写真などの展示会場では再会を喜び合う姿も多々見られ、当時の様子を語られる場面もありました。「震災当時は泣いたら負けだとグッと我慢してきたが、こうして改めて街の様子を振り返ってみていると涙が出てきた。」とお話しされた住民の方もみえました。

 

今回の企画自体は、七ヶ浜の住民が5年間のボランティア活動に対して感謝を伝えたいという思いで始められたもので、バス参加者は基本的には、一来場者という参加の形でイベントを楽しませていただきましたが、一部、カレーの配膳係や、試食生ワカメのふるまいの手伝いなどに協力していました。

午後に入り、手作りのオリジナル紙芝居「あの日の僕・・七ヶ浜の3.11」の披露や、シンポジウム被害者の声「あの日のこと」、NPO法人「あっちこっち」さんによるメモリアルコンサート、そして大切な追悼セレモニーなどが、メイン会場で行われました。

  

とりわけ、オリジナル紙芝居の制作にあたり、ボランティア活動で住民との関わりの中からつぶやきとしてお聴きしてきた大切な言葉(セリフ)を55個集めて、つなぎ合わせてシナリオが作られたと知りました。七ヶ浜の言葉で語られる紙芝居には、強く胸に迫るものがあり、多くの人々にずっと語り継いでいくことができる紙芝居という形ができたことはとても喜ばしいことだと思いました。

14時46分、参加者全員で黙とうをして、最後には、長電観光さんらがハンドベルも交えて「花が咲く」を披露。会場全員が合唱して感動のフィナーレを迎えました。

個人的には、この式典の冒頭、実行委員長の舘岡さんが声を体を震わせながら、この企画を成功させようと取り組んできたこと、5年という歩みがもつ意味などを必死で語られた姿にとても感動していました。今回、この72陣に参加させていただき、見て聴いて触れた様々な時間の中で語られた「復旧と復興」の意味を再度自分自身へ問い直すこと、それから、それぞれの地元に帰ってからの動き・歩みが今一度問われてことを強く感じました。

参加することができてたいへんよかったです。

 

 

宮城県七ヶ浜町報告【第225報】3.11メモリアル企画「七ヶ浜 UMI-TSUNAGU 2016」

皆様
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局 郷古です。

3月13日(日)に七ヶ浜町中央公民館にて3.11メモリアル企画「七ヶ浜 UMI-TSUNAGU 2016」が開催されました。

この企画の主催は、町ではなく「七ヶ浜住民による実行委員会」です。
七ヶ浜町では3月11日に追悼式を行いましたが、
『追悼の気持ちが一番だが、それと同じくらい「起こったことや経験を語り継いで行く」、「様々な出会いから生まれたきずなを大切にする」ということも大事である』
という意見から、住民による実行委員会を立ち上げてオリジナルの3.11メモリアル企画を行う事になりました。
この企画自体は2012年から継続的に行われていましたが、年を重ねるごとに実行委員会への七ヶ浜住民の参加が増えています。今回の企画の打ち合わせは20回を超えています!!!

なにをしたいか?なにを伝えたいのか?ワークショップを行った会議の風景

『自分ができることで恩返しを・・・』
朝10時からのイベントオープンで来場者を出迎えたのが七ヶ浜の漁師であり、ぼっけ倶楽部七友会の代表の鈴木直也さん。
「お世話になったボランティアさんたちに今が旬の七ヶ浜のわかめをたべてもらいたい。ここまでこれたのも本当に皆さんのおかげだと思っている。」というお心から、わかめしゃぶしゃぶコーナーを開いてくれました。ボランティアさんをはじめ、たくさんの町民の皆さんも生ワカメを一緒に食べていました。
漁師からの感謝のわかめしゃぶしゃぶ 

又、今回地元の中学生も企画内にボランティアスタッフとしても参加してくれました。「七ヶ浜のためにできることをやらせてもらいたい」と自分たちが作った防災学習の説明をしてくれました。来場者からの質問にも丁寧な受け答えをしていました。
来場者からの質問へも丁寧に答える中学生


『避難所で食べたカレーはとても心に残っている。一堂集まってみんなで食べたい』
との実行委員会での話から300食以上のカレーを実行委員会メンバーで作りました。
七ヶ浜の漁師さんから茎ワカメや愛知県安城市の皆さんから漬物の差し入れもあり、食の交流の時間も良い時間を過ごせました。参加者同士、思い出話をしたり、始めて会った方々も「カレー美味しいですね」という何気ない会話から七ヶ浜の話になって盛り上がっていました。
愛知県安城市からの漬物を提供しくれた石川さん(右)と七ヶ浜の茎ワカメを提供してくれた渡辺さん(左) 賑わう会場

その後は各種メディアに作成風景から取り上げて頂いた「あの日の僕 七ヶ浜3.11」という防災紙芝居を行いました。町民の声から文章を作成し、事実起こったことを書きとめました。又、題字や紙芝居の色塗りを手伝ってくれたのは七ヶ浜の中学生です。
読み合わせ練習も当日までに何回も重ね、「ここはもう少しおばあちゃんの声っぽく、ゆっくりよもう」、「ここは避難民を誘導する場面だから、当時の事を思い出しながら緊張感が分かるように読もう」などひとつひとつのセリフに心を込めて、読み手に伝わるようにと励みました。
本番も満員、大盛況で、
町内外から「私たちの地区・町でもやっていただけないか」と声が相次ぎました。
読み手の一人であった渡辺さんは「読み手のオファーがあったときは戸惑ったが、自分の経験談も紙芝居の中に入っている。津波から逃げたこと、避難所の事、仮設住宅での暮らし、そして今・・・全てを振り返る機会にもなった。やってみて、作ってみて良かった」と話してくれました。
紙芝居は大勢で見れるようにプロジェクターに映し出した 

 

この企画を通じて思ったことは
1:【七ヶ浜町民の気持ちの土台は「感謝」だということ】
今までメモリアル企画運営補助を行ってきましたが、今年はほとんど町民有志の実行員会で企画内容を精査しています。
「今まで手伝ってもらう立場だったが、皆さんには参加者になってもらいたい。感謝の気持ちを形にして、皆さんとの交流を深めたい」というのが企画がスタートした時に話された言葉です。
企画名である「UMI-TSUNAGU」は『海/生む/あなたとわたしを繋いで』という意味で、実行委員会メンバーで考えた名前です。想いを形にするために実行委員会メンバー各々が動いて、その名の通りの良い企画になりました。

来場者内訳は町民200名、ボランティア200名、実行委員メンバー50名の合計450名を超える

2:【参加者同士で再会を喜ぶ場面が多く見られた。5年経ったなおも繋がり続けていること】
「あぁ~!久しぶり!元気にしてた??また会えたねー!嬉しいね!」
そういった再会を喜ぶ声が至るところで上がっていました。それは住民同士、ボランティア同士、住民とボランティア間、様々あります。
「確かに大変なことが起きて。辛いことも多かったが、悪い事ばかりではない。いろんな人たちと繋がって、楽しい。」という言葉も話してくれました。なんというありがたい、そして力強い言葉なのかと思います。

延8万人のボランティアの支援活動のおかげでプレオープンだが、ついに今年の夏に海水浴が出来るまでになった

来年度の開催はまた実行委員会メンバーの中で、話し合いを行い、決めていく予定です。 

 

宮城県七ヶ浜町報告【第224報】サークルK・サンクス店頭募金贈呈式

みなさま、いつもお世話になっております。RSY七ヶ浜事務局槙島です。
先日、2月27日(土)きずなハウス(RSY七ヶ浜事務局)にてサークルK・サンクス店頭募金贈呈式を開催いたしました。

株式会社サークルKサンクス様、ユニーグループ・ホールディングス株式会社様にお越しいただき、七ヶ浜町の子どもたちや親御さん約50名がきずなハウスに集まりました。

0227贈呈式

昨年8月1日から11月30日までの期間、「東北の子ども達に幸せな笑顔を贈ります」と全国6000店舗以上あるサークルKサンクスの店頭レジ横に設置された募金箱に託されたお金を、レスキューストックヤードに寄託していただきました。

0227贈呈式_目録授与

 そしてきずなハウスに来てくれている皆様に重大発表!
昨年は、「子どもたちが落ち着いて勉強できるスペース」が欲しいとの声から「移動学び舎バスきずな号」を寄贈していただきましたが、今年は“子ども達の居場所作り”として、今回いただいた募金とみんなの家プロジェクトのご協力のもと、七の市商店街跡地に新たにきずなハウスを建てられることになりました!
そしてこの日は特別ゲストとして建築家の方も完成イメージの模型を持ってお話しに来てくださり、子ども達は完成イメージの模型に興味津々です。
0227贈呈式_新きずなハウス発表0227贈呈式_新きずなハウスに興味津々
お散歩がてらお茶っこのみにきてくださる方やボーちゃん焼きを買いに来てくださる方、「宿題してから遊ぶ!」ときずな号で宿題をしてから遊ぶ子たち、学校や学年は関係なく、同じ空間で過ごすうちに仲良くなり遊んでいる子たちなど、毎月延べ1500名が足を運んでくださり、毎日にぎわっているきずなハウス。
「来年はどうなるの?」「ずっときずなハウスはここにあるの?」との声がたくさんあった中、ようやくご報告ができ、保護者の方からも「よかったー」と自然と拍手、笑みがこぼれました。
年内に完成、オープンを目指してみんなの家プロジェクトの建築家の方と一緒に準備を進めてまいります。
0227贈呈式_お菓子プレゼント
最後に、ユニーグループ・ホールディングス様より来場者へお菓子のプレゼントもいただきました。
翌日エコバッグを使ってきずなハウスに来る子も・・・!
0227贈呈式_集合写真
新きずなハウスでは駄菓子、ボーちゃん焼きだけでなく町民交流の場としてどんなことができるか、より過ごしやすい空間作りができるように試行錯誤してまいりますので、今後ともご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
完成した際にはぜひ七ヶ浜へ遊びにいらしてくださいね!
【来場者の声】
・きずなハウス残ることになってよかった。今は遊ぶところが少ないから、こういう場所は子ども達にとっても必要。ここにいるのがわかっていると親も安心だしね。(40代女性)
・新しくきずなハウスできて、ずっと残るんだったら高校生になったらきずなハウスでバイトさせて!(小4男子)
・ボーちゃん焼き、これからも食べれるのね。よかった。お土産で持っていくと喜ばれるのよ。だからここで買えるってみんなに宣伝してるからね!(60代女性)

宮城県七ヶ浜町報告【第223報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第32号](2016年2月1日~2月29日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

2016年3月11日で震災から5年が経過しました。
3月11日(金)は気温が高く、3月初旬とは思えないほど暖かい日でした。
七ヶ浜町では七ヶ浜国際村にて東日本大震災追悼式が執り行われ、私たちRSY七ヶ浜事務局も代表理事の栗田、常務理事の浦野と共に式に参加しました。
ご遺族代表として話された女性の方は「津波にのまれた時に、私が手を話さなかったらおばあちゃんは生きていたかもしれない。あの時のことは一生忘れることはできません」と後悔の言葉がありましたが、共に「私は元気でやっているよ、天国で見ていててね」と前に向かって進む気持ちも話されました。
仮設住宅の移転も進み仮設入居者も1割程になり、災害公営住宅も全戸整備され、風景はだいぶ変わってきましたがあの日に起こったことは変わらず、そして心に深い傷を負っていることは変わりません。

震災当初には「あの時のことを思い出しただけで気分が悪くなった。寝れない日が続いた」、「サイレンの音や救急車の音を聞くだけも怖かった」とお話しされる方が多くいらっしゃいました。
しかし、日を追うごと、ボランティアや住民同士と話をしたりすることで気持ちに整理がついてきて、今では『当時の体験談を、教訓として話せるようになった』と言える方々が増えてきています。
「辛いことがあったけど、前へと進まないといけない」という想いが伝わってくる言葉だと思います。

「皆さんの応援があってこそ今が在る。これからも精一杯生きることによって恩返しをしたい」そんな七ヶ浜町の住民の皆さんの気持ちに寄りそい、これからも支援を続けていきます。

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■今日は中央公民館でお祭りなのよ。裁縫とか書道とか七ヶ浜内のサークルが集まるの。
でも、でも、ここは避難所だったんたよねぇ。私たちも居たんだよ。あれからもう5年経つんだよねぇ。
(80代:女性)

 

■私たちの世代で何か町のためにならないかな。って思う時もあるけど日々の生活送るのに精いっぱいな面もある。でも、社協さんやRSYさんの活動にボランティアで参加することで町のためになると思うから、これからもよろしくね。
(40代:女性)

 

■5年がくるとか震災の日だとかなんかすごい特別な日みたいにテレビで言うのは3月入ってから。それは仕方ないことだと思うけど、あんまり騒ぎ過ぎなんじゃないかな。
命日でもあるし、そこまでイベントとかみたいにしないで欲しい人たちもいるんじゃないかな。
(50代:女性)

 

■なんだかこの頃、体調が良くなくてねぇ。病院に通ってるの。行くときはタクシー。ご飯はあんまり食べてないの。お茶だけでおわっちゃうことが多いかな。なんだか食欲がなくてね。友だちはいるけどご飯はいつも一人だよ。親せきとかも近くに結構いるから 声は掛けてくれるときもあるけどね。人が集まる場所に行き辛くてさ。私が苦手な人も寄ってるしね。私は仲良しの人たちだけで話してればいいんだ。
(60代:女性 公営住宅)

 

■公営住宅は防音しっかりしてるけど、さすがに木を切ったり、工具を使ったりはできないんだよ。俺は大工だからさ、木工でお年寄りのために何やりたいとも思うね。あとはきずなハウスに寄ってる子どもたちとかもいいな。子どもとかお年寄りでもできる講座みたいなのをやろう。俺はお金ないけど、技術提供ならいくらでもやるよ。温かくなったら木工講座だな。子どもたち向けにまずはやってみっか。
(60代:男性 公営住宅)

 

■私たちの地区に公営住宅が建ったでしょ?入った人たちは同じ地区の人たちなの、本当に何年振りかで会う人もいるから嬉しくて
ね。友達が近くにいるってのはいいねぇ。
(80代:女性 公営住宅)

 

■公営住宅に入ってもうすぐ一年になるんだが、前から住んでたみたいに居心地が良い。
仮設も良かったけど、やっぱり自分たちが生まれ育った地区に戻ってくるってのが良いんだよね。でも、俺みたいな車を運転できる人はいいんだけど運転できない人はどこにもいけなくなったってのはあるよ。周りに商店ないしね。
(60代:男性 公営住宅)

宮城県七ヶ浜町報告【第222報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第31号](2016年1月1日~1月31日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。

2016年2月11日で震災から4年11ヶ月が経過しました。
七ヶ浜町の仮設住宅、災害公営住宅、高台移転地、また日々の活動を通して聞く住民の生の声、現状を皆様にお届けします。

仮設住宅入居者の内、約8割が移転をし、年末年始は再建された家、災害公営住宅で過ごされた方が多かったようです。

最近、訪問時に仮設住宅と公営住宅とを比較する声を多く聴きます。今回はその中でも声の多い『集まる場所』についての話をしたいと思います。

仮設住宅では誰でも使える集会所がありました。しかし、現在町内に5か所ある災害公営住宅に集会所があるのは1か所のみ。その集会所も現在ほとんど利用されていません。
集会所が無い地区は公民分館(集会所)としての役割を担っている「地区避難所」が建てられていますが、こちらも利用者は多くありません。地区避難所を集会所として使えない主な理由は、「利用申請書を出さないといけないので、使いたいときにすぐ使えない」 、「まだ備品が揃っておらず、自分たちで持ってこないといけない」、「地区避難所という名前だから、気軽に使っていいのか戸惑う」等があります。
こういったことが『外に出るきっかけが無い状態』をつくってしまい、「生活に張りが無い」、「つまらない」と云った声に繋がっています。

現在、お互いに声を掛け合い、誰かしらのお宅に集まり、談笑をするなど動きはありますが、集会所を使うまでには至っていません。
しかし、つい最近から「自分の部屋より広い集会所でみんなして集まって縫い物したり、お茶飲みたい」、
「俺は集会所にみんなを寄せて、ボケ防止に木工をしてもらおうと考えている」という声が出始めています。

「1人ではできないけど、応援してくれる人がいるなら・・・」そんな声を町や社協へ繋いで形にしていく他、
「私たち自身(住民)がコミュニティを作っていくんだ」という想いが実現できるように私たちRSYもサポートをしていきたいと考えています。

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■仮設住宅は、雪が吹き込んできて風除室にあった靴が雪まみれになったのを思い出す。
公営住宅は玄関があるからね。仮設暮らしではいろんなことが当たり前じゃないってのをかみしめたよ
(70代:女性 公営住宅)

 

 

■仮設では隣の家の音が聞こえたから、変なこというわけじゃないけど”安心’’してたんだ。
公営住宅に引っ越してから隣の音は全く聞こえないから、居るのか居ないのかも分からない。
防犯上、いいんだか、悪いんだか分からないねぇ
(60代:女性 公営住宅)

 

 

■引っ越して約1ヶ月、老夫婦二人暮らしで、しかも俺が足悪いから片づけは進んでいない。
業者が置いて行ったダンボールは開けてないのがいっぱい。どの箱に何がなにが入っているかすら分からん。
(60代:男性 公営住宅)

 

 

■公営住宅に来てから押し売りが来るんだよ。新聞だよ。A新聞とかB新聞とか。
(セールスの人は)ビール券とかいろいろお土産置いてくんだよねぇ。でも、うちは姪がC新聞社に務めてるから他のは取らないんだ。
(60代:女性 公営住宅)

 

 

■家に居てもなにもすることはない。それと、この頃いろいろと忘れちゃう。
何しゃべろうとしてたんだっけかな?って思う時がある。けど、震災前の隣組の人たちが近くにいるし、雪かきとかもしてくれるから大丈夫。
むしろ、独居の男の人も多いから私含めてその人らのお世話をしていることもある。困ってることと言えば、1人にしては部屋が少し広いってところくらいかしら。
(80代:女性 公営住宅)

 

 

■久しぶりだなぁ!部屋みせっから、入れ!入れ!
本当にいいところにいれてもらったわ。見ろ?ベランダも広いし、海が見えるんだ。いいだろう?
引越しも落ち着いて、神棚も釘使わず作ったし、良かったわ。娘の旦那に作ってもらった。
車まわせっから、今度きずなハウスに行ってみっかんな!
(70代:男性 公営住宅)

 

 

■ようやく仮設住宅の清掃が終わり、仮設住宅サポートセンターの立ち合いの元で引き渡しを済ませ、ホッとしている。
仮設住宅が建ったばかりの頃は、風除室造ったりして気がまぎれ元気になった。
高台に建てた自分の家から菖蒲田浜の砂浜が見える。砂も震災で相当無くなったが、戻ってきてるみたいだね。
(70代:男性 高台移転)

 

 

■あー!久しぶりだごだぁ!はいらい!はいらい!(※入りなさいの意)
おかげさまでねぇ、元気にやってますよ。仮設の時は本当に世話になったよ。若い人たちがやってくれるからいいんだ。
私、仮設に入った時、どうしたらいいか分からなくて頭真っ白になったんだ。
でも、集会所に寄るようになって、学生さんとかいろんなボランティアさんが来てくれていろんな話が出来て元気が出たんだ。
今は孫とみんなで住んでるから、賑やかだよ。
(60代:女性 高台移転)

 

 

■もう人はいないよ?私ら含めても10軒いるかいないかじゃない?ここ一番広い仮設だから、余計に人がいないように感じるよ。ここは全部で150戸くらいあるんだよね。
3月末には私も家族9人で高台へ移転するからそれまで我慢だよ。でも、ずっとここ(仮設)でもいいなぁとも思うときがある。
(60代:住宅 仮設住宅)

宮城県七ヶ浜報告【第221報】サンタが家にやってきた2015

皆さま

いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局郷古です。
昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い致します。

去る12月25日(金)に七ヶ浜町社会福祉協議会と協力し、「子どもサンタが家にやってくる」を行いました。
これは仮設住宅やみなし仮設住宅から災害公営住宅や高台移転地へ引っ越しされた皆さんへ町内の子どもたちがクリスマスプレゼントをお渡しする企画です。
子どもたちだけでなく区長さんや子ども会、きずなハウス(RSY七ヶ浜事務所兼)に遊びに来てくれている子どもたちの母親にもご協力頂き、一緒にサンタになって町内を回りました。

子どもサンタ大集合!

サンタは大人、子ども合わせて総勢50名!部屋に収まり切りません!
しかし!町内約200戸の災害公営住宅と約40軒の高台移転に加え、地区避難所を回るというとても壮大なスケジュールなんです!
暗くなる前に全て回ることができるのか!?早速、班ごとに別れスタートです!
きずな号でしゅっぱーつ!

【子どもサンタさんたち】 「ピンポーン!」

【在宅者】 「はーい?」

【子どもサンタさんたち】 「メリークリスマス!サンタです!」
子どもサンタが一軒一軒お宅へ訪問します。笑顔をお届け!
【在宅者】 「はいはいーいきますよー(笑)」 ※事前にこの日に来ることはお知らせしています。

【子どもサンタさんたち】 「良いお年を!お迎えくださいね!」
来年度のカレンダーもお渡しします。

【在宅者】「今年はなんのプレゼントもらったの?私は本当に何十年ぶりにプレゼントをもらったわよ。嬉しいわねー。」


【子どもサンタたち】「ゲーム買ってもらいました!でも、今はプレゼント渡す側になりました!」
笑顔からは自然と会話も生まれます。地域間、世代間交流も兼ねているこの企画は大成功です。

 

喧嘩もせず、学校もクラスも年齢も違うチームもあった中、とても良い雰囲気で回ることができのも「プレゼントと共に笑顔も一緒に届ける」と出発前にみんなで決めたルールを守ったからです。

みんな無事返ってきました。中にはプレゼントをあげたかわりに「お菓子」や「ジュース」・・・・「お年玉」」までもらってくる子も!お互いが笑顔になる素敵な時間になりました。
頑張ったみんなにはサンタから一人ひとりプレゼントがありました!よかったね!
子どもサンタさんにもプレゼントを配布。よくがんばったね!

今回のプレゼントは「うるうるパック」を使わせてもらっています。
また、今回のプレゼントを入れさせてもらった袋は「ブラザー工業」の皆さんから頂いた物を使わせてもらったいます。

 

▼うるうるパックとは?
うるうるパックとは、被災者が必要とする生活物資等を企業等から頂き、ボランティアがパック化した上で、被災地の災害ボランティアセンター等を通じて地元の自治会や民生委員らとともに「お見舞い品」として訪問配付する活動です。この取り組みは、単に被災者に物資を提供するということではなく、これまでの被災者支援の経験に基づく本当に必要な物資であるとともに、被災者一人ひとりが抱える暮らしの課題について直接お聞きすることができます。(過去にうるうるパックを配布した被災地:2005年長野水害、2007年新潟県中越沖地震、2011年東日本大震災)

 

大人も子どもも!サンタさん全員で集合写真!

プレゼントももらった住民の皆さんからは「久しぶりに七ヶ浜にこんなに子どもがいる光景を見たわ・・・嬉しいね!」、「子どもたちの声が聴こえたからつい、外に出てしまったよ。みんな楽しそうでいいねぇ」と喜ぶ声が多く挙がりました。

 

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【サンタボランティアに参加したの皆さんの声】

〇いつもは町の人々とふれ合うことはないし、気軽に「メリークリスマス」なんて言えないからちゃんとできるか心配だったけど、グループのみんなで協力できたし、町の人々も楽しそうにしてくれて良かった。メリークリスマスと声を掛けたら「ありがとう」と返してくれたのでやってよかったなと思いました。
(小学6年生:女の子)

 

〇とても楽しかったです!配り先でプレゼントを渡した時にとても喜んでいたので良かったです。できれば来年もやりたいな~
(小学5年生:女の子)

 

〇公営住宅に初めて行った。平屋の造りで、スロープがあり高齢の世帯に優しいと思った。インターホンの位置が高すぎる気がした。。子どもたちが訪問したことを本当に喜んでくれた。
(40代:女性)

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【主催】レスキューストックヤード
【共催】七ヶ浜町社会福祉協議会
【特別協力】ブラザー工業
【協力】災害ボランティア活動支援プロジェクト会議 

 

宮城県七ヶ浜町報告【第220報】月刊つぶやき@七ヶ浜[第30号](2015年12月1日~12月31日)

皆さま
いつもお世話になっております。
RSY七ヶ浜事務局です。
2016年1月11日で震災から4年10ヶ月が経過しました。
昨年の内に町内全ての公営住宅の鍵渡しが終了し、現在373戸ある仮設住宅の8割以上の方が公営住宅や高台の新居等へ引っ越しされました。様々な課題を抱え、かつ本当に長きにわたった仮設住宅での暮らしから、住民の皆さんの多くはようやく移転先での新しい生活を始められています。一方で、引き続き新居の完成を待たれているなどの事情で、若干の皆さんは仮設住宅に今しばらく居住されます。
こうした被災地の状況から、足湯利用者や七ヶ浜町仮設住宅サポートセンター等とも話し合い、昨年末を区切りに仮設住宅での足湯の活動を終了することとなりました。今後は地区住民の皆さんと話し合いながら、公営住宅の集会所や地区避難所(公民分館)での支援活動を考えていきます。
従いまして、毎月お届けしていました足湯の『つぶやき』は今回で終了させていただきます。
なお、私たちは引き続き被災者の一番近いところで活動を続けてまいりますので、仮設住宅、公営住宅、高台移転地、また日々の活動を通して聞く住民の生の声を皆様にお届けし続けたいと思っています。
次回からもよろしくお願いいたします。
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■おらいの旦那が(足湯で)いつもお世話になってるね。
(旦那は)朝から楽しみにして待ってたんだぁ。今は家の片づけで忙しいけど、
孫とか来てもらってるから、手伝いとかは大丈夫だよ。ありがとうね。
今月(2015年12月末)に引越しだわ。
(70代:女性)
■ついに(2015年の)12月17日に(公営住宅に)引越しだよ。2階だよ。遊びにおいで。
ポストが玄関でなくて、1階にあるの。(※集合ポスト)
取りに行くのが遠くて、大変だー。
(60代:女性)
■A浜に家を建ててるの。完成までは、仮設に残らなきゃいけないわね。
2016年3月頃までには出来上がる予定。仮設にはもうほとんど人がいないわよ。
(70代:女性)
■引越しの片づけを一人でしてたけど、かえって引っ越し業者の邪魔になるかもしれないし、ゆっくりやってるの。
家族が町内に住んでいて一緒に暮らそうって言ってるけど、私みたいなおばあちゃん一人いっても迷惑かけるだけだろうし、同じ部落の人たちといたいからアパート(公営住宅)に入るわ。
アパートの周りにはお店はないけど、移動販売が来てくれるから買物は大丈夫。
車運転できない私たちみたいな人にとっては、とってもありがたいね。
(80代:女性)
■出来る家は立派だ!豪邸!家族5人で暮らすんだ。孫も一緒だからな。
ここ(仮設)ではずいぶん世話になったなぁ。ありがとうございました。これからもよろしくな!遊びに来いよ!
(80代:男性)
■おかげさまで公営住宅に無事引越しはできたけど、誰がいるかもよくわからず、本当に不安なの。
被災前の住所毎で移転だけど、私の地区は広いから知らない人も多い。結局知っている人だけで集まるしかないの。
公営住宅の集会所や避難所ではイベントはやらないから人も集まらない。
でも、この前クリスマスの時に学生さんたちがクリスマス会やってくれた。行かなかったけど。
(60代:女性 公営住宅にて)
■(公営住宅は)防犯だか何だか知らないけど、駐車場やら廊下の外灯が多くて明るすぎる。夜寝られないくらいだ。
同じ公営住宅でも1階と3階じゃ問題も違ってくる。うちらは3階で眩しすぎる。1階は1階で光が入って来なくて暗い。
いろいろあるんだー。
(60代:男性 公営住宅にて)
■(公営住宅へ移ってから)訪問者なんてほとんどないよ。先日ボランティアのおじさんが来てくれたけど、誰かわかんねぇ。
役場とか社協とか訪問してくれるけど、安否確認だけであとは何も話さない。悩みなんかは特に話せないねぇ。
(60代:女性 公営住宅にて)

宮城県七ヶ浜町報告【第219報】しちがはま展覧会はまのわ~はまのわトーク~

皆様、お世話になります。

RSY七ヶ浜事務局の槙島です。

しちがはま展覧会~はまのわ~報告3

会期後半11/21(土)には「はまのわトーク」として“自分たちの子どもが大人になったとき、どんな町になっていてほしいですか?」というのをテーマにWSを行いました。

波伝谷に生きる人びと

最初に同じ東北の海が身近な町の現状を見て、七ヶ浜についても考えるきっかけとなれば、ということで監督の我妻和樹さんにもお越しいただき、南三陸を舞台としたドキュメンタリー映画「波伝谷に生きる人びと」ショートバージョンを上映。

今回は七ヶ浜のことを思う20代から子育てをするお父さん、お母さんたちが集まり、2つのグループに分かれてまずは「七ヶ浜ってどんな町?」について、意見交換をしました。どちらのグループも

・地元意識が強い

・地区(浜)ごとの色が強い

・いい意味でのライバル感

・人と人のつながりが深い、義理堅い人が多い

 

など“人”との繋がりについての意見が1番最初に出ました。そして

 

・自然がいっぱい、暮らしやすい町

・海の音が聞こえる、静かでいい町

 

という七ヶ浜の自然、生活環境について。

 

・海の幸がたくさんあっておいしい

という声ももちろんあがってきましたが、住んでいる地域によって異なり、「漁業は盛んだし、ボッケは有名だけど漁師さんとのつながりもないから食の部分であまりぴんとこない」という率直な意見もありました。

はまのわトーク意見交換

色々な意見が出た後、 グループごとに1つ「どんな町にしたいか」まとめました。

 

・いいイベントがたくさんあるのに知らないことが多い、情報が伝わってこない→情報がしっかり伝わる町

・住んでいる人たちが楽しそうに見える町→地区ごとの個性をもっとアピール、一人ひとりがいいところを紹介できる

 

そしてそのために「七ヶ浜の持っている魅力を知る町歩きのWSとかおもしろそう」「その時にゴミ拾いとかもできたらいいよね」など、町のいいところ悪いところを再認識することはもちろん、もっと七ヶ浜の魅力を町民自身が楽しみながら知り、町のことを考えられるような企画をしよう、と今後の動きに繋がる意見やアイディアもたくさん出ました。

11/21はまのわトーク

今回は写真や作品を展示して「七ヶ浜の魅力を改めて感じたり、楽しかった思い出話をたくさん聞きたい、そしてそれを子どもたちにも伝えたい」ということで、展覧会を開催しましたが、このWSで出たいアイディアを実際に1つみんなでやってみよう!と実行委員会のお母さんたち、若者たちは張り切っています。

「しちがはまのわっか、つながり。子どもたちへと繋いでいく」そんな意味をこめた「はまのわ」

これで終わりではなく、今後一人でも多くの方が「七ヶ浜っていいところでしょ!」と感じ、大人から子どもへ、町内はもちろん町外の方々へ魅力を伝えていくために、町民の方々と一緒に活動していければと思っています。

《参加者の声》

・うちは親戚が漁師だったり、じーちゃんがさばけるから魚はよく食べるし、ボッケは季節になると必ず食べていて当たり前だと思ってたけど、「あまりぴんと来ない」という意見を聞いて、驚いた。せっかくの名物、みんなが身近に食べれるようになればいいのにね(40代女性)

・今まで当たり前に暮らしていてあまり七ヶ浜について考えたことなかったから、今回こうやって考えることができてよかった。若い人達がこんなに考えてくれているんだから私たちも頑張らないと(40代女性)

・仲間だけで話すのではなく、違う世代の方とこのような話をできたのが良い、煮詰まることがなかった。こういうのがやりたいっていう素直な意見が出た(20代男性)